元々の予定通り怪異の被害に遭った者のところへ向かう道中、惺陽は先程無礼な態度を取った晋武孔のことを話してくれた。
「春蘭も、皇城に勤めているのだから晋一族のことは知っているだろう?」
「ああ、上層部はほぼ晋太后の親族で埋まっているな」
春蘭に事前情報があることを確認した惺陽は、「そうだ」と頷き続ける。
「晋一族は軍部の高官も自分の一族で埋めたいらしいのだ。だが、晋一族はほとんどが文官で軍部の上層部に就けるような武官はいない。そこで目を付けたのが太尉という地位だ。軍部では大将軍に次ぐ地位でありながら、書類仕事が多いため文官が就くことも多いからな」
「ああ。つまり、太尉ならば晋一族の者が就任することが出来るというわけか」
軍部は実力主義の部署だ。戦のときはもちろん、戦のない今のような時期でも怪異の対処をするなどの仕事が多い。指揮を執る立場の者が必ずしも強くある必要はないかもしれないが、少なくとも弱ければ下の者達はついてこない。
増して今の大将軍は先代の世に起こった戦をことごとく収めてきた実力者だ。まともに戦うこともできない文官を軍部の要職に就けるなど許さないだろう。
文官一族でもある晋一族が狙うならば、惺陽の言うとおり元々文官が就くことが多かった太尉しかないということか。
「そうだ。だから晋一族――特に宰相はあの手この手で俺を太尉の位から引きずり落とそうとしている。面倒な怪異の事件ばかり俺に回し通常の書類仕事ができなくなるように仕向けたり、ああやって士兵にしかなれない一族の者を使って俺を貶めるよう仕向けたりな」
「……それは、大変だな」
自分から聞いておいてなんだが、思っていた以上に春蘭にはどうすることも出来ない内容でそれしか言いようがない。
だが、理解はできた。そのような状況ならば、一士兵とはいえ簡単に罰することはできないだろうし、僅かでも権力を振りかざして付け入る隙を与えるわけにもいかないのだろう。
先程のやり取りの理由に納得していると、惺陽は申し訳なさそうに眉を下げ春蘭を見る。
「まあ、そのように面倒な怪異事件を押し付けられたから、春蘭に助力を頼むことになったのだが……政治的な事情にまで巻き込みたく無かったから話すつもりはなかった。なのに結局巻き込んでしまったな……すまない」
謝罪までされ、逆に春蘭の方が慌てる。
「いや、答えを求めたのは私の方だ。謝る必要はない」
寧ろ巻き込まないようにと考えてくれていたというのに、無理に話させてしまった。知りたかったことではあるため聞いたことを後悔はしていないが、少々申し訳なくは思う。
「だがまあ、そういうことであれば助力は惜しまぬよ。上層部がひとつの一族の者だけになってしまうのは良いこととは思えないからな」
増して、晋一族はすでに独裁政権となりかけている。それが民のためになるのならばまだいいが、どちらかというと横暴さが目立つ。軍部まで掌握されるわけにはいかないだろう。
一女官として平穏に過ごしたい春蘭としても、世が平穏であることを望む。
「そうか……助かる」
殊勝な様子で軽く頭を下げた惺陽。他の者も通る道で、軽くとはいえ下の身分である自分に頭を下げて見せた彼に春蘭は眉を顰める。
「惺陽様、こんなところで太尉という身分の者が簡単に頭を下げるものではない」
思わず苦言を呈するが、顔を上げた惺陽は訝しむように眉を寄せていた。
「……それをお前が言うのか?」
「は?」
「はじめからそうだが、春蘭は俺に対して敬う言葉遣いをしたことなどないだろう? それなのに呼び方だけは【様】を付けるので違和感しかない」
「うぐっ」
惺陽の指摘に、春蘭は思わず唸った。
元の口調がそうだから、ということもあるが、惺陽に関しては初めの印象も悪く、つい敬うという心持ちにはなれなかった。それが口調にも表れていたのだろう。
その気になれば敬語を使うこともできるが、惺陽は春蘭の口調に対して特に不快感をあらわにすることもなかったため、ついそのままでいてしまった。
こういう所は自分の悪い癖なのだろう、と自覚し素直に謝罪する。
「申し訳ございませんでした、惺陽様。今後は口調も気をつけましょう」
口調を改め謝罪の意を示した春蘭だが、見上げた顔がとても嫌そうなものになっていて不満に思う。
「……どういう顔だそれは」
つい口調が戻ってしまう。
「いや、違和感が半端なくてな……。別に口調を改めてもらいたいわけではないのだ。むしろ惺陽様と呼ぶのを止めてくれ、惺陽でいい」
「いや、流石にそれは……」
元々惺陽の方が身分が上で、今後は直属の上司となるのだ。口調だけでなく敬称まで無くすのはどうなのだろう。
春蘭は躊躇うが、惺陽はもう決めてしまったらしい。
「もちろん公の場であれば改めてもらいたいが……。春蘭を部下として異動したが、俺個人としてはどちらかというと怪異退治の相棒のように思っている。だから、普段は敬称も止めてくれ」
相棒――その言葉に、春蘭はどこかむず痒さを感じつつ喜びを覚えた。
何故なのかは分からないが、惺陽に相棒として扱われることを嫌だとは思わなかったのだ。
なので、まだ少し抵抗はあるものの、彼の要望に応えようと思えた。
「分かった。改めてよろしく頼む、惺陽」