「何の真似だ」
刹羅の鋭い視線が私を射抜く。
震えそうになる足。
抜けそうになる腰。
それらを必死に堪えて私は立つ。
「お前は俺の目的ではない。逃げたところで追いはしない。だからどけ。貴重な命を無駄にするな」
刹羅の眼光が強くなる。
心臓の鼓動はさらに早く脈打つ。
逃げたい。
でも……もう私は逃げない。
「ここでブリードさんを殺させはしない。私が守って見せます」
「ラン殿......」
私は腰に差した剣を抜く。
「あくまで俺の敵として立ちはだかる訳だな。であれば、仕方がない。望み通り殺してやる」
刹羅が構えをとる。
再び圧倒的な魔力が私の前に立ちはだかる。
そんな絶望的な状況の中で。
私は全神経を集中させる。
「〈
身体の中を魔力が巡っていく。
対象者のあらゆる能力を強化する私のとっておき。
一度に複数のステータスを強化できる上位の魔法だ。
その代わり消費魔力は他のステータス支援魔法に比べて、格段に多い。
でも、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
「ほう……目付きが変わった。敵を倒さんとする戦士の目だ。来い、お前の全力を見せてみろ」
「行きます……!」
思いっきり地面を蹴る。
「っ……!」
一瞬で刹羅の懐へと踏み込んだ。
その勢いのまま、剣を振る。
キンッ!
弾かれた剣は火花を散らす。
剣を防いだのは腕。
それも強化しているのか途轍もない硬さをしている。
「まだ!」
力の限り剣を振り続ける。
隙を与えたら最期。
いくら魔法で強化していても、一撃でも喰らえばひとたまりもないだろう。
「そんな程度の攻撃では傷もつかん」
「……それでも!」
私は全力を剣に込めて振りかぶる。
「はぁぁぁぁぁぁ!!」
全力の一撃は刹羅に向かって確かに放たれた。
しかし、その剣は刹羅には届いていなかった。
否。
正しく言うなら、届いた上で完全に受け止められていた。
私の剣は刹羅の手にしっかりと掴まれていたのである。
「威勢は良かったが、それまでだ。俺には届かん」
刹羅が手に力を込める。
すると私の剣は簡単にポキリと音を立てて折れてしまった。
「あ――――」
パラパラと剣の破片が舞う中、最悪の展開が頭をよぎる。
ただ頭で分かってはいても、身体がついてきていないのが現実で。
「覇戒・撃」
私の身体に凄まじい衝撃が走った。
それと同時に浮遊感に包まれる。
しまった。
そんなことを思う間もなく、私の身体は林を抜けて、岩壁へと打ちつけられた。
「ぐっ......ごはっ......」
辛うじて意識は保っていた。
だが、朦朧とする意識に感じた事のない激痛が絶え間なく襲ってくる。
正直、もう立ちたくない。
このまま落ちてしまいたい。
でも、できない。
したくない。
ブリードさんをまもらないと。
その一心で瀕死の身体を何とか立たせる。
「まともに食らいながらまだ立つか。魔族ならともかくただの人間がよくやる。だが、その身体ではもう何も出来まい」
向こうから刹羅が近づいてくる。
一歩ずつ、その距離を詰めてくる。
どうする?
どうやってアイツを止める?
ぼんやりとした頭を必死に働かせる。
もう同じ強化では太刀打ちできない。
それ以上の強化でなければ、通用しない。
でも私には今が限界。
なら、限界を超えるしかない――――。
その考えに辿りついて、
私の意識は真っ白く解けていった。
私が意識が取り戻したのは何処でもない場所だった。
あるのは、目の前に扉が一つ。
なぜだろう。
知らない、分からないはずの扉なのに、開けなければいけない気がして。
私は扉を開けようと一歩を踏み出す。
さっきまでの激痛も身体の重さも何もない。
驚くほどにその一歩はスッと出た。
そこまで時間はかからずに私は扉にたどり着いた。
扉に手をかける。
「開けるの?」
私が手に力を込めようとして、声がした。
「え?」
「その先にあるものはきっと貴女を苦しめる。貴女がこれから先、穏やかに暮らしたいのなら開けてはだめよ」
扉にかけた手が少しだけ緩む。
それまでなかった躊躇いが私にブレーキをかけている。
「でも、それを受け入れて進む覚悟があるのなら、開けなさい」
それを聞いて、
「私はもう……逃げません」
私の覚悟は決まった。
いや、決まっていたのだと思い出す。
扉を強く押す。
重たそうな扉はゆっくりと開いた。
「そう……強くなったのね」
そんな声を背中越しに聞きながら、私は進む。
「そのまま真っ直ぐ進みなさい。それは貴女を苦しめる――――でも同時に貴女を強くする可能性も秘めているもの。決して躊躇ってはだめ。信念を貫いていれば、きっと明るい未来が拓けるわ」
優しげな声。
何度か聞くうちに何処か懐かしさを抱く。
「……あなたは、誰ですか?」
「私はフィオネ。貴女が進み続けば、いずれ会うこともあるでしょう。その時を楽しみにしているわ、ラン」
「私の名前を?」
「ふふっ、私たちは一度会ったことがあるのよ。貴女は覚えていないでしょうけど」
「それはどういう――――」
私の問いは遮られる。
突如として目の前に現れたもの。
その姿は私の言葉を奪うには十分だった。
「お前も求めるか。我が力を」
別の声に意識が切り替わる。
その時にはもうフィオネとの名乗った人物のことは頭から消え去っていた。
その声の主は。
貴金属のような煌めきを放つ銀色の毛。
その中に、負けじとより一層光り輝く目。
さらには、ギラリと並んだ牙と爪。
扉の先にいたものとは、恐ろしい巨狼だった。
恐ろしいはずなのに、私の目は釘付けにされていた。
芸術品のような美麗さに?
違う。
眩いばかりの輝きに?
違う。
私が見入ったのはその異様さ。
およそただの獣が持つものではない気配を有していた。
その気配は巨狼の周りをまるで実体を持つかのように蠢いている。
一瞬でも目を離せば、襲いかかってきそうな威圧感すら放っている。
「我は拒まぬ。弱き者はただ喰らわれるのみ。我が力、お前に使えるか」
蠢く気配は私へとゆっくり近づいてきた。
身体は硬直して動かず、もはやどうしようもない。
なす術もなく、私はそれに呑まれる。
そして再び、私の意識は途切れるのだった。