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第13話:アオイと終の記憶③

 そして、時は遡る――


 腹部から大量の血を流し、バディの男が倒れていた。

 その上にはムツキが1頭、覆い被さるようにして倒れている。


 男の手には回転式拳銃が一丁。ムツキが口腔から大量の血を流して息絶えているところを見るに、口の中から頭部へと弾丸を打ち込んだのだろう。自身の腹部を食い荒らされながら、彼は牙の隙間に銃口を差し込み、引き金を引いたのだ。


 アオイは男に駆け寄り、指先で首筋に触れた。まだ脈はあるようだ。彼に覆い被さっているムツキを足で押し退けると、苛立ち紛れにその眼窩へと弾丸を叩き込んだ。


 調査は滞りなく終わった。


 しかし帰りの道中、親子連れのムツキと遭遇してしまったのが運の尽きだった。


 近年はムツキの生息域が広がってきている。気候変動による餌の減少が原因で行動範囲が拡大していると、夕方のニュースで見た気がする。

 警戒を怠り早々とムツキ避けの音波を切ってしまった事が原因だとすれば、これは運の良し悪しではなく人災だろう。お互いに気も漫(そぞ)ろだったのだ。


『早く帰って、彼女に謝りたい』


 そう彼は言っていた。


『彼女と喧嘩したんだ。自分との将来を考えてんなら、こんな危険な仕事はやめてほしいって懇願されてさ。それにカチンときちゃってね……。俺だって二人の将来の為にやってるんだよって、怒鳴り返しちまって』


 そしてタバコに火をつける。


『でもな、今回の調査中、ずっと考えてたんだ。俺の帰りを待っている彼女の気持ちとか、色々とさ……。確かにね、もし俺が逆の立場だったとしたら、死ぬかもしれない彼女を待つ日々なんて、たとえ数日だとしても心が壊れちまうよ』


 頬を撫でる風が心地よい。


『だから……悪いなアオイ。帰ったら俺は、この仕事を降りようと思う。彼女と二人、慎ましやかに生きていこうと思ってる。この決意が薄れないうちに、早く彼女に謝って、そう伝えたい』


 唇の隙間からタバコの煙を吹き出し、気の抜けた顔で笑う。そんな死亡フラグみたいな事を言いやがって――と悪態をつきながら、アオイは幸せ顔のバディに、自分の感情を重ねた。


 そんな彼の顔面には、いまや大量の血が塗りたくられている。


 アオイが彼と離れた、ほんの一瞬の出来事だった。


「ふざけんなよ……」


 アオイは自分の上着を脱いで彼の腹部にあてた。

 ぐにゃりとした感覚と生温かさ、上着はみるみるうちに血で濡れていく。出血量が尋常ではない。このままでは確実に死ぬ。早く、助けを呼ばないと。


 アオイは携帯デバイスで会社にレスキューを要請した。捨て駒の程度の命だが、費用さえ払えば会社はレスキューを手配してくれる。


 そしてアオイはあたりを見回した。


 要請はしたものの、場所が悪い。

 ここではレスキューヘリがこちらを見つけづらいし、救助も難航するに違いない。

 一分でも輸血が遅れれば、きっと彼は死ぬ。ならばこのままここに止まる事よりも、もう少し開けた、救助が容易な場所に移動する方が得策なのではないか。

 それに視界の悪いこの場所では、周辺を徘徊する別個体のムツキと遭遇する可能性だってある。この状態で襲われでもしたら、二つの死体が野晒しで転がることになるだろう。


 アオイは上着で男の腹部を圧迫する。そしてゆっくりと彼を持ち上げ、背負った。その両足には自分の倍以上の重量がのし掛かる。膝が悲鳴を上げていたが、キツく噛み締めた奥歯でその悲鳴を抑え込む。


