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七話 被害者

 惺陽に案内されて向かったのは左衛とは真逆の位置……右衛の方にある官舎だった。

 大きな建物は惺陽一人が住むものとは違い、複数人が寝泊まりしている共同の官舎らしい。

 迷いもなく進む惺陽の後をついて行くと、どんどん奥の方へと向かっている。


「この辺りは城内の怪異被害者を纏めて寝かせている一画だ。奥に寝ているのは意識すらない者ばかりだが、この辺りはまだ話せる程度の軽傷の者が集められている」


 歩きながら説明してくれた惺陽は、その中の一房ひとへやの前で足を止めた。

 簡素な戸の向こうからは、男のうめき声のような音が聞こえてきている。


「この房だ。俺付きの文官で、張高民ちょうこうみんという。……少々ふざけた奴だが、仕事は出来るので早く回復して貰いたい」


 前置くような言葉を口にし、惺陽は戸を叩くこともなく「入るぞ」と短く告げ戸を開く。

 房の中は寝台が四つあるだけという質素な造りで、その中の一つに一人の男がうずくまるように横になっていた。他の寝台は空で、この房にはその男一人だけのようだ。

 惺陽は躊躇いもなくその寝台に近付いていき、春蘭も後について行く。


「高民、今話せるか? すまないが、もう一度お前が遭遇した怪異について聞きたい」

「ううぅ……また、ですか?」


 惺陽の協力要請に、高民と呼ばれた男は辛さの中にうんざりとした様子を滲ませて僅かにこちらを見た。その目が惺陽を通り過ぎ、すぐ後ろに控えていた春蘭で止まる。


「ん? なんかすごい美少女がいる」


 辛そうな様子は変わりないが、鬱々とした表情に精気が宿ったように見えた。高民は横になったまま身体をこちらに向け、ひじを立てて軽く頭を上げる。

 そうして春蘭を改めて見て笑顔を見せた。


「うっわぁー、こんな可憐な女の子どこで拾ってきたんですか? 亀を肩に乗っけてるって斬新ですね……って、いたたたた」


 嬉々とした様子で春蘭のことを評する高民だったが、すぐに腹を抱えて痛みを訴えた。


「調子に乗るからだ馬鹿者。春蘭には少々怪異退治を手伝って貰うだけだ。いいから話せ」


 呆れた――というよりいっそ冷めてすらいる眼差しで、惺陽は腹を抱え丸くなった高民を見下ろす。

 一応伏せっている相手に冷たすぎないかとも思うが、そこにはどこか気安さも感じる。高民も辛そうでありながら笑みを浮かべ「惺陽様、酷いですよ!?」と大袈裟に声を上げていた。

 上司と部下という間柄であるが、仲は良いのだろう。


「いったー……じゃあ、その春蘭って子にあのときのことを話せばいいんですね?」

「そうだ」


 短く返事をした惺陽に、高民は「全く、被害者を労って欲しいものです」などと文句を言いながら春蘭を見た。


「とは言っても、大したことは分かりませんよ? 左衛と東宮官庁の間のみちを歩いていたら、突然なにかの恨み言のような呟きが聞こえ、その後から腹が痛くなって立つこともままならなくなったってだけで……ううぅ」


 一通り説明している間にも腹は痛いのか、最後の方は呻き声が混じっている。

 聞き終えた春蘭は顎に細い指を添え、「ふむ……」と考える。今の話しを聞く限りでは確実に怪異だと断定出来ない。


「それは声が聞こえただけか? 姿を見たりなどは?」


 怪異の目撃証言は全くないと聞いていたが、念のため問うてみる。


「姿なんて見てないんですよ。だから初めはただの腹痛かと思ったんですがね……ううぅっ、最初はその前に飲んだ薬が合わなかったのかと思ったんですよ」

「薬?」


 有力な情報が聞けるとは思わなかったが、つけ足された言葉に春蘭は反応して顔を上げた。

 今回の怪異の被害者は、皆胃の腑の痛みを訴えている。それを聞いたときからなにかおかしなものでも口にしたのではという可能性も視野に入れていた。

 痛みを感じる前に飲んだという薬が原因なのだろうか? だが、それでは左衛と東宮官庁近くで被害が集中しているのはおかしい。あの場所で薬を売っているわけではあるまいに。

「ああ、少々仕事が立て込んでいたので疲労回復になる漢方を……あの日は東宮官庁への届け物が終わったらすぐに昼食だったから、事前に忘れてしまわないようあそこの井戸で水を汲んで飲んでおいたんだ……うー」

(井戸……? そういえば、あの辺りにあったな)

 もしや、と思うと同時に肩にいるレイが春蘭の頬を軽く突く。レイが反応したことで憶測が確信に変わった。

 高民がいるため会話は出来ないが、そっと甲羅を撫でることでレイに応えると、春蘭は惺陽に向き直り口を開いた。


「惺陽、おそらく原因は井戸の中だ」




 とって返すように東宮官庁の方へ戻ると、春蘭は早速慧眼にて設置してある井戸を視る。

 瞼を閉じ、瞳の奥に意識を集中させ目を開くと、井戸の中から悪意が漏れ出るように漂っているのが見えた。


(これでは、確かに怪異の姿を見る者はいないだろう)


 今回の怪異は井戸の底から出てこられないようだ。宙を飛べず、這い出てくるほどの強さもない。だから、この井戸の水に呪いを掛けた。

 この呪いの掛けられた水を口にしてしまったことで、官僚たちは腹を痛める羽目になってしまったのだろう。

 症状としてはただの食あたりの腹痛。重症度はまちまちだが、通常の腹痛であれば薬でも飲めば数日で治まる。だがその原因が怪異であれば、該当する怪異が消滅しない限り痛みは続くのだ。


「どうだ? 春蘭」


 見守っていた惺陽の呼びかけに、春蘭は振り返り軽く口角を上げ艶然と微笑む。


「間違い無さそうだ。早速、今夜にでも怪異退治と行こうではないか」

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