目の前に倒れ込んだおばさんの後頭部に、赤黒い穴が開いた。その穴が、道連れを見定めるようにじっと俺を見つめている。
「ソラト! こっち!」
アオイの声で我に帰った俺は、手招きする彼女の方へと走った。
背後では銃声が響く。同時に湧き起こる怒号と悲鳴は、また誰かの身体に血の花が咲いた事を物語る。
民家の陰へと身を隠すと、裏手に周り、人通りの少ない裏路地を走った。バックパックの重みが両足にのしかかる。長丁場を覚悟し、悠長に食料を買い込み過ぎたかもしれない。紛争に巻き込まれる事態は想定していたけど、本当に巻き込まれる覚悟など出来ている訳がない。
路地を曲がり――
突然アオイの体が弾かれた。
「あうっ!」
何かに衝突し、よろめきながらも体勢を立て直したアオイは、咄嗟に回転式拳銃を構える。
「違う! 俺たちは違う! 撃つな!」
路地の向こう側から悲鳴が聞こえた。
アオイに追い付いた俺は、彼女の肩越しに前を見る。若い男が両手を広げてアオイを睨みつけていた。その男の背後では、若い女が座り込んで震えている。
バスの中で見た、あの2人だ。
アオイは2人の姿をしばし眺めると、銃を下ろした。
「あんたら、この街の人?」
アオイの問いに、2人は顔を見合わせる。そして何らかの合意を得たのか、女の方が再びこちらに向き直り、大きく頷いた。
「私ら旅行者なんだけど、なんだか物騒なのに巻き込まれちゃって。この街を出たいんだけど、安全な道を知らない?」
問われた女は「あ、それなら私たちに着いてきて下さればーー」そこまで言ったところで、前に立った男に「おい!」と制される。
警戒するのも無理はない。銃器を持ってうろついている旅行者なんて明らかに異常だ。俺たちは怪しまれて当然の服装と、行為をしている。まあ、行為については、主にアオイが、だけど。
「えーっと、すみません。俺達、ホメロスコーポレーションの調査員なんです。この町の外れにある『創世の壁画』の調査にきたら、いざこざに巻き込まれてしまって」
俺は男女の顔を交互に見ながらいう。
うちの会社にどれだけの認知度があるかはわからなかったが、それを聞いた男は「ああ、ワースレス? とか言う……」と小さく頷く。「あまりいい噂は聞かない集団だな」
「でも、私達を脅かす人達じゃない」
女の放ったその言葉には、男の発言を打ち消すような強い意志を感じた。男は振り返り、驚いた顔で女を見る。
「『大地の母胎』の教えには、『汝、その人の母となれ』というものがあります。言葉を交わした相手には、母のような慈しみを持って接するべきなんです」
女はそんな男を見つめ返すと、ゆっくり諭すように言う。
「しかしーー」
「この裏路地を通っていけば、町から出られます。案内しますので、一緒に行きましょう」
女は立ち上がり、道の先を指差した。男も渋々ながら彼女の言葉に頷いた。
「あ、ありがとうございます……」
会話の展開についていけず、俺はあっけらかんと頭を下げる。アオイは銃はホルスターに収めて「行こう」と俺の手を取った。
* * *
遠くではまだ銃声が聞こえる。
「あいつらは、暴力で人間を支配しようとする」男は吐き捨てるように言った。「争いは、憎しみを増大させるだけなのに」
街の外れまできた俺達は、途方に暮れていた。もう数時間もすれば日が暮れるものの、今夜の宿だった建物は、今頃銃弾で蜂の巣になっているかもしれない。
「一体、何が起こってるんですか?」
俺は頭を抱えてうなだれている男に尋ねる。男は顔を上げ、首を何度も振ると、諦めのような感情を滲ませて呟く。
「わからないし、わかりたくもない。でもきっと、先日あった殺人事件が原因だろう」
『大地の母胎』の女性が、『ハピポリス教』の男数人に暴行され殺害された例の事件の事だろう。
しかし、それならば理屈がおかしい。被害を受けた大地の母胎側が、ハピポリス側に反撃を加えるならわかる。しかし今回はその逆、大地の母胎の統治する街が襲撃を受けている。
その疑問を男に投げかけると、彼は深いため息を吐いた。
「抑止力だよ。あいつらは報復を恐れてるんだ。恐れているから、それ以上の恐怖で相手を支配しようとするんだ」
「まぁ、拳を振り上げたのなら、ちゃんと振り下ろさないといけないんだ。少しでも気を抜けば、ノーガードの顎に手痛い反撃を喰らうからね」
アオイが言って、男は頷いた。
「あの、もし泊まるところがないのなら、壁画の側にある『大地の母胎』の施設に向かいませんか? ここからなら日が暮れる前には到着できるし、あそこには常に教団の人がいるから、歓迎できると思います」
そう言ってから、女性はハッとしたように男の顔を見た。男は何も言わず、ただ小さく頷いた。
「そんな、いいんですか? 俺達、無神論者ですよ?」
「かまいませんよ」女は優しい笑みを浮かべる。「これも何かの縁です。先程も言いましたが、私はあなた達の事を我が子のように慈しみますよ。それが『大地の母胎』の教えですから」
「それじゃあ、お言葉に甘えて……」
そう言いながらも、俺はアオイの顔色を伺うのを忘れない。ぼーっと銃声の響く街を眺めている様子を見るに、特に不機嫌ではなさそうだった。きっと賛成か、もしくはどうでもいいと思っているか、どちらかだ。
「あ、自己紹介が遅れましたが、私の名前はフィーダ。国外の大学に通っています」
明るめの髪を耳にかけながら、恥ずかしそうに笑う。とても魅力的な笑顔をする女性だな、と俺は思った。
「フィーダさんは、『大地の母胎』なんだよね?」
アオイに尋ねられた女性――フィーダは大きく頷いて、隣に立つ男にも自己紹介を促した。
促された男は俺たち2人の顔を交互に見る。そして意を決したように口を開いた。
「俺はジョシュア。フィーダと同じ大学に通う、『ハピポリス』だ」