 そして、アオイは歩き出した。



   *   *   *



 崖の手前の少し開けた草原で、俺とアオイは並んで座ってる。

 日は傾きつつあるが、近隣の都市から飛び立ったヘリがここに到着するまであと1時間ほどとの事だから、日没までにはこの場所を離れられるだろう。


 山肌を撫でる風を受けて、アオイは自身の中にある『首狩り』の記憶を語る。


 俺は無言で、その細い声に耳を傾ける。



   *   *   *



「なあアオイ、頼みが、あるんだ……」


 アオイの背中で揺られながら、意識を取り戻した彼は風に晒された蝋燭の火のように言う。


「俺が死んだら、俺の首を、持ち帰ってくれ……」


「は? バカ言わないでよ! 死ぬわけ、ないでしょ」


 苛立ちを隠さずにアオイは叫ぶ。口を開けば、脚の力が抜けて崩れ落ちそうだ。自然とその語気は強くなる。


「持ち帰って、俺の最後の記憶を、彼女に、見せてやって欲しい……」


 アオイは無言でその言葉の意図を思案する。


 柔らかい土に足が沈み込み、バランスを崩しそうになりながら、二人は亀の行進を続けた。


「俺は、死ぬまで、彼女を思う……。死ぬまで、ありがとうって、言い続ける……。別れようって、言ってしまったけど、あれは嘘なんだ、ごめん、ごめんよ……」


 それは、もはや届けることの出来ない、彼女へ向けた辞世の句だ。言葉を尽くしても言い表せない、愛の言葉だ。

 痛みと、迫り来る死の恐怖を押し殺して、彼は恋人の事だけを思い続ける。


「彼女の見る、さいごの俺は、きっと、笑ってなきゃ、いけないんだ……」


「……大丈夫、死なないから」


 アオイはそう返すしかなかった。

 しかしそんな彼女の言葉も、もはや彼には届いていないようだった。


「スミレ、ごめんなぁ……、おれ、ほんとに、おまえのことを……」


 そう呟く声は徐々に小さくなっていく。

 アオイが一歩踏み出すたび、彼の魂は、身体から離れていく。背中から伝わる実感を否定するように、アオイは叫ぶ。


「死ぬな! そんなに大事なことなら、ちゃんと自分の口で言えよ!!」


 返事はなかった。


 もはや呟きすら聞こえない。


 そして、やがて耳たぶに微かに感じていた彼の吐息すら、止まった。


 鳥が長く鳴いた。


 一人の人間の死を嘆く、慟哭のようにも聞こえた。


 でもそれは、人の奢りが生んだ偽りの感覚だ。この山では今この瞬間にも、何かが生まれ、何かが死んでいく。

 彼の死もまた、それらの一つにすぎない。


 自然の摂理に従って、一つの命が消えた、ただそれだけだ。


 アオイはゆっくりと彼を下ろして仰向けに寝かせる。そして携帯デバイスを彼の胸に置いて、画面を操作した。


『心拍停止、体温低下。コード:60502661の死亡が確認されました。このデータを登録しますか?』


 画面に表示された文字を無視して、再び同じ操作を行う。


『コード:60502661の死亡が確認されました。このデータを登録しますか?』


 やはり同じ画面が表示される。

 アオイはしばらく画面を凝視し『はい』の表示をタップした。


 そして空を仰ぎ見る。


 風の音に紛れて、自分の激しい呼吸音が聞こえる。


 カウントダウンのような、耳障りな音。


『俺は、死ぬまで、彼女を思う。死ぬまで、ありがとうって、言い続ける』


 そしてアオイは、腰からサバイバルナイフを抜き取り、彼の首にあてた。


 それは、赤く熟れた果実を割り、小さな命の種を取り出すような――



   *   *   *



「報酬のためじゃ、なかったのか?」


 俺はアオイに訊ねる。


「いやぁ、報酬なんて全く残らなかったよ。ほら、私たちが提供した記憶や感情の所有権は会社にあるわけだから、それを個人にもお裾分けするとなると、そこそこのお金を積まないと動いてもらえなかったんだよね。それに、余ったお金は彼女さんに渡しちゃったし」


「金が惜しくなかったのか」


「えー、意外?」


「いや、金のために首狩りをしたと思い込んでたから、なんかうまく飲み込めないや……」


「お金なんて、自分の心を殺してまで得るもんじゃないでしょ」


 アオイは日の沈みかけた空を見る。

 赤い空に、彼女はどんな思いを馳せているのだろうか。


「ソラトは、なんでワースレスをやってるの?」


 唐突な質問に俺は押し黙る。

 今まで何人かのバディと行動を共にしてきたが、お互いが何のために無価値者(ワースレス)をしているのかについては、語り合ったことはなかった。

 それぞれが『金』と『今よりもましな人生』を送るために、命を賭して働いている事は同じだ。そんなシンプルな構造だったからこそ、お互いがお互いに感情移入することなく、ドライな距離感を保つことができた。


 でも、もし相手の目的や夢を知ることができたら、お互いの絆はより深まったのかもしれない。


 それこそ、相手の願望を叶えるためなら、バディの首を切り落とし、首狩りと揶揄される事さえ辞さない――そんな関係を築けていたのかもしれない。


「……個展を、開きたいんだ」


 恐る恐る、俺は口を開く。


「コテン?」


「俺、絵を書いてるんだ、その絵を多くの人に見てもらいたくて……」


「絵を? 自分の手で描いてる?」陰気そうなアオイの目が見開く「え、すごい! それって子供のお絵かきじゃなく、ちゃんとした絵を自分の手で描いてるって事でしょ?」


「うん、ちゃんとしてるかはわからないけど」


「へーかっこいい! 今時そんな殊勝な人がいるんだ。ソラトって鈍臭くて弱っちくてカッコ悪いけど、夢はめちゃくちゃかっこいいね!」


「うるせーな」


 言葉とは裏腹に笑みが溢れてしまった。

 自分の夢を母親以外に言うのは初めてだったし、その夢が批判されることなく賞賛されたことが嬉しかった。


「アオイは?」


「ん」


「アオイは何のためにワースレスやってんだ?」


「えー、笑わない?」


「笑わないって」


「私はね、彼氏との結婚資金を貯めてるんだ」


 照れたように顔を伏せて、アオイは続ける。


「彼氏、今はどこにいるかもわからないんだけど、約束したんだ、戻ったら結婚するって。だから私はその時のために、結婚資金を貯めてる」


「結婚資金か、いいじゃん」


「ありがと」


 頷いて、アオイは顔を上げる。


「だからね、私は諦めないよ。資金を貯めて、彼氏と一緒になるまで、私は絶対にこの仕事を辞めないし、絶対に死なない」


 沈む夕日を見上げた顔はほんのり赤く染まっていた。


 その横顔を眺めながら、俺は心の中に日が昇っていくような温かな感情を覚えていた。


 愛しい人を思う、彼女の横顔。

 この時から俺は、枯れ果てることが宿命づけられた一輪の花に、心惹かれていたのかもしれない。



  *   *   *



 そして、時は現在へと戻る。


「やはり、彼の感動の鮮度はずば抜けているな。類稀なる感受性の高さだ」


 ソラトから抽出した『陽だまりの大樹』の記憶データを眺めながら、主任研究員のサクラコは深い溜息をついた。


 彼を選んだ自分の目に、狂いはない。


 彼ならばきっとーー


 何度となく繰り返したなぞって、その度に深めてきた思考の溝に、また同じように水を流す。


 自分が辿る道べき道を、迷わないように。


 夢の行く末を、忘れないように。


 照明を消して、ディスプレイ明かりだけがぼんやり浮かぶ部屋で、サクラコはこれからの道程に思いを馳せていた。



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