刹羅は一歩一歩、ランとの距離を縮めていた。
相手の全力を受け止め、それを打ち砕いた。
そういう手応えがあった。
もはや勝利も同然。
刹羅自身も勝利を確信していた。
だからこそ、その瞬間に何が起こったのか分からなかった。
「は?」
事態を把握してなお、理解が追いつかず、拍子抜けした声を漏らした。
目の前にいたランが消えた。
ここまではいい。
もはや虫の息だった。
勝負は決したのだから、目的のブリードさえ殺せれば後はどうでもいい。
問題は刹羅の身に起きたことである。
鍛え上げられた屈強な身体。
その身体にあった2本の腕は今や右腕を残すのみとなっていた。
たった一度、瞬きをした間にそれは起こっていた。
何が起こった?
誰にやられた?
腕を切られた痛みよりもそちらに意識が向いていた。
考えを巡らせる中で波立っていた心が次第に落ち着きを取り戻す。
そしてあることに気づいた。
それは自分の背後にある異様な気配。
冷たく全身を刺すような魔力の気配だった。
「あれは……何だ?」
後ろにいたのは紛れもなくランである。
だが、一目見て疑問を感じるほどにその姿は一変していた。
全身が白いオーラに覆われ、髪の色までも白く染まっている。
髪は僅かに逆立ち、およそ今までの少女のものとは思えない鋭い眼光。
人というよりは獣のような姿だった。
「まだ見せていない力があったか。……腕の一本分くらいは楽しませてもらうぞ」
刹羅は不敵に笑う。
「参る!」
軽々とランとの距離を詰め、攻撃のモーションに入る。
「はか……」
拳を繰り出そうとして気づく。
もうそこにランはいなかった。
「くっ……覇戒・鎧!」
背後の気配を悟り、防御に切り替える。
直後、背中に衝撃が走る。
「(重い。これが本当にあの女の一撃か……?)
まるでさっきとは違う重み。
刹羅は一抹の疑問と未知なるものへの恐怖すら抱いていた。
「だが……ここで負けてなるものか!」
倒れそうになる身体を何とか立て直す。
攻撃の構えを取る刹羅。
だが、少女のスピードは刹羅の認識を遥かに超えていた。
「(全く姿が捕らえられない。気配はするが掴みきれん)」
考えを巡らせる内にも、ランからの攻撃は飛んでくる。
まさに縦横無尽。
全方位から絶え間なく襲ってくる攻撃に刹羅は防戦一方であった。
「(……このままでは埒があかんな。致命的ではない攻撃は無視。奴の軌道が俺の間合いと重なった時が勝負……!)」
ランの体力は既に限界。
今動けているのは、退けない、負けられないという思いを膨大な魔力で無理やり実現しているためである。
もう一度意識を失えば、ランが戦うことはおろか立つことすらできないだろう。
故に刹羅は一撃を当てるだけでいい。
そのことを見抜きこそしていないが、刹羅の取った方針は理にかなっていた。
刹羅は構えを取ったまま、精神を研ぎ澄ませる。
防御の術も捨て去り、ただ一度の好機に魔力を集中させる。
身体を切り裂かれる痛みには目もくれない。
状況を打開するための一撃を叩き込むことだけを考える。
この時、刹羅は完全とはいかないまでもランの動きを捉えつつあった。
それは刹羅の並外れた戦闘センスによるものではあるが、もう一つ理由があった。
刹羅を圧倒する程のスピードを得たランではあるが、完全に制御が出来ている訳ではなかった。
ランは限界を超えた身体を精神と魔力で持ち堪えている状態である。
いわば半無意識下であり、通常時のような判断は難しい。
ランの中には倒すべき敵は見えているが、それに対する駆け引きは不可能なのである。
ただ前の敵に全力で向かっていくだけ。
スピードで圧倒していても、それではどうしても攻撃が直線的になってしまうという隙が出る。
その隙を刹羅は本能的に捉え、動きに予測を立て始めていた。
「(何となくだが、軌道は掴んだ。あとは俺の間合いに深く踏み込んだ時が好機……!!)」
ランに刹羅の狙いなど知る由もなく。
自分の身体が許す限り、攻撃を続ける。
そして、勝負の時は来る。
ランの軌道が刹羅へ最接近する。
「さあ来るがよい! 強き戦士よ!」
咆哮の如く、刹羅が声を上げる。
構えられた右腕には凄まじい魔力を帯びている。
それは片腕に煌めく閃光の槍。
向かってくる少女を敵と認め、打ち砕かんと放たれようとしているもの。
「覇戒・閃煌槍!!」
流星と見紛うばかりに光がランへと伸びていく。
紛れもなく刹羅の渾身の一撃。
今度こそ勝利を確信した。
限界を超えてなお、ここまで喰らい付いたランを戦士を認め、自らが持つ最大の力を出した。
そしてそれはランを倒せるほどの力であると自負していた。
その光景を見るまでは。
閃光が少女を飲み込む刹那。
少女は変貌した。
その姿は正真正銘の獣という他なく。
魔力はまるで別人のように増大した。
ゾクリと背中を抜ける気配。
得体の知れない感覚に恐怖すら覚えていた。
「お前は一体――――」
力に生きると決めた時から怖気づくことなどないと思っていた。
だが、あまりにもその出来事は理解の範疇を越え過ぎていた。
強者同士の戦いにおいて、例え一瞬であろうとも隙は致命的。
恐怖という精神の隙が、勝負の分かれ目となった。
一度気圧されたことで、ほんの僅か刹羅の手元が狂う。
「――――くっ」
気づいた時には既に遅く。
少女に合わせて放たれた閃光槍はすんでのところで外れる。
「――――ふっ、これまでか」
最強の一撃を外す様を見て、刹羅はポツリと漏らす。
迫るは獣の刃。
自らを襲う、その凶刃を刹羅は一時も目を離すことはなく。
ただ真っ向から全身で受け止めるのだった。