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第20話 :創世の壁画④

 それは父親から初めてもらったプレゼントだった。


 間抜けヅラの馬のぬいぐるみは、すぐに幼いジョシュアの親友になった。


 食事の時も、畑仕事の時も、小便の時も一緒だった。夜は彼を抱いて眠り、朝ははにかみながら彼のタテガミを撫で、その長い耳に「おはよう」と呟いた。


 その親友を、父親は焼き捨てた。


 焼却炉に生ごみを投げ入れるように、何の躊躇もなく。


 奥歯を噛み締めながら自分を睨みつけるジョシュアに向けて、父親は言った。


「この怒りを忘れるな。これが、大切な物を奪われる怒りだ」


 ジョシュアにはよくわからない。

 ただ、胸が張り裂けそうなほどに痛かった。


 父親はジョシュアの胸ぐらを掴み、顔を近づける。


「俺達ハピポリスは、『大地の母胎』に大事なものを奪われ続けてきた。俺やお前は、それを取り戻さなければならない。この怒りが、その道標だ」


 ジョシュアの目から涙が溢れた。

 父親は汚いものを見るような目で、息子の目から流れ出る透明な液体を睨みつけ、舌打ちをした。



   *   *   *



「ジョシュア、学業の方はどうだ?」


 ジョシュアの親父と呼ばれた男は、日に焼けた浅黒い肌に微笑みを貼り付け、息子に訊ねる。その片手には自動式拳銃が握られ、両脇には管理人の首筋にナイフを突き付けた男達を携えている。違和感しか存在しない光景だった。


「そろそろ新型の爆弾は作れそうか? 時限式のものであれば好ましいが、大事なのは破壊力だ」


「親父……!」


 俺達の隣に立ったジョシュアは、父親から一度目を逸らす。しかし決意を新たにするように、再び睨みつけるような視線向けた。


「親父、その2人を離してやってくれ」


「あ? この『母胎』のやつらをか?」


 父親の表情が一瞬で固まる。そして「言ってる意味がよくわからないな」と呟いた。


「なあ、親父、聞いてくれ」ジョシュアは震える声で父親に語りかける「俺、大学に行って、いろんな事を学んだ。親父には感謝してる」


「感謝はいらない。俺が欲しいのは結果だ」


 父親は首を傾げる。何をくだらない事を言っているんだ、という表情だ。


「向こうにはいろんな人がいるんだ。俺は、狭い世界で生きてきたんだって気付いたよ。そして……、なあ親父、聞いてくれ。俺、愛する人が出来たんだよ……」


 それは懇願するような響きだった。


「ふうん、よかったな」


 言葉に反して、父親の顔はもう笑っていない。


「その人は……その人は『大地の母胎』の子だ。でも――」ジョシュアは語気を強める「彼女は何も悪くない! 親父の言う『罪』なんて、背負っちゃいない! 分かり合えるはずなんだ、俺たちと『母胎』は!」


 ジョシュアの後ろにはフィーダがいる。後ろ手でその手を握りながら、ジョシュアは叫んだ。


「お袋が歌ってくれた歌、あったろ!? 優しくて穏やかな歌だ! 『母胎』の彼女もその歌を知っていた! その歌と共に生きてきたんだ! 俺達の間に思想の壁はあるかもしれない! でも、根底に同じものが流れているなら、乗り越えられない壁じゃない!」


