彼女を守るために、俺は初めて
『調査対象:創世の壁画』
それは曰く付きの代物だった。
とある洞窟に描かれたその壁画は、放射性炭素による年代測定から数千年以上前に描かれたものとされているが、複数の色を用いたその色彩は、過去の遺物と思えないほどに鮮やかだった。
いわゆる『オーパーツ』とされたその壁画は、中心に人型の何かが描かれ、その頭上には謎の球体、そして人型と球体を中心に、様々な色がグラデーションのように広がっている。
観る者を圧巻する色の洪水。
そしてこの壁画は、2つの宗教がその出自を主張していた。
1つは、未だ発見されていない未知の天体『ハピポリス』から人類の祖先が降り立った姿だと主張する『ハピポリス教』。
もう1つは、人型の神がこの星を作った様子だと主張する『大地の母胎』。
長年にわたる争いの末、現在は穏健派である『大地の母胎』がその所有権を握っているが、強硬派である『ハピポリス教』はその奪取を虎視眈々と狙っていて、いつ火花が散ってもおかしくない均衡状態となっている。
人々を狂わせ争いへと駆り立て、皮肉にも『悪魔の魅力』をもつとされる壁画。
それが、今回の俺たちの調査対象だった。
* * *
飛行機で数時間、そこからは現地のバスに乗り換えて、硬いシートで数時間揺られる。
俺は常に緊張状態だった。
そりゃ海を渡っての調査の時は、大なり小なり緊張するものだ。
もし見知らぬ地で、怪我や病気、政治的ななんやかんやに巻き込まれたとしたら、有無を言わさずこの地に足止めされる事になるだろう。どうやっても超えることができない海という境界線が、俺の孤独感に冷たい飛沫を散らす。
ましてや、今回の対象は明らかに危険だ。頭がおかしいとしか思えない。
調査対象は紛争地帯の中心にあり、まさに争いの核心とも言える壁画だ。つい先日も『ハピポリス』の男数人が『大地の母胎』の女性を殺害する事件があったばかりだ。肌を焼くようなピリついた緊張状態が容易に予想できる。
会社の方で『大地の母胎』側に壁画の閲覧許可を取っているとはいえ、関係のない宗教間の争いに巻き込まれる可能性は大いにありうる。
数週間前の調査で、のんびりとかわいいペンギンを眺めていたのが嘘みたいだ。
いやむしろ、あの平和ボケしたような調査が、現状への伏線だったのかもしれないという邪推さえ湧き起こる。
「ソラト、なんか食べ物ない? さっき発着所で買ったパン、なんか固くておいしくないから、交換しよ?」
バスの隣の席に座ったアオイは、いつも通りマイペースだった。
怯えている俺がバカなのか? 臆病なのか? アオイといると、たまに何が常識なのかわからなくなる……。
「あるけどやらない。自分で買ったんだから自分で食えよ」
「えー、ひどくない?」
「もしもの時は分けてやるから」
「ちぇっ。ケチ」
アオイは齧りかけのパンを眺めながらブツクサと文句をたれる。そもそも口をつけたパンを人にあげるのはマナー違反だろう。それに、俺は別の意味で、アオイが口をつけたものに口をつけるのは気が引けた。
横目で見たアオイの小さな唇の端に、硬そうなパン屑がくっついている。
恐怖と不安と劣情で、頭がどうにかなりそうだ。
感情を落ち着けるために窓の外を眺める。
母国とは異なる、異国情緒あふれる街並みが続いている。目的地に近づくに連れて、石でつくられた年季の入った建物が増えてきた。景観は全体的に砂色だが、空だけが異様に青かった。
バスの乗客も徐々に減っていく。
それもそのはずで、先日発生した女性暴行殺害事件をきっかけに、穏健派の『大地の母胎』の中でも『ハピポリス教』を排除せよという情勢が強まっているらしい。
2つの組織の均衡は崩壊寸前だ。
今現在『大地の母胎』の勢力が優勢でありながら、『ハピポリス』の先鋭が多数潜伏しているとされる壁画直近の街は、いつ爆発するともわからない爆弾を抱えているようなものだ。
こんな時に、この場所に馳せ参じるのは、空気の読めない俺たち無価値者(ワースレス)くらいのものだ。
