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第26話:提灯祭りと光の都①

「……こんな調査が、俺達にまわって来るなんてね」


 いつものファミレス。

 ミートソーススパゲティをフォークにクルクルと巻きつけながら、俺はアオイの表情を伺った。

 俺としては、次の調査に対して何の異論もない。むしろ心の中ではガッツポーズをかましている。

 ただ、この調査がアオイにとってどんな感情を呼び起こすのか、俺は見当がつかない。俺とは違って、彼女には将来を約束した婚約者がいるのだ。

 だから俺は、苦悩とも無関心ともつかない絶妙な表情のまま、アオイの反応を伺った。




 調査対象:提灯祭りと光の都




 それは、とある山奥の村に伝わる伝統の祭事。

 翌年結ばれる予定の男女数組が、幾つもの提灯が揺れる山道を手を繋いで歩き、山頂の神社へと赴く。そこまでは、何ともありきたりというか、面白みのない祭事だ。

 しかし特筆すべきはその神社の風景だ。

 広い境内には無数の提灯が吊るされ、夜でもなお昼間以上の輝きを放っている。『光の都』と呼ばれ、神の住む都市を模したその場所は、この世のものとは思えない程の美しさと伝え聴く。


 元々は、子宝に恵まれなかった山村で、子孫繁栄を願って執り行われてきた行事らしい。

 輝く天の道を通って、つがいとなる若い男女は美しき神の世界へと至る。そこは飢餓も病気も、悩みも苦しみもない、幸福に満ちた世界。そこで女は男と交わり、穢れなき子をその身に宿す……。


 とまあ、そんな歴史にある祭事らしいが、今となってはその目的は流石に形骸化し、ただ『美しき秘祭』としてのガワだけが残されている。

 『光の都』へと向かう男女は、その意義を考えれば、当該の集落に住む若い男女でなければならない。しかし過疎化に喘ぐその集落で、若い男女は年々減少傾向にある。

 伝統を失いたくはない村人達は、折衷案として村外からも祭の参加者を募集した。年に一度の祭に一組だけ、村外から男女のカップルを招き、村の男女に混じって『光の都』へと至らせる。そして、その美しさと意義を村外に示す事で、村への移住を促進させる。

 移住を促すのなら、マスコミなどを招いて祭を大々的にアピールする手もあるのだろうが、そこは代々秘事として伝わってきた儀式だ。広く大衆に曝け出すのも気が引ける、というジレンマがあるのだろう。

 今年もまた一組の男女が、村外から祭へと参加する。


 それが俺達らしい……。


 会社としても、その『光の都』の記憶をミューズに喰わせたかったらしく、何度も村側に打診していたとの事だった。その交渉が今回になってやっと身を結び、スケジュールの空いてる適当な男女バディのワースレスに白羽の矢が立った。


 ――という一連の成り行きをぼんやりと回想した後、一心不乱にカルボナーラを頬張るアオイに再び目をやった。

 アオイはパスタをフォークいっぱいに引っ掛けて、大口を開けて口に放り込み、顔の形が歪むほどに仰々しく咀嚼すると、天井を仰いで一気に飲み込んだ。

 そして、唇の端についたソースを紙ナプキンで拭き取る。


「え? なに? ソラト嫌なの? 楽そうな仕事なのに」


「そりゃ楽そうだけど、そういう事じゃなくて……」


 この祭に参加するという事は、表向き『つがい』つまりカップルと見なされるわけだ。俺は独り身だからいいけど、婚約者のいるアオイはそれでいいのだろうか?


 もしかしてこれって、非モテ男子特有の『無駄にキモい遠慮』みたいなものなのだろうか。モテ側は全然なんとも思ってないのに、非モテ側だけ妙に意識しちゃってるやつ。


 そんな疑問をオブラートに包みながらめちゃくちゃ遠回しにアオイに告げると、アオイは「そんな事気にしてんの? ソラトまじでダサいんだけど!」と大笑いした後、笑いのこびりついた表情のまま「別にいいよ、気にしないで」と言った。


「でもさ、手を繋いで歩くんだぞ?」


「手ぐらいいいじゃん」


「もしかしたら、光の都とやらで、その……行為の真似事を強要されるかも……」


「あ、ごめんそれは無理。ていうか、そういう想像をしちゃうのが薄らキモい」


 ちゃんと資料読んだのか!?

 一応昔は、そういう行為込みでの儀式だったんだぞ!


