決着。
屈強なる鬼は獣と化した少女に敗北した。
鬼の身体には深々と裂傷が刻まれており、今も血が流れ出ている。
ブリードはその凄絶な一部始終を目の当たりにしていた。
全てを見ていたブリードですら、何が起こったのか理解できてはいない。
ただここにあるのは、倒れ伏した鬼と立ち尽くすだけの少女。
この時点で、ブリードにはあるがままを受け入れる他なかった。
「ラン殿!」
ブリードは動く気配のない彼女に駆け寄る。
身体は重く、魔力は十全ではない。
だが、自分を守るために激闘を制した少女に駆け寄らずにはいられなかった。
「ラン殿! ラン殿! 私の声が聞こえるか!」
ブリードの声掛けも虚しく、返事は返ってこない。
その瞳は虚であり、生気すら感じられない。
当然、魔力の気配も然り。
「ラン殿……」
全く生命活動が感じられないランにブリードは肩を落とす。
若き少女が縁もゆかりも無い地で果てるなど、あまりに救いがなさ過ぎる。
この勝利の代償は途轍もなく重い。
自分がもっと戦えていたなら。
もっと早くにレガノスと戦う決意を固めていたなら。
そんなもしもがブリードの中を埋め尽くしていく。
「これは私の咎か――――」
自責の念から出た言葉。
口に出したとて変わることのない現実。
言葉にすることでその重荷が軽くなる訳ではない。
それは自らのエゴか。
考える度にブリードの心は苛まれていく。
しかし、このままにしておくことも出来ない。
ひとまずは安全な場所に運ぶべきだろう。
そうランに手を伸ばそうとしたところで。
「――――全く、分からぬものだ」
どこからか響く声。
重くも消えかかりそうなか細い声は聞き覚えのある声である。
その主を想像して、落ち着きかけた身体に緊張が走る。
「……刹羅。貴様は深手を負ったはずではなかったのか」
噓であってほしい。
そう願いながら、想像した声の主へと言葉を投げる。
「ああ、これは深手だとも。少なくともしばらくは動けん。だが、死に至るほどではない」
大きな裂傷はそのままに、僅かな魔力を感じる。
その気配は徐々にではあるが、大きくなりつつある。
「鬼種の生命力……これほどまでか」
「とはいえ、あの太刀筋が冴えていればこうはいかなかった」
空を仰ぎながら、刹羅は笑う。
「それはラン殿を愚弄しての言葉か?」
ブリードの声に怒気が混じる。
「そうではない。未熟でありながら、この強さであることを讃えているのだ。いずれ完成された力と交えてみたいものだ」
「貴様……! 何を抜け抜けとッ! 貴様と戦ったことでラン殿は……もう……」
ブリードは立ち尽くすだけのランを見る。
「……ほう、命すら出し尽くしたか。ランといったか、あの者はまさしく戦士であったのだな」
「刹羅ッ……!」
「であるならば、戦士として俺もそれに応えねばなるまい」
そう言って刹羅は懐から何かを取り出し、ブリードへと投げた。
「……何だこれは」
「鬼種に伝わる秘宝、鬼命仙だ。それは鬼の生命力を注ぎ続けて作られた秘薬。あらゆる病や傷を治すだけでなく、命すら生み出すと言われている」
「命を……生み出すだと?」
ブリードは逡巡する。
敵から渡された得体の知れないもの。
真実であれば、ランを助けられる。
しかし正直、眉唾物の秘薬である。
そう簡単に使用することはできなかった。
「警戒するのは分かる。だが、俺は戦士の誇りを汚す真似はしない」
「刹羅……」
刹羅は紛れもない敵である。
それは少しも揺らぐことのない事実。
ただ、自分が見たものを素直に捉えるのであれば。
ブリードが見た、戦いの中での刹羅は誇り高い戦士そのものであった。
敵を信じることはできない。
それでも、認めたくはなくて、本当に業腹ではあるが。
ランを助けられるなら。
その一点で刹羅の言う誇りは信じることができた。
「……この秘薬を飲ませればいいのだな?」
「そうだ。時間はかかるだろうが、次第に意識を取り戻すだろう」
ブリードは渡された小瓶の栓を開ける。
立ち尽くす少女を地面に寝かせ、ゆっくりと口の中に秘薬を流し込んだ。
「これは――――」
流し込んでいる秘薬を目の当たりにして、ブリードは言葉を失った。
何という生命力の濃度だろうか。
小瓶に詰められている時は感じなかったが、実際に見ると、その凄さが分かった。
まるで生きている。
そう思わせるほどの生命力をその秘薬からは感じられた。
命を生み出すという謳い文句も今ならば信じられる。
これは確かに秘薬と言われるほどの一品である。
その効果はすぐに現れた。
枯れ切った身体からじんわりと温かなものが湧き出してくる。
それは荒野に芽吹く草木のように。
「――――っ」
声にならないような音がランから漏れる。
「ラン殿!」
ブリードはランに声をかける。
発せられたのは声ともつかない、それだけ。
だが、明らかに血色が戻り、呼吸も再開している。
「心配するな。息は吹き返した。後は寝かせておけば、いずれ目を覚ます」
取り乱すブリードに刹羅は淡々と告げる。
「……一応、感謝はしておく」
「礼などいらん。俺はより強き者との戦いを望むだけだ」
その言葉とともに刹羅は身体を起こし、立ち上がる。
「貴様、もう動けるのか……」
「動けるといっても、少しだけだがな。これでは貴様らを殺すことすらままならんな」
クックックと声を上げて、刹羅は笑う。
その様子にブリードは鋭い視線を向ける。
「そう睨むな。此度はこれで手打ちだ。敗北の後にみっともなく足掻くつもりはない。再び合間見えることを楽しみにしている」
それだけ言い残し、刹羅は去っていく。
死闘を演じたはずのその足取りには、重さは感じられない。
少しもしない内にブリードの視界からは見えなくなってしまった。
「ふう……ひとまずは去ったか」
張り詰めていた緊張感が消え、辺りには静けさが戻る。
刹羅が去り、身体から力が抜けていくのを感じた。
「後はレガノスか。あれは易い相手ではない」
ここではない場所でおそらく死闘を繰り広げているだろう2人のことを思う。
「ディノ、ゴルドー殿。大事なければよいが……そうもいかんのだろうな……」
自分の不甲斐なさを飲み込んで、ブリードは祈る。
そして未だ眠るランを抱えて、治癒士の下へと急ぐのであった。