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第27話:提灯祭りと光の都②

「なに、この衣装……」


 桜の花のような薄桃色のふわふわしたワンピースと、半透明な生地を用いた同系色のボレロを身につけたアオイは、不満の籠った声で呟いた。


 件の村に到着した俺たちは、『提灯祭り運営委員会』とかいう青年に誘導され、村の公民館で祭りの指定衣装に着替えた。

 俺に渡されたのは薄青色のシンプルな甚平だったが、アオイたち女性陣に渡された衣装は、過疎化の進む寂れた山村には場違いな程に華美なものだった。


「今年の衣装は、桜の花をイメージして村出身の女性がデザインした、めっちゃカワイイやつなんすよ! 提灯の灯りと桜の花って、超・お似合いじゃないっすか!?」


 花びらみたいな笑顔で、わりとチャラい感じの運営委員の青年が言う。

 キカイによるデザインでないところに、なんとも言えない温かさが感じられるけれど、言い換えれば洗練されていないというか、無駄に装飾が多くて垢抜けていない印象も受ける。これもある種の味なのだろうか。


 祭りに参加するカップルは5組10名。

 俺達と違って本物の恋人同士である彼らは、非日常的なお互いの姿を褒め合い、じゃれ合い、笑い合っている。


 不満そうなアオイの姿を、俺は遠慮がちに横目で見る。

 調査時のアオイは地味なカーキ色のウインドブレーカーを羽織っているし、それ以外では淡い色のダボダボパーカーを着ていることが多い。

 初めて女の子っぽい服装をしたアオイを前にして、俺の体温は上昇を続ける。

 気を抜くと、沸騰した感情と一緒にキモチ悪い賛美の言葉がボロボロと溢れそうな気がして、俺は固く口を噤んだ。


「この格好さ……動き辛いし、普通にスケスケで恥ずい」


「はあ? 何言ってんすか? おねーさんめっちゃキャワイイっすよ? 妖精? フェアリー?」


 俺が言えない言葉を、運営のチャラい青年は簡単に言ってのける。


「ええ……ウザい……」


 心底嫌そうな顔をしたアオイは、衣装の上からいつものウインドブレーカーを羽織ってしまった。


「あーもったいない。『光の都』に着いたら、ちゃんとそれ脱ぐんすよー?」


 そんな運営の言葉に生返事で応えてから、俺たち参加者は公民館に隣接するこぢんまりした運動場へと向かう。


 運動場には錆びた指令台があり、その後ろのブース用テントでは、いかにも村の重鎮らしいおっさん達が勢揃いしていた。


 指令台の前に並ぶ参加者。台に立った村長らしいおっさんが、ずれたネクタイを神経質そうに直すと、二、三咳払いをしてから、この祭りの慣わしについて語り出す。


「かつて、盲目で聾者の男と、彼の付き人である女が、旅の途中でこの村に立ち寄りました。腕の立つ狩人として名を馳せていた二人は、この村を襲う魔獣を退治して下さいました。その二人の掛け合いたるや、まさに一心同体。感動した村人達は、二人を山の上の神社に招待し、魔獣の肉と、精一杯の馳走を振舞いました。翌朝、神社の境内で寝起きした二人は、なんとこの神社に宿る神からお告げを受けました! 勇敢で仲睦まじい二人にいたく感動した神が、二人を神の住まう『光の都』へと招待するというのです! ……しかし二人は旅の方、そのお誘いを丁重に断り、再び旅立ってしまいました……。その二人を敬い、二人のように神の住む世界へと至るため、我々はこの祭りを代々受け継いできました!」


 徐々に熱を帯びる村長の語りに、俺は形だけでも真剣な様子を装った。隣のアオイが欠伸しようと大口を開けたので、肘で小突いて嗜める。


「二人は手を繋いで、提灯の明かりが示す山道を登っていきました。男は盲目でしたから、女に手を引かれ、寄り添い合いながら……。皆様にも是非、彼らのように寄り添い合いながら、『光の都』へと至って頂きたい!」


 声高らかに言い放つと、来賓らしい他のおっさん達から拍手が沸き起こった。


 手を繋ぐって、そういう経緯が由来なのか。

 俺は自分の手を見つめる。筋張っていて、ところどころに擦り傷のある、貧相な右手だった。


「さて、おじさんの面倒な話も終わったし、さっさと今回の調査を終わらせよっか」


 話を聞いてたのか聞いてないのかよくわからない、散々噛み殺した欠伸の影響で涙目になったアオイが、俺に右手を差し出した。


「え、何? 俺、食べもの持ってないよ?」


「はあ? 何言ってんの? この後に及んで食べ物のカツアゲなんてするわけないじゃん。手だよ、手。繋ぐんでしょ」


「あ、ああ。そうだった」


 俺は頷き、ポケットから手袋を取り出す。


「え、手袋すんの?」


「だって、俺の手、汚いよ。爪の間に絵の具が入り込んじゃって黒くなってるし……」


「知ってる。いいから、行こうよ」戸惑う俺の左手を、アオイは強引に掴む。「こんな簡単な調査、さっさと終わらせちゃおうよ」


 手を引くアオイの背中に、俺は小さく頷いた。



   *   *   *



 薄暗い山道は、5メートルほどの間隔で橙色の提灯が揺れていた。その点と点を、俺たち参加者の列が繋いでいく。

 神社までの道は、大人の足で30分ほどらしい。夜の山道を歩くことに慣れている俺達にとっては大した距離ではないが、そうではない一般の恋人達にとっては、それ自体が非日常イベントなのだろう。

