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第2話:蝶の鱗雲①

   『調査対象:蝶の鱗雲(うろこぐも)』



「ソラト、遅い!」


 アパート近くのファミリーレストラン。きょろきょろと辺りを見回している俺に気づいたアオイが、席から立ち上がって手を振っている。


「2分遅れただけだろ」


「その2分が命取りになる時あるじゃん」


「どんな時だよ」


「数量限定のパフェが……売り切れちゃった時とか」


「はぁ」


 呆れ顔でボックス席の対面に座った俺は、頬を膨らませるアオイを見た。


 アオイは俺の仕事におけるバディのようなものだ。別に元から知り合いで仲が良かったとか、そういうわけではない。住んでる場所が近くて、歳が同じというだけで、会社が適当にマッチングさせただけだ。とはいえこの仕事を始めてから3年、気心の知れた関係になりつつある。少なくとも俺は、そう感じている

 短い髪で縁取られた子供っぽい顔の中央、ジトっとした半開きの目がテーブル上のタブレットを眺めている。背も小さくて、一見すると生意気で陰気な少女のようだ。


 数分すると、配膳キカイがコーヒーを運んできた。

 このレストランでアオイに会うと、俺はいつも初めに一番安いブラックコーヒーを注文する。その行動パターンをこいつが学習したのだろう。コーヒーを受け取り、配膳キカイの横にあるカードリーダーで支払いを済ませる。


 コーヒーを啜った。

 いつもと何一つ変わらない味だ。

 昔はこのコーヒーだって、人が淹れて、人が配膳していたらしい。なんとも無駄な作業のような気がするが、それ故に温かみがあるような気もする。



   *   *   *



 今や世界は、キカイによって回っている。


 発達した人工知能が人間に代わってあらゆる創造を担うようになってから四半世紀。

 科学が発達しすぎた世界では人とキカイの戦争が起きるーーそんな荒唐無稽な考察が骨董品のSF映画で描かれていたらしいが、実際のところそんなものは起こらなかった。機械が自我に目覚めることはなかったし、人は今でも機械を己の快適さのために使い続けている。


 人の持つ情報を『エサ』として食わされ続けたキカイは、やがてそれらの情報を元に、人間に適した様々な物を創造するようになる。それは道具であり、食べ物であり、娯楽や芸術作品だった。

 このレストランで流れている音楽も、隣の席で中年のおっさんが読み耽っている本でさえも、今や人が創造したものは何一つとしてない。


 様々な分野の創造主がある中で、娯楽や芸術を創造するそのキカイは『ミューズ』と呼ばれていた。莫大な情報の海から拾い上げた断片を重ね合い、繋ぎ合わせ、ミューズは様々な芸術や娯楽作品を生み出していく。人の心を癒し、慰め、時に鼓舞するため。


 ただし、ミューズは人の感情を理解できない。

 キカイらしく、ただランダムに収集した情報を磨き上げ、輝く泥団子を宝石に見立てようとする。


 その創造に終わりなどない。


 だからミューズには、人の心を揺さぶる新たな「感動」を食わせなければならない。今を上回る芸術や娯楽を、ミューズが生み出し続けるように。



   *   *   *



「次の調査って、『蝶の鱗雲』っていう現象が目当てだってさ」


 運ばれてきたエビフライを食べ尽くしたアオイは、俺の皿に乗っているハンバーグを見ながら言う。


「蝶の鱗雲?」


 左手を皿の前に立てて、物欲しそうなアオイの視線を遮る。俺は食べるのが遅いため、いつもアオイに食事を狙われてしまう。


「瑠璃色の蝶が夜明けとともに一斉に飛び立って、空を青く埋め尽くす現象らしいよ。資料によると」


「へぇ」


 その様子を想像してみたが、上手く絵にならなかった。空を埋め尽くすほどの蝶が集まるなんて、にわかには信じ難い。


「えー、生息地帯はリモーア山脈の広葉樹林だって。ここから北に大体600キロくらいだね」


「そこまで遠くないな」


「なんと『ムツキが複数体生息しているから注意』だそうです」


 『ムツキ』は四足歩行をする毛むくじゃらの肉食哺乳動物だ。山の生態系では頂点に立ち、人間が素手で挑もうものなら、首と体は別れを惜しむ暇もなく引き離されるだろう。


「一筋縄じゃいかないな」


「そりゃそーだよ。簡単に拝める絶景ならさ、私らワースレスを使わないでしょ」


 アオイは自重気味に笑うと、グラスの底で薄まったジンジャーエールを飲み干し、溜息をついた。そんなアオイの憂いに満ちた表情に、俺は微かな胸の痛みを覚える。その一瞬の隙をつかれ、俺の食べかけのハンバーグは宙を舞い、アオイの口に飛び込んでいった。


