銃口を突きつけられた男は、長い溜息の後にボサボサの前髪の隙間から鋭い眼光を覗かせた。片手でズボンのベルトを締めながら、アオイは舌打ちをする。
「覗きは犯罪なんですけど」
いや、そこじゃないだろ、と俺は心の中で反論する。今ここで論ずるべきは、その男が何者なのかと、そんな正体不明の男の頭に問答無用で銃口を突きつけているアオイの暴挙についてだ。
公的には無人島とされる土地で出会った、いかにも文明から隔離されたような容貌の男。カメさんの話が真実ならば、おそらくこの男は『大樹を神木と崇める集団』の一人なのだろう。
仮にそうだとしたら、俺たちは彼らのテリトリーの中で、彼らにあからさまな敵意を示してしまった事になる。
「おいアオイ、一旦それを下ろしてーー」
「別に、覗きたくて覗いてたわけじゃねーよ」
俺の声に被せるようにして、男は髭に覆われた唇から掠れた声を発した。
その朽ちた流木のような容姿とは裏腹に、その声は高くて若々しく生気に溢れていた。その違和感に脳がバグるような感覚を覚える。
そして、男の放った言語が俺たちと共通のものだと気が付く。どうやら文明から完全に隔離されたコミュニティで世代を重ねてきたわけではないらしい。
「私達は、ただ様子を見ていただけなんだがね」
不意に、俺の背後からも声がした。振り向くと更に2人の男が、俺の脇腹と首元に何かを突きつけていた。視界の隅に、錆びた金属の板が写り込む。
おそらくナイフ状の刃物だろう。
「おい女、その銃を下ろさないと、この男が死ぬぞ」
ナイフの先が脇腹に食い込んだ。氷を押し付けられたような冷たさの後に、じんわりとした温かい感覚が広がっていく。
「やってみな。そいつは狂犬だから、たとえ両腕切り落とされても、あんたら2人の喉を食いちぎるよ」
無茶言うなよ。
俺は引き攣った笑顔で、脇腹にナイフを突きつける男を見た。伸ばし放題の紙を後ろで縛っていて、アオイが銃口を向ける男よりはいくらか小綺麗な印象だ。
もう一人の男はかなりの巨漢で頭頂部の毛が薄く、神経質そうに鼻の穴を震わせている。
どちらと戦ったとしても、俺が暴力で勝てる要素は一切ないだろう。
「その狂犬は、耳を倒して震えてるが?」髪を縛った男が首を傾げる「さっきも言ったが、私達は様子を見ていただけだ。君らに危害を加える気など無い。そちらがその気なら、話は別だが……?」
溜息を吐いたアオイは「ばーか」と悪態を吐いて銃を下ろした。銃口を向けられていた男の肩から力が抜ける。
「様子を見ていたってどう言う事ですか?」
間髪入れずに俺は尋ねる。質問を重ね、会話の主導権を握らなければ、次のこいつらの行動が想像できない。
「言葉通りだ。お前達がなんの害もない存在だと判断したら、そのまま泳がすつもりだった。まあ、そっちの女が先に喧嘩をふっかけてきたのだから、そういうわけにもいかなくなったが」
髪を縛った男が答える。見たところ、こいつがこの中ではリーダー的な立場であるらしい。
「見つかるようなヘマをしたあんたの仲間が悪いと思う」
アオイはボサボサ頭を睨みつける。
「あの、これから俺たちは、どうなるんですか?」
「さあ?」髪を縛った男は素っ気なく返す。「私じゃ判断ができないから、村に戻って『先生』に判断してもらおうと思う」
「ムラ、ですか……」
やはり、この森の中にコミュニティを形成して生活しているようだ。
この地に根を張る原住民族にしては余りに文明慣れしているし、きっと後天的にこの地に赴いた集団なのはまず間違いない。ならばその目的は何だ? やはりカメさんの言うとおり、今回の調査対象である大樹に神秘性を見出し、それを奉る事で何らかの救いを求める集団なのだろうか。
「しばらく歩けば村に着く。少し付き合ってもらう」
髪を縛った男はそう言って俺の肩を押した。
先頭をボサボサ頭の男、その後ろを俺とアオイが続き、後ろでは髪を縛った男と巨漢が睨みを利かせている。
「はあ」
アオイは歩きながら、不満そうに何度も溜息を吐いた。
「はあ、じゃないよ。威嚇のつもりかもしれないけど、一つ間違えたら殺し合いになってたぞ?」
小声で囁く俺の声は、隣を歩くアオイには聞こえても、踏みつける腐葉土の音にかき消され、前後の男達には聞こえないだろう。
アオイは言葉よりも手が先に出る傾向がある。
場合によっては心強いが、場合によっては危なっかしい。
「だって、お花摘みを見られたかもしれないんだよ? 彼氏にだって見られた事ないのに……」
「まあ、それはショックかもしれないけど」
「脳天を撃ち抜いて、その記憶を物理的に消滅させてやりたい」
前を歩く男の後頭部を睨め付け舌舐めずりをする。
こんな理由で殺されたんじゃ、目の前の男も浮かばれないだろうなと思う。
「とりあえず、彼らの言う『先生』に会ってみよう」
俺は努めて冷静に言う。
アオイが冷静さを欠いているのであれば、俺が冷静に思考しなければならない。持ちつ持たれつの関係は、数年の付き合いで板についてきている。
本当は予期せぬ事態に心臓が飛び出しそうなのだが……。
「もともと彼らと争う気なんてないんだから、問題なく解放されると思うし。もしかしたら、調査対象である大樹の詳しい場所だって教えてもらえるかも」
そうなれば、さっさと調査を終わらせてこの島を出ればいい。
「アオイは、余計な事するなよ」
「今の今まで、余計な事は何一つしてないつもりだけど」
「じゃあ、余計じゃないこともするな」
今度は俺が溜息を吐きたかったが、一つだけ気になることを思い出す。
この島にやってきたワースレスの多くは、行方をくらませている。その件について、この集団は何かを知っているのだろうか? 危険な場所や、ムツキのような猛獣が生息しているのなら、早めに知っておいた方が得策だろう。
「あの、一つ聞いていいですか?」俺はおずおずと後ろを歩く男に尋ねる「この島に、これと同じようなバックパックを背負った人達が、度々やってきてたと思うのですけど……」
言ってから、横目で髪を縛った男の顔色を伺う。男は表情を変えず、目線だけ頭上に茂った木の葉へと向けた。
薄暗い広葉樹林は甘ったるい腐葉土の匂いが漂う。風に揺れる木の葉が作り出した、逃げまどう羽虫のような光の粒が、髪を縛った男の黒ずんだ肌の上を飛び交う。
「お前達は調査員ーーワースレスだな」
男からワースレスという言葉が出た事で、俺は面食らってしまった。やはり、この男達は島にやってきたワースレスを知っている?
「そうなんです。同じような人達がこの島にやってきて、帰ってきていないから……何か予想出来ないような危険があるのかな、と思いまして」
「そうか」
「皆さんは、何か知っていますか?」
その質問にも男は表情を変えず、長い沈黙を弄んだ。
そして広葉樹の傷口から滲み出る、粘性のある樹液のような口調で、ゆっくりと言い放った。
「そいつらは、私達が、殺したよ」