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三話 春蘭と四霊

 あれは、春蘭が志黎城に来て少しした頃のことだ。

 尚功局に配属されて、まずは官位を持たない流外の女史として仕事を必死に覚えていた頃。

 刺繍や裁縫の腕は良くとも、宮中でのやり方に馴染めず上司からきつく当たられたことも多かった。

 その度にすすり泣くような殊勝な性格はしていないが、疲労もあって身も心も疲れ果てていたのだ。

 少しでもそんな宮中から離れたい思いで、人の気配が少ない北の林へ行き、ぼーっとしているうちに逆にむかむかしてきた。


『なぜ、私がここまで疲労を抱えなければならないのだ?』


 仕事で失敗をしたならば叱られて当然なので、それはいい。だが、上司の主な叱責は私生活に関してのことが多い。

 見映えの良さを利用して出入りする官吏や武官に色目を使っただの、色気づいているから仕事に身が入っていないのだろうだの。

 かといって髪に櫛を通す暇もないほど早朝から仕事をしなければならないときも、髪を振り乱してみっともない。宮中で仕事をしているという誇りはないのか? これだから田舎者は……などと言うのだ。

 もはや教育云々ではなく、ただの言いがかりである。

 今までは宮中に慣れるため、仕事を覚えるためと思い必死にそんな輩の言葉にも従ってきたが、流石に理不尽だろう。

 怒りへと変化した疲労に、春蘭は拳を強く握った。


『ふっざけんな!』


 宮中では使わない乱暴な悪態を叫んだ春蘭は、その勢いのまま拳を目の前にある木の幹に打ちつける。

 拳に生じた痛みに、苛立ちが増す気がしたがかまわずもう一度打ちつけた。

 そのまま三度、木に八つ当たりをしたところで、なにかが頭の上に落ちてくる影が見え、とっさに顔を上に向ける。すると――。

 もふん

 そんな効果音でも出てきそうな、ふんわりと柔らかな感触に春蘭は一瞬で怒りが霧散したように感じた。

 とはいえ、それがなんなのか不明なままでは困る。なにか悪いものだとしたらそれなりの対処をしなければ。

 春蘭は両の手でそれをがしりと掴み、顔から離した。


『……鳥?』


 落ちてきたもふもふの物体は、鴉ほどの大きさの赤い鳥だった。触れた感触はフワフワしているが、規則正しく流れに沿っている羽は流麗で美しい。

 そんな鳥の、どこか威厳を感じさせる目と視線が合いなんとなく動けなくなる。

 なにか、探られているようなその視線に身を固くしていると、無邪気な明るい声と共になにかが近付いてきた。


『あははっ! オウが木から落ちるなんて……珍しいこともあるんだね』


 人の言葉ではあるが、聞こえてくる足音はどこかおかしい。

 二本の足で歩いているのとは違う。それに、他にも地面を這っているような音も聞こえた。

 見ると、案の定現れたのは人ではないもの。鹿と亀と蛇だった。

 統一性の無い動物達が共にいる光景はおかしなものだ。

 だが、人語を解し操っている時点で普通の動物ではないのだろう。

 すぐにそれを理解した春蘭は、これらの動物が怪異の一種ではないかと疑う。だが、怪異にしてはやけに気さくである。


(まさか……)


 一つの可能性が脳裏に浮かび、四体の動物をよく視る。

 そうしていると、新たに現れた三体のうちの黒っぽい甲羅を持つ亀が話し出した。


『リン、そう笑うでない。賢者も千考えれば必ず一つは失敗すると言うじゃろう?』


 爺のような話し方をした亀に、今度は白蛇から声が聞こえる。


『それよりも、あなたたち不用心ね。人の娘の前で人語を操ってみせるなんて』


 呆れのため息でもつきそうな言い方に、ずいぶん人っぽいなと春蘭は思った。

 すると、それまで春蘭のことをじっと見つめていたオウと呼ばれた赤い鳥が、白蛇の言葉に答えるように嘴を開く。


『それは問題無かろう。この娘は我らが【何】なのか理解している様だ』

『っ!』


 見透かされている言葉に思わず息を呑む。

 確かに自分は生まれ持った特殊な目――慧眼にてこの動物たちの正体を視た。故に彼らが【何】であるかはもう気付いている。

 だが、そのことを逆に気付かれているとは思わなかった。

 春蘭の手に捕まったままのオウは、聡明な大人の男性のような声で春蘭のことを言い当てる。


『人語を操る動物など、通常は真っ先に怪異と思うだろう。だがお前は恐れていない。分かっているのだろう? その慧眼にて、真実を見通しているのだ』


 人ならざる者の強い眼差しに、春蘭は諦めのため息を吐いた。


(この方々相手に誤魔化せるわけがないか)


