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第12話 Rapunzel -zwei-

 街外れにある開発途中で放棄された廃ビル。ラプンツェルが指定してきたおうちとはここを指していた。塔と言うより砦や城に近いようにも見えるが、その全面は白いコンクリートのようなもので固められ、五、六階付近には大きな四角い窓のような開口部が一つ存在する。まるでラプンツェルの塔を模したかのようだった。

 ここに来るまで、赤ずきんと九朗の間にはぎくしゃくした雰囲気が漂っていた。原因はラプンツェルの挑発的な発言にあるのだろう。一方的にイライラしているのは赤ずきんの方で、九朗が何か話す度に鋭い返事をしてくるが、何かに気付いたように視線をそらし、言葉を詰まらせる。その怒りを九朗にぶつける意図はないようだが、まだ心の中で消化できていないようだった。


 今の赤ずきんの心中はぐちゃぐちゃだった。ラプンツェルの言葉がいつまでもこびりついて頭から離れない。赤ずきんあたしの愛は本物なのか、と。赤ずきんには、生娘しょじょのように愛を語ることに恥ずかしさや照れなどは無縁のものであった。そんなことに何の意味も価値もない。だからこそ、いつも胸を張って言うことができた。愛している、と。しかし、それが根底から覆されようとしている。

 自分の気持ちが今まで自分の心から出てきていると思っていたものが、実は作られた仮初めの偽りの気持ちであるかもしれないという不安。マスターを愛するということが、あらかじめ決められていたのではないかという不安。これが機械であれば、プログラムされた感情とでも表現できるだろう。まさに、今の赤ずきんは自身の心がプログラムされたものであるかのように疑い始めていた。


 九朗は、そんな赤ずきんの不安を感じ取っていた。彼女が悩んでいるということもわかっていた。今まで彼に対してあまりにも固執していた感情の根源が、そこにあることも。優しい言葉のひとつでもかければよいであろうか。悩みを共有して一緒に解答を導ければよいであろうか。だが、九朗にそんなことはできない。例え赤ずきんの感情が偽りのものであったとしても。

 怖いのだ。それを指摘したがために、それを解決したがために、赤ずきんが自分から離れるのではないか。また、たった独りの孤独に戻るのではないか。孤独は何よりも耐え難い。孤独は何よりも恐ろしい。だから、九朗は赤ずきんの不安を取り除くことはできない。愚かしくも身勝手な自分のために。



     ◇



 廃ビルの階段を一段一段昇っていく。二人の間にもはや会話は存在しなかった。お互いに不安を抱え押し潰されそうになりながらも今はただ昇るしかなかった。


 やがて最上階のフロアへと辿り着く。一面コンクリート剥き出しの壁と柱。その奥に、玉座のような豪奢な椅子に座った男が一人。その傍にはピンク色のドレスを着たお姫様プリンセスラプンツェルが立っていた。

 ラプンツェルを視界に捉えた瞬間、赤ずきんが吠える。


髪長姫ラプンツェル! わざわざこんな辺鄙なとこまで来てやったんだ! てめぇには聞きたいことが山のようにある! 答えろ!」

「ようこそ赤ずきん。歓迎するわ。そうね、ここまで来てもらったんだもの。ちゃんと貴女の知りたい事は教えてあげるわよ」


 そう言うとラプンツェルは男にしな垂れかかる様に身体を預けた。それを見て赤ずきんはさらに苛立ちを強めた。


「……てめぇが去り際にのたまった事はなんだ! どういう意味だ!」

「あら? 貴女達を襲う理由が知りたいんじゃなかったの?」


 人を小馬鹿にするように嘲笑するラプンツェル。


「まあ、いいわ。貴女にとっては大事なことですものね。ねぇ……赤ずきん。私の読み手マスターは貴女の目にどう映っているかしら?」


 ラプンツェルは男の顎のラインに沿って、その細い指を這わせた。男もそれに合わせるようにラプンツェルの方へと顔を向けた。至極淫猥な様子であったが、九朗は不審な事に気付いた。男はずっと両目を閉じているのだ。ラプンツェルの方を向いた時にも、その目を開くことはなかった。