 前を歩く女性が、木の幹で足を滑らせ、小さな悲鳴をあげる。隣を歩く男がその手を引き寄せ、囁き声で何かを伝える。そして歩調を合わせて歩き出す。


 俺たちは各々のペースで、勝手知ってる夜の山道を歩いた。お互いがお互いに干渉していないはずなのに、しかし慣れ親しんだ感覚が、自然と同じ歩調を刻む。


 そこには、彼らのような胸の高鳴りなどない。

 ただ『普段通り』があるだけだ。


「星が見える道はキライ」木々の隙間から夜空を見上げていたアオイが呟く。「子供の頃を思い出すから」


「星が綺麗なところに住んでたのか?」


「ううん。河川敷とか、廃ビルの屋上とか。でも、そういう寂れたところの方が、星って綺麗に見えるんだよ」


「廃ビル?」


 俺は尋ねる。


「うん。言ってなかったっけ? 私子供の頃は荒んでて、同じような仲間達とそういうところに住んでたの。親がいなかったし、預けられた孤児院も終わってるところだったから、逃げ出しちゃった」


 初耳だった。


 大人になってからの日常と過去を語り合うことはままあったけど、子供の頃となると話は別だった。俺にだってアオイに言いたくない情けない過去や、挫折の過去がある。


 だからあえて、アオイにそれを問うことはしなかった。

 負け組である俺たちワースレスの過去なんて、語るべきものではない。各々の胸の内に秘め、生きるための原動力となればそれでいい。


 しかし、そんな俺たちの不文律の隙間から、アオイの過去が滲み出てくる。

 普段通りをうそぶきながら、俺たちもやはりどこか浮かれているのかもしれない。


「私たちはね、河川敷の橋の下とか、廃ビルとか、そういうところに隠れながら夜を過ごしてたんだ。『食べるために』って言い訳して、色々と良くない事してきたから、私らを狙ってる人も大勢いたし、そんな奴らから隠れながら生きてた……」


「マジか」


「うん。反社会的な大人達に捉えられそうになったりもちょくちょくあってさ。ほら、子供の女の子って色々と需要あるじゃん? そんな人たちをぶん殴ってやったら、余計多くの人に命狙われるようになって」


 アオイはあっけらかんとした様子でケラケラ笑う。アオイの野生的な勘や、自分の身体能力を知り尽くしたような動きは、その頃に身につけたものなのかもしれない。

 俺も大概いい子供時代を送ってきたわけではないが、常に身の危険を感じるプレッシャーが、彼女の感覚を研ぎ澄ませ、身体能力を高めていったのだろうか。


「悪いね。ロマンチックなところで、こんな話」


「いいよ。ていうか、バイオレンス映画見てるみたいで面白いし。もっと聞かせて」


「言うねぇ」


 アオイは嬉しそうに笑う。 


「でもね、そこで運命の出会いがあったんだよ。『捨てる神あれば拾う神あり』だね。あの人は、本当に神様みたいに、私の前に現れたんだ」


「あの人?」


「私の『婚約者』だよ」


 俺はアオイの話の続きを促したことに、僅かばかりの後悔を感じ始めていた。

 前を歩く男女の笑い声。

 その声が、俺にはひたすら遠くに感じた。


「不思議な話だけど、本当に救世主みたいに、突然私の目の前に現れたんだ。それでね、今までの私の価値観の全部を壊して、そして作り直してくれた。その時初めて、私は廃ビルの屋上で見てきた星達が、美しいものだったって気付けたんだよ」


 俺の手を握るアオイの手に、力がこもる。俺とアオイの皮膚は繋がりを深め、しかし彼女は遠くの星を見つめている。提灯と提灯の合間、ほんの少しの暗がりに覗く、この秋の星を――。


「生きる希望」


 そんな言葉が口をつく。


「そう、今私が生きている意味。彼と一緒に、こうやって歩きたい」


 アオイの手が緩む。

 本当の温もりを求めるように。

 これが愛というものなのだろうか。

 俺には、わからない。


「ソラトも出会えるよ、運命の人に。私、ソラトの事は、彼の次ぐらい信用してるからさ」


「散々キモいって言ってるのに?」


「キモくても、いい奴だよ」


「はいはい」


 そうなのかもしれない。

 いずれ俺も、アオイではない誰かに出会い、救われるのかもしれない。

 でもそんな未来が来ることを、俺は心の底から恐れた。


 道の先に、煌々と輝く光が見えてきた。

 悩みも、苦しみもない、神々が住むとされる『光の都』は、もうすぐそこだ。

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