『……そうだな。だが、この令王朝を雷公士と共に築いたといわれる四霊の方々が、このようなところにいるとは思いもしないよ』


 言い方が皮肉に聞こえるかもしれないとは思ったが、実際想定外なので仕方がない。宮城内とはいえ、こんな人もあまり来ない北の外れの林に国の守護獣とされる四霊がいるとは思わないだろう。

 一般的には、宮城の中央にある太極宮の四霊廟しれいびょうに存在していると考えるのが普通だ。

 だが、四霊であるはずの彼らにとってはこちらの方が居心地が良いらしい。


『ここは人間もあまり来んからのう。静かで過ごしやすいのじゃ』

『四霊廟も悪くはないんだけど、特に最近は怪異をなんとかしてくれ~って声が方々ほうぼうから届いてうるさいんだよね』


 春蘭の言葉に霊亀であるレイと麒麟のリンが応える。

 続いて応龍のリュウが疲れたようなため息を吐きながら愚痴とも取れることを口にした。


『私達に願われても困るのよね。私達はあくまで聖人である皇帝を通じて国の龍脈を整えているだけなのだから』


 基本的には聖人の皇帝がいなければ、令国そのものへの干渉ができないのだと話すリュウに、春蘭は成程と納得する。

 四霊が令国の守護獣であるならば、皇帝が聖人でなくとも守ってくれるのではないだろうかと思うこともあった。だが、リュウの言う通りならば聖人としての皇帝が国の龍脈と四霊を繋ぐ糸のような役割をしているのだろう。それなら確かに皇帝が聖人でなくては龍脈を整えることはできないし、怪異もおさまることはない。


『今の幼帝もおそらく聖人ではないじゃろうて。龍脈を感じ取っているようには見えんからのう』


(ということは、まだしばらくの間この令国は怪異に悩まされることになるのか……)


 レイの言葉にうんざりしながらもどこか他人事のように思っていると、ずっと春蘭を見ていた鳳凰のオウがその黒い目をきらりと光らせた。


『聖人の皇帝――【天命の子】か……いい案がある』


 低い美声が、どこか企みごとを紡ぐように響く。

 春蘭と他の四霊がオウに注視すると、彼は続きを口にした。


『この娘に見つけてもらえばいい』

『は?』


 思いも寄らぬ提案に、春蘭はぽかんと口を開ける。


(見つける? 何を? まさか皇帝となる聖人を?)


 疑問ばかりが頭に浮かぶ中、オウはこれ以上はない名案だとばかりに春蘭へ願った。


『稀なる慧眼けいがんを持つ娘よ。そのまことを見抜く目で、我ら四霊が仕えるべき【天命の子】を見つけ出してくれ』


 未だ春蘭の両手に捕らわれているオウの言葉を理解するのに数秒かかる。

 話の流れからして【天命の子】とは聖人のことだろう。つまりは皇帝となる聖人を見つけてくれと言っているのか。

 確かに、自分の慧眼をもってすれば聖人たる人物を見つけ出せるかもしれない。

 現皇帝が聖人であれば少なくとも十数年後には令国の怪異は落ち着くだろうが、四霊が違うと言うのならば聖人ではないのだろう。次代に希望を持つとしても、早くて三、四十年は先となる。

 できる限り早く聖人の皇帝を戴こうと思えば、慧眼を持つ自分が探すというのはある意味理に適っていると思った。

 だが……。

 オウの提案を理解した春蘭は、一度閉じた目をゆっくりと開き繊細な笑みを浮かべる。

 そして薄紅色の唇を開いた。


『丁重に、お断りさせて頂く』


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