「赤ずきん。あの男、もしかして目が……」

「ああ、そうだろうな。髪長姫ラプンツェルに出てくる王子は、魔女に追い立てられた時に塔から落ち、茨で目を貫かれたらしいからな。盲しいていてもおかしくはねぇ」


 九朗と赤ずきんの会話を聞いていたラプンツェルは嬉しそうに話し始めた。


「正解よ。私の読み手マスターの目は見えないの。それは何故だかわかるかしら?」


 ラプンツェルが何を言いたいのかが九朗にはわからなかった。読み手マスターの目が見えないのはその役割ロールによるものだろう。九朗が狼になる際に自我を失って暴走するように、ラプンツェルの読み手マスターは視力を失っているのであろう。


「けっ。んなもん、てめぇの読み手マスターだからだろうが。そういう能力なんだろうよ」

「半分正解で半分ハズレ。これは呪いなのよ、赤ずきん」


 ラプンツェルは男の頭部を愛おしそうに抱き、悲痛な表情を浮かべた。


「私達魔導書グリモワールの制約。大きな力を得た読み手マスターへの代償。特に私達のように愛する者が読み手マスターだった場合の呪い。決して裏切らせないための人質のようなものよ。第一おかしいじゃない? こんな不利な条件デメリット何のために必要なのかしらね?」

「言ってる意味がわかんねぇな! 制約? 呪い? そんな話は知りもしないし聞いたこともねぇ!」

「ねぇ赤ずきん。貴女の読み手マスターが狼になる時に自我を失うのは何故? 貴女の物語に出てくる狼は、我を忘れて暴走するような狂暴性のある怪物なの?」


 九朗の背中に悪寒が走った。


「……それは、……確かに違う……が……。それが……呪い? こいつが暴走するのはその呪いのせい……なのか?」

「残念だけど、貴女の事は私にはわからないわ。そうかもしれないし、違うかもしれない。でも、ただ一つ言えることはある。所詮私たちは童話メルヒェンなのよ。その物語の内容に縛られるしかない。私たちが読み手マスターを愛することも物語に定められた筋書シナリオ……。それもまたある種の呪い……。ねぇ、赤ずきん。あなたのその愛は本物なのかしらね?」


 ラプンツェルは男の唇にそっと軽く口づけした後、赤ずきんと九朗の方へと顔を向けた。


「だから、私たちは取引をしたのよ」

「取引……? 誰とだ?」

「もちろんグリムおとうさまとよ。この呪いが解けるのは私たちを作った生んだグリムおとうさましかできないわ。その対価として、赤ずきん。貴女を連れてくるよう言われたわ」

グリムおやじが……? 何故あたしを連れ戻す? 放り出したのはグリムおやじのほうだろうが! 今更一体何の用があるって言うんだ!」

「知らないわ。興味もないしね。ただ、私たちが幸せに暮らすためには、貴女をグリムおとうさまに引き渡さなければいけないのよ。ただそれだけ……」


 そう言うとラプンツェルは男の元を離れ、赤ずきんと対峙した。


「貴女も今の暮らしが大事なのでしょう? お互いに譲れない願いなのよ。そして、それは相容れない願いでもある。素直に一緒に来てはくれないでしょう?」

「当たり前だ! グリムおやじが何を考えているかは知らねぇが、そう思い通りになってたまるか! 連れて行きたければ実力行使で来な髪長姫ラプンツェル!」


 ラプンツェルは物憂げな顔をすると、諦めたかのように一息ついた。そして、彼女のうしろ髪が大きく逆立ち、その勢いを増していく。


「しかたないわね。最初からそのつもりだったし。少しお仕置きしてあげるわ赤ずきんロートケップヒェン!」


 かくして、戦端の火蓋は切られた。


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