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第21話 :創世の壁画⑤

「なんだ、そんなオモチャを隠し持ってたのか」


 アオイの頭に銃口を突き付けたまま、男は薄ら笑いを浮かべる。

 男の両隣に立った部下は、肩から下げた自動小銃の銃口を俺に向け構えた。

 俺の背筋に悪寒が走る。


「俺は、お前の頭を狙ってるぞ……。彼女に向けた銃を下ろせよ……」


 震える声で俺は言う。


「なあ青年、マズルがブレてるぞ? そのまま撃ったら、このガキの頭が弾けるんじゃないか?」


 アオイを引き寄せながら、男は嘲笑う。

 しかし、その嘲りも至極当然だ。俺はこの回転式拳銃の引き金を引いた事も、ましてや人に向けた事もない。常に腰のホルスターに差し込んではいるが、お守りのように手を添えるだけの物体へと成り下がっていた。


「さあ、そのオモチャ、撃ってみたらどうだ?」


「黙れよ」


「撃ってみろよなぁ! ほら!」


 怒声。

 男が声を張り上げる。

 身をすくませた俺は、指先が引き金を引きそうになり、慌てて銃口を逸らした。


「さっき息子にも言ったぞ、覚悟がない奴がしゃしゃり出てくるんじゃねえよ」男は苛立たしげに言う。「お前、覚悟を決めたことがないだろ? 相手を殺す覚悟も、自分が殺される覚悟も」


「黙れよ……」


 そんな繰り返しの言葉しか湧いてこない。

 確かに俺は、今まで覚悟を決めた事がない。自分の意思を貫く覚悟も、自分の身に危険が降りかかる覚悟も。

 仮に俺の銃口が、あの男とゼロ距離の位置にあったとして、俺は撃つだろうか。もし自分が完全優位の立場だとして、俺は人を殺せるのだろうか。

 この後に及んでもなお、その答えは『わからない』だ。


「なあ、青年よ。今から少しでも動いたら、お前を殺す。足を踏み出しても殺すし、銃口を下ろしても殺す。首を傾げても殺す。股間の粗末なもんから小便を垂れ流しても、殺す。死に損ないの魚みたいに口だけ動かして、俺に命乞いの言葉を聞かせてくれ」


 俺は目だけで男の両脇に立つ2人の部下を見た。

 自動小銃の先の、深淵を思わせるような黒い穴がこちらを見つめていた。


 俺は死ぬのか?


 滴るその言葉が、純水に溶けた一滴の黒い色水のように、不透明なもやを生んでいく。


 こんな石の壁の中で、何も成し遂げる事なく、俺は死ぬのか?


 足が震えそうになる。

 奥歯を噛み締めながら、必死にそれを抑える。


 俺はまだ、何も満足していない。

 個展だって開いていないし、描きたい絵だって山ほどある。それに、俺はまだ好きな人の手を握っていない。気持ちすら伝えていない。彼女との旅をもっと続けていたい。いろんな景色を彼女と観たい。


 耳鳴りがする。


 頭の中が圧縮されていくような圧迫感。


 死神はすぐ側で、鎌を振り上げている。


 死への恐怖で脳が悲鳴を上げているようだ。

 いっその事、早く殺してほしい。このまま恐怖を注ぎ込まれれば、きっと俺は恐怖で壊れてしまう。

 理性がぶっ壊れて、無様な言葉を叫び、情けなく命乞いをして、震える銃口でアオイの頭を撃ち抜くかもしれない。


 アオイ――


 俺はアオイを見る。


 銃口を頭に突きつけられた小さな女。


 でもその目は、生きる事を諦めていない――



   *   *   *



「強さって、なんなんだろうな」


 ある調査の夜、俺はアオイに尋ねた。

 ムツキのターゲットにされ逃げ回った俺は、ムツキの背後から忍び寄ったアオイの銃弾によって九死に一生を得る。耳の穴から銃弾を撃ち込まれたムツキは、か細い声を漏らしながら木々の隙間を逃げていった。