 父親は息子の話など興味なさそうに、自動式拳銃の遊底を下げ、銃身への装弾を確認している。


「だから、もう人を傷付けるのは止めよう! 対話するんだよ! お互いの違いを認め合うように、対話を――」


 そして、銃声が響いた。


 音と同時に、拘束されていた管理人の頭から血と脳漿が弾けた。


 一瞬の沈黙。

 刹那の後に響く、女の甲高い叫び声。

 その大きく開かれた口に銃口を突っ込み、父親は再び引金を引く。


 叫び声は止まった。


 管理人を拘束していた2人の男が、大儀そうに両手を離す。重たい音と共に、二つの死体が床に転がった。


「悪いな。これ以上『母胎』の奴らに触れていたら、部下の純度が下がってしまうもんでな」父親はそう言ってジョシュアを睨みつける。「で、なんだって?」


「なんだ、って……」


 ジョシュアは彼らの足元に転がる死体を茫然と眺めていた。血溜まりがどんどん広がってく。


「なあ、ジョシュアよ」父親は低くしゃがれた重たい声で言う。「お前はあの怒りを忘れたのか?」


「怒りなんてないよ……」


「理不尽に奪われる者の、怒りだ」


「知らないよ、そんなの……」


 ジョシュアはそう一言、絞り出すように言った。


 彼の体が震えているのが、隣に立つ俺達にも感じられた。その震えが伝播し、ジョシュアの背中に隠れているフィーダもまた、鳴り出しそうな奥歯を必死に噛み締めていた。


「で、どっちだ?」


 沈黙に銃弾を打ち込むように、父親が言った。


「どっち、って……?」


「お前の恋人の『大地の母胎』だよ。そこにいる黒髪のガキと、お前の後ろで震えているやつ、どっちがお前の恋人だ?」


「あ……」


 ジョシュアとフィーダ、繋がれた二人の手が硬く握りしめられる。


「黒髪の……ガキ?」


 アオイが不機嫌そうに呟く。


「お前の恋人を、俺は殺そうと思う。これ以上、お前の純度が落ちるのは、父親として忍びない」


「親父、やめてくれよ……」


「お前の恋人を殺したら、残りの奴らは解放してやる。銃弾の無駄だからな」


「そんなの……」


「どっちだ?」


「もう、いやだ……」


「どっちなんだジョシュア!」


 怒声が響き渡った。

 雷に打たれたように、ジョシュアの身体が大きく跳ねた。そして震える右手が、ゆっくりと持ち上がる。


「こっち……」


 その指先は、アオイを向いていた。


 なぜ、アオイ……?


 俺は頭の中が赤く染まっていくのを感じた。


「ああ、そっちか。お前にそんな幼女趣味があるとは思わなかったぞ」


 父親は下卑た笑いを浮かべる。


「ち、ちがう、彼女じゃ――っつ!」


 何か言おうとしたフィーダの顔が苦痛で歪む。ジョシュアが彼女の手を、骨が砕けそうな程にキツく握り締めていた。

 ジョシュアの祈るような目。

 痛みに呻き声をあげながら、フィーダは俯く。


 そして俺は、目の前で起こっている事態を上手く理解出来ずにいた。ジョシュアが、愛する人の身代わりにアオイを差し出した。頭ではわかっているはずなのに、心が理解を拒んでいた。


「おいガキ、こっちへ来い」


 父親が銃を向けながらアオイに言う。

 不貞腐れたような顔をしながらも、アオイは父親の方へと向かった。


「さっさと来いよ」


 父親はアオイの服の首元を掴むと自分の隣に引き寄せて、その頭に銃口を向けた。


「なあ、ジョシュア。俺は今から、このガキを殺す」


 そう言って、含みのある笑みを浮かべる。


「こいつに銃口を向けているのは俺だ。だが、引き金を引いたのは、お前だ」


「違う……」


 ジョシュアは掠れた声で返す。


「いいや、違わない」父親はその言葉を否定する「お前が、愛だとか、誰も傷つけたくないとか、ふざけた事を言っていた結果が、このざまだ。受け入れろ」


「おれは、間違ってない!」


 ジョシュアは叫んだ。その声には、もはや嗚咽が混じっていた。


「無理に何かを成そうとするならば、そこに摩擦が生まれ、血が流れるのは当然だ。その覚悟もない者が、理想を語るな。自分の無力を受け入れろ」


 この男は、アオイが『大地の母胎』でない事に気付いている。その上で、ジョシュアにアオイを殺す決断をさせようとしている。

 愛という言葉で装飾された、自身の欲望を押し通すために、関係のない人間の命を捧げる――そんな消えない罪を、ジョシュアの心に刻み込もうとしている。


 俺はポケットに手を入れた。

 冷たく重たい鉄の塊が、そこに押し込まれている。


「このガキの命は、お前が選んで、お前が摘んだんだよ、ジョシュア」


 父親がアオイの頭に銃口を押し付ける。


「やめろ」


 自分から発せられたその叫び声は、頭の上に浮かんだ別の何かから放たれたような、現実感のないものだった。


 そして俺は、ポケットから取り出した回転式拳銃を、ゆっくりとジョシュアの父親へと向けた。


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