いや、そうでもないか、と俺は一番後ろの席を見る。
現地の住人にしては小洒落た服を着た若い男女が、肩を寄せ合って座っている。
男は長髪を後ろで束ね、よくわからない人物の顔がデザインされたTシャツを着ている。背は俺よりも一回りは大きいだろう。女の方は短目の茶髪で、白いシャツにロングスカートを合わせていた。
2人の足元に置かれたリュックは大きくふくらんでいて、ちょっとした外出でバスを利用しているようには見えない。
寄り添いながらも、どこか緊張感を漂わせるその表情からは、何かただならぬものが感じられた。
俺は後ろの席の男女を無遠慮に観察してた事に気付き、慌てて前を向く。
「後ろの席の人、気になるの?」
アオイが問う。
「いや、ちょっとね」
俺は神妙な顔で頷く。
「ほーん。美人さん、だもんね」
そう言ってアオイはニヤリと笑い、俺は「そういう事じゃない」と慌てて首を振った。
* * *
壁画調査の挨拶に訪れた『大地の母胎』の聖堂で、大司祭と呼ばれたヒゲ面の中年男は、俺達に嫌悪の視線を向けた。
「科学の発展の為という事であれば、壁画の閲覧も許可します」事前に会社の方で許可を取っているため、話は早かった。「しかし、キカイを神のように崇めるその生き方は、いずれその身を滅ぼす事になりますよ。神は一つしかいない。そしてそれは、人間が生み出せるようなものではない」
俺たちは形式的にコクコクと頷く。
「それと、銃器の携帯も認めましょう。知っての通り、今この街は非常にアンバランスな状態です。我々も部外者に人員を割く余裕はありません。武器の携帯を認めるという事は、すなわち『自分の身は自分で守ように』という意味と理解ください」
アオイはまたコクコクと頷く。
俺はその突き放したような発言に背筋を縮こませた。
大司祭とやらの言葉も至極当然だろう。これから争いが起きるかもしれない中で、国外から来たよくわからない人間の身を案じる余裕などあるはずがない。
勝手に来たのだから、勝手に死んだところで責任の外だろう。悲しいが、受け入れなければならない。
「壁画は、街を出て北東に進んだ先の、土手に開いた洞穴の中にあります。徒歩で半日ほどです。交通手段が必要であれば、自分達で手配してください」
そして、追い出されるように聖堂をあとにする。
「なんか、めっちゃ嫌われてるね」
アオイが『とはいえ、別にどうでもいいけどね』といった顔で言う。
「仕方ないよ。普通に考えて、こんな時にここに来てる俺達がおかしいんだし。きっと会社の方も無茶言って要求を通したんだと思うよ。『大地の母胎』布教用の書籍も、ミューズに作らせてるって聞いたことあるし、そのへんを取引材料にしたんじゃないか?」
「オトナの事情ってやつ?」
「そ」
道行く人が俺達に奇異の目を向ける。でかいバックパックを背負った俺達の風貌は、色褪せたこの街の景色には不釣り合いに映るのだろう。
俺にとってこの街は得体の知れない陰気な街。
しかしこの街に住む彼らにとっては、俺達が警戒対象の異邦人(ストレンジャー)だ。
その人々の中に、先ほどの男女を見つけた。
俺の目は、なんの気無しに2人の姿を追う。
破裂音がした。
ひどく軽い、しかし脳の奥まで響く音だ。
それは何回か連続して響く。
俺は音のした方へ振り返ろうとして――アオイに押し倒された。
「バカ! ぼさっとつっ立ってんなよ!」
「え? なんだよ?」
俺はアオイを押し除けて立ちあがろうとする。その頭をアオイが強引に地面に押しつけた。
「発砲だよ! 向こうの家の影に3人、あっちに2人いる!」
「な!?」
「狙いは私達じゃないっぽいけど、無差別に乱射してる。 流れ弾に当たらないように、身体を低くしてあっちの家の影に隠れないと……」
先程の銃声に呼応するように、各所から破裂音が断続的に響き始める。
俺はアオイが指差す方向を見た。
血を流したおっさんのそばで、おばさんが泣き崩れていた。
そして次の瞬間には、そのおばさんの頭からも血飛沫が舞った。