「それは、自分を信頼しすぎない事だと思う」


 焚き火を見ながらアオイは答える。


「は? 普通、自分を信じられる事が、強さじゃないのか?」


 俺はムツキに襲われながらも、腰の回転式拳銃で立ち向かう事が出来なかった。忍び寄る死の影に怯え、逃げ回る事で命を長引かせようとした。

 弱くて、情けない生き様だ。


「私らワースレスが、一人で出来ることなんてたかが知れてるよ。だからバディを組んで、互いを補い合う」


 砂糖をたっぷり溶かした甘ったるいコーヒーを飲むアオイの頬を、焚き火が遠慮がちに照らした。


「今日の俺は、ただ逃げ回っただけだったぜ?」


「『うわあああ、アオイぃいいいい!』って、すっごくダサかった」


「マネすんなよ……」


「でも、ソラトが叫んで気を引いてくれたから、私はムツキの隙をついて、追い返す事が出来た」


「偶然だろ」


「ソラトが勇気を出して立ち向かってたら、きっと二人とも今頃、死んでたよ」


 アオイは空になった俺のカップにコーヒーを注ぐ。


「自分が出来る事をして、出来ない事は相手に任せる。それがバディが持つ強さだよ」



   *   *   *



「イントロはもう十分だ。早く鳴いてくれ」男が退屈そうに言う。「上手に鳴いたら、助かるかもしれないぞ」


 視界が開けたような感覚。


 俺はアオイを見る。


 アオイは俺を見る。


「本当に、くだらないよ……」


 俺の声は、しっかりとした実感を持って石造りの部屋にホールに響いた。


「宗教家ってのは、やっぱり頭のネジが外れてるんだ。平気で他人(ひと)を殺すし、平気で他人(ひと)をコントロールしようとする」


「待て待て、そんな歌は聴きたくない」男は大袈裟に眉根を寄せた。「生き延びるために言うべき言葉があるだろ?」


「もう生き死になんてどうでもいい。こんな頭のイかれた連中に何を語ったところで、暴れるサルに説教垂れるようなものだ」


「サル?」


 大袈裟に寄せていた眉の端が、小さく動く。


「そうサルだ。その中でもお前は、人間のふりして偉そうに振る舞う、醜いサルの大将だ」


 俺は持てる知識を総動員する。

 ハピポリス教にとって、サルは最も忌むべき動物。獣の分際で人間のふりをして、聖星ハピポリスに至ろうとする、最も愚かで無様な存在だったのだ。


「そんなサルを束ねる、聖星ハピポリスってのは、きっと猿の惑星なんだろうな。こんな低脳な事しか出来ない連中は、酒の飲み過ぎで頭が壊れてるに違いない」


 ハピポリス教には、犯してはいけない禁忌の言葉や思想がいくつもある。それを足先で探しながら、一気に踏み抜く。この男が後生大事に守っている、砂の城を踏みつけるように。


「なあ、お前の言う純度って何? そんな時代錯誤の規律で使徒を縛り付けるなんて、ハピポリス星の住人は類人猿に違いない。猿よりはマシか? どっちも同じか? 聖星ハピポリスの住人は、どっちの言葉でキレて、獣みたいに鳴き喚くんだ!?」


「なあ――」


「なんだよ! 他人を殺して、拘束して、お前らは何も感じないのかよ! 感じないよな!? てめーらはサルだからな! サルは我が子を殺すんだってな? だったらてめーも自分の言うことを聞かない息子をさっさと殺せばいいだろ? 関係ない俺たちを巻き込むなよ! この低脳野郎!」


 怒鳴り声に嗚咽が混じった。

 死ぬ。

 このまま挑発を続ければ、きっと俺は死ぬ。


 でも――


「ちょっとまて」男は左手で頭を掻く。「鳴き声を聴かせろとは言ったが、そんなつまらん挑発をこっちは聞きたくないんだが……」


「黙れクソ野郎! お前はサルだ!」


 俺が叫び、男は大きく溜息をつく。


「ああ、そうか、お前は壊れちまってんだな」


 男は哀れみの目を俺に向けた。

 しかしその目の奥に、激しい怒りが燃えているのを俺は感じていた。


「壊れてんのはお前だろ!? お前の家族も、仲間も、ハピポリスも、全部ぶっ壊れてることに気付けよ!!」


「もういい。お前は死ね」


 男はアオイに向けていた自動式拳銃を俺に向けた。


 そこに一瞬の隙が生まれる。


 隙は作ったぞアオイ。


 その瞬間――


 銃を向けた男の手に、細く白い手が絡みつく。


 死を覚悟し研ぎ澄まされた俺の集中力が、男の傍に立ったアオイの動きをスローモーションで見せる。

 それは強風に煽られるしなやかな木の枝のような、柔らかくも激しい動きだった。 


 捩じ上げられた右手が不自然な方向に曲がり、うめき声と共に銃が石の床を叩いた。


 予想だにしなかった展開に目を見開く男。

 その男の顎をアオイが掌底で打ち上げる。


 男は仰け反り、そのまま地面に倒れ込む。


 異変に気づき、両脇に立つ部下二人がアオイに自動小銃を向けた。


 そこにアオイはいない。


 互いに銃口を向け合い、部下は一瞬呆気に取られる。


 その時、しゃがみ込んだアオイは床に転がる自動拳銃に手を伸ばしていた。


 滑り込みながら撃ち出された二つの弾丸は、部下二人のヘルメットの横っ面に命中する。


 その衝撃で卒倒し、倒れ込む二人。


 衝撃、銃声、そして制圧。


 頭を押さえながら、フラフラと起きあがろうとする男の後頭部にアオイの靴がめり込む。


 うつ伏せに倒れ込んだ男の背中を踏みつけ、アオイは男の後頭部に銃口を向けた。


 一瞬のうちに、形勢は完全に逆転した。


 汗で頬に張り付いた黒髪をかきあげて、アオイは言う。


「散々ガキ扱いしやがって」うめき声をあげる男の後頭部に銃口を押し付ける。「私、見ての通り、大人の女なんですけど?」

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