 この世界には、命の危険と背中合わせに立って、初めて見れる景色がある。


 その絶景を前にして、俺達の中に湧き起こった様々な感動は、ミューズのエサとなり新しい創造の糧となる。 


 その安っぽい命を賭して、見聞きした景色や内面で生み出した感動を、エサとしてキカイに献上する食事番。

 いわゆる価値ある者達は、そんな俺達の事を侮蔑の意を込めて、無価値者(ワースレス)と呼んだ。



   *   *   *



「瑠璃色の蝶なんて、何処にもいないじゃん」


 枯れた木の枝を踏み締める音に紛れて、アオイは悪態を吐いた。

 ファミレスでの打ち合わせから約60時間後、俺とアオイは件のチョウを探して、生息地とされる森の中をひたすら歩き回っていた。休憩をとりながら丸2日近く歩き回った事になるが、クモやヒルなどのどうでもいい生き物は現れるものの、件のチョウは一向に姿を現さない。

 日は完全に沈み、宵闇で餌を探す小動物と、それを狙う鳥類の鳴き声が聞こえてくる。

 着古したマウンテンパーカーが泥と汗で汚れ、身体を動かすたびに汗臭い臭いが首元から上がってくるような気がする。


「あー、もう諦めて、帰ってお風呂入りたい」


 アオイがぼやく。


「そうなると、ここまでの移動費が補償されないから、ただ金を払って森をさまよっただけになるよ」


「わかってるけどさぁ」


 アオイは大袈裟に溜息を吐く。彼女はこの仕事をするには、忍耐というものが少々足りていない。


「資料には何も書いてないのか? そいつの生態とか、生息地とかさ……」


「書いてない。この辺に生息してるらしいってだけ。そもそもこの資料の内容が毎回ふわっとしすぎなんだよ。こんなのわかるわけないじゃん」


「簡単に発見できるなら、それこそヘリかなんかで飛んで来てデータ収集すればいいだけだからな。それが出来ない面倒な案件だから、俺達みたいな捨て駒がマンパワーで探すんだよ。それにーー」


「『苦労が幸福に転じる振れ幅こそ、ミューズの求める感動だ』でしょ? 聞き飽きたから、その上級国民の戯言」


 そう吐き捨てて、アオイは言葉を切る。そろそろ休憩したいが、歩き続けなければ何も得られぬまま3回目の朝を待つことになってしまう。


「どうなんだ? 結婚資金、溜まったの?」


 そんな時、俺達は未来の話をする事にしている。

 社会的に価値のない俺達、各々が掲げる目的の為にいつ死ぬかもわからないこの仕事を続けている。未来の自分達のビジョンを少しでも明確にして、この苦境を乗り切る活力にしたかった。


 問われたアオイは首を振る。


「ううん、全然。カレシの行方を探すだけで、お金の大半が消えちゃうから」


「そっか、大変だな」


 姿をくらましたカレシを見つけ、結婚資金が溜まれば、アオイはこの仕事を辞めるだろう。そしたら俺にはまた別のバディが適当にあてがわれる。

 いや、本当は結婚資金なんて無意味なんだろうなと、俺は感じている。アオイと婚約してたくせに、何も言わずに失踪した無責任なカレシとやらは、きっとどこかで別の女と仲良くしているか、どこかで死んでいるに違いない。

 でも、その仮説に納得してしまえば、アオイはこの仕事を辞める。だから俺はそのカレシの抱える矛盾について何も言及しない。

 そんな俺は卑怯者だろうか。


「ソラトはどうなの? 個展を開く資金、あとどれくらい?」


「予定金額の半分くらいかな」


 3年この仕事を続けて半分だ。単純計算であと3年はこの仕事を続ける事になるだろう。


 そもそも現代社会では、ミューズが生み出した緻密で煌びやかな絵画がそこかしこに溢れている。様々な情報と様々な感動を混ぜ合わせて作った、神が作りし究極の創作物だ。

 画家という雨ざらしの看板みたいに錆びついた人間が、たった一人の感情を描いたちっぽけな創作になど、人々は砂粒ほどの価値も認めないだろう。


 だけど俺は、自分の絵をこの世界に示したかった。

 俺が目にして感じてきた感動は、無価値なんかじゃない。血の通わないキカイの中で混ぜ合わされた創作より、一人の人間が全身全霊を込めて描いた絵の方が、心のより奥底に染み入って、それぞれ違った模様を生むはずだ。


 俺はそれを証明するために、この仕事を続けているのかもしれない。


 ーー不意にアオイが立ち止まる。


 訝しむ俺を右手で制し、唇の前で人差し指を立てると、その指を前方へと伸ばした。


 数百メートル先で黒い塊が蠢いていた。

 虫の鳴き声しか聞こえない、死にかけの野良犬の吐息のように脆弱なこの森の中で、そのかたまりの存在感は余りにも強烈だった。


『ムツキ』だ。


 俺は心の中で呟く。

 歩き疲れて熱った頬を、一筋の冷たい汗が流れた。

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