 そう叫びたくなったが、ここで取り乱して叫んでしまったら負けな気がした。だから俺はお冷で溜飲を流し落として、「お冷、いるか?」と貼り付けた笑みで偽りの和平をアピールした。


「『光の都』、どんなところなんだろうね……」


 アオイが誰にともなく呟く。


「知らね」


 俺はコーヒーのお代わりを頼もうか悩み、注文用デバイスと睨めっこしながら曖昧に返す。


「悩みや苦しみがないところ、って書いてあるけどさ……それがなくなったら、生きる目的だってなくなるんじゃない? 今より少しでもマシになって、苦しみから遠ざかる事……それが生きるって事じゃん?」


「なかなかに夢も希望もない事を言うなぁ……」


 一般論としてそう返したけれど、俺もアオイが言わんとする事はわかる。俺だってはたから見れば、比較的低い場所から人生をスタートさせている。

 多くの人々は、生命の安全が保障され、実入は少ないながらも大した不満のない人生を送っている。だけど俺達のような無価値者(ワースレス)は、いわゆるその『普通』に手を伸ばすためだけに、安っぽい命を賭している。


 ふと、アオイの過去が気になった。


 婚約者がいる――誰かにとって価値のある身でありながら、ワースレスとして働いている矛盾。

 お金だって、アオイが単身で命をかけて金を稼ぐよりも、2人で協力した方がはるかに安全で効率的ではなかろうか?

 アオイは結婚資金を貯めるためと語っていたが、もしかしたら過去に何かしらの損失があって、それを精算する為にワースレスを続けているのかもしれない。

 いずれにせよ、そんなアオイを何年も放ったらかしにしている『婚約者』とやらが、なかなかのクズ野郎であることに変わりはない。


 流石にそんなこと言えないし、聞けないけれど。


 ファミレスを出て、アオイと別れる。

 調査出発は48時間後だから、それまで描きかけの絵でも進めておこう。そんな事を思いながら、錆びついた鉄製の階段を大袈裟な音を響かせながら昇りきると、廊下の手摺にもたれてタバコをふかしているカメさんと鉢合わせした。

 夕暮れ時になると、カメさんはよく廊下までやってきて、しばらくタバコをふかしている。

 きっと、高いビルの隙間に沈んでいく綺麗な夕陽が見えるからだろう。


「ああ、ソラトくん」


 俺に気付いたカメさんは、いつものように笑いかけてきた。

 その表情に、何か引き攣ったものを感じた気がした。でもそれはきっと、西陽によって誇張された皮膚の隆起が、カメさんの感傷を無粋に際立たせただけだろう。

 だから俺は、それに関して何も聞かない。


「今日も、アオイちゃんと?」


「はい。そこのファミレスで、次の調査の打ち合わせを」


「なるほど、ね」


 含みのある言い方だった。俺は若干後ろ髪を引かれながらも、タバコを吸うカメさんの後ろを通り過ぎ、自室のドアの前に立つ。


「ソラトくん」


 呼び止められた。


「はい?」


 いつもの宅飲みの誘いかと、砕けたニヤケづらでカメさんの方を振り向く。しかしカメさんは、いつになく真剣な表情で俺を見ていた。

 西陽がカメさんの横顔を照らす。

 無精髭と影による黒で、カメさんの顔の陰影が劇画のように深まる。


「アオイちゃんを、ちゃんと守ってあげるんだよ」


 予想外の言葉に、面食らう。


「ええ、まあ、そりゃバディですから、お互い支え合いながらやってますが……」


 唐突なその発言の真意を掴みかねて、俺はなんと答えていいかわからず、ただ当たり障りない言葉を返した。


「そうだな。ベテランワースレスのソラトくんに、今更言うべき言葉じゃなかったな」


「長くワースレスやってる事って、何の自慢にもならないんすけどね」


「いやいや、何事も継続する事は大事だよ」


 そう笑うカメさんは、いつもの飄々とした雰囲気に戻っていた。先程の異様な表情の真意が気になったが、今更問い詰める事も憚られた。


「それじゃ」


 部屋へと入る。

 絵の具の匂いが全身を包み込んだ。

 窓を開けて、こもった換気を試みる。それによって絵の具の匂いは若干薄まったが、裏手にある中華料理屋の油臭い排気臭がそこに混ざり込む羽目になった。

 俺はため息を着いて、穴の空いたソファーに腰を沈める。


 妙な興奮があった。

 紛い物とはいえ、俺とアオイはつがいとして手を繋ぎ、数十時間後には神の御前に立つ事になる。

 でも、それが不健全な興奮だとは、自分でもわかっていた。


『陽だまりの大樹』の絵はもう少しで描き上がる。

 しかし、次なる『創世の壁画』の絵は、ラフ画の構図ですら決まらずにいた。死の恐怖に怯えながら、アオイと心が通じ合ったかのように感じたあの瞬間――その喜びが創世の壁画の素晴らしさを遥かに凌駕し、俺の感情を満たしていく。

 こんな状態では、描けるわけがない。


 アオイの事を考えた。

 俺の心に巣食う病巣は確実に進行を続ける。その生温い熱で、ゆっくりと、全てを溶かし切ろうとするかのように。

 それに抗わなければならない自分と、受け入れてしまいたい自分。その異なる2つの感情が、俺の中で不格好に同居していた。


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