赤ずきんがいつものように
ラプンツェルの背後にそびえる金色の長い長い髪が膨張し、勢いよく伸び始めた。それは瞬く間に彼女の前面を覆い、迫り来る銃弾を弾き返す。その刹那、別方向から髪が鋭い剣先のように伸び、赤ずきんへと迫る。
赤ずきんはそれを避けながら駆け出す。駆け出しつつも銃弾を吐き出し続けるが、ラプンツェルの髪の壁に阻まれる。
「ちっ……。てめぇも
なおもラプンツェルの髪が迫る。赤ずきんはその小柄な体躯を活かし、器用に髪を躱しながらも射撃の手を止めることはなかった。
今度の狙いはラプンツェルではなくその
(ちっ。遠距離じゃ埒が明かねぇ……。得意じゃねぇが接近戦か?
そう考えた赤ずきんは、ラプンツェルから距離を取るように後退し、九朗の元へと戻っていった。
横目でちらりと九朗を見る。いつもと変わらない穏やかな表情で、しかし心配そうにこちらを見つめる九朗。その瞳を見て赤ずきんは、わずかな罪悪感と、同時に静かな安心感を覚える。そして、再びラプンツェルと相対しながら、静かに囁き始めた。
「Das ist nicht meine Erinnerung《これは私の記憶ではない》
Eine ferne Erinnerung an jemanden irgendwo《何処かの誰かの遠い思い出》
Eine schreckliche Waffe,《それは忌まわしき凶器》
die einem geliebten Menschen den Bauch aufschlitzte《愛する者の腹を裂いた白刃》
Abscheulich!Ekelhaft!Schmutzig!《おぞましい!嫌らしい!汚らわしい!》
Meine Hände sind wieder voller Blut……《そしてまた私の手は血に染まる……》」
赤ずきんが呪文めいた言葉を口にするたび、その手に光が集まり始める。その光は次第に形を成し、やがて鋭利な輪郭を浮かび上がらせた。
「……
赤ずきんの両手に握られたのは『巨大な裁ち鋏』。その鋏は赤ずきんの身長を優に超え、中程の接続部が外れると一対の鋼へと変貌を遂げる。いや、それはもはや一対の剣。光を反射して鋭く輝く双剣だ。それぞれの手に握られた刃は、血を浴びる準備が整ったかのように鈍く唸りをあげている。
「……さて、
赤ずきんはラプンツェルへと駆け寄る。双剣が唸りを上げ、空を切る鋭い音が響き渡る。ラプンツェルの髪は、まるで蛇のようにうごめきながら鋭利な切っ先を向け、赤ずきんの進行を阻もうとする。しかし、赤ずきんの双剣が、生き物のように躍動するその長髪の悉くを裁断する。切れ端となった黄金の髪が乱舞しながら辺りに舞い散り、眩い閃光を放つ。もはやラプンツェルの髪は、壁の役割を果たすことなく散り散りになっていた。
赤ずきんがその鋏の間合いにラプンツェルを捉えた瞬間、足元から茨の蔓が突然湧き上がった。反応する間もなく、茨の蔓は赤ずきんの足首を捕らえ、その小柄な身体を宙へと高く掲げた。
「ちっ……クソっ……!」
赤ずきんが抗おうとするも、茨の力は容赦がなかった。鋏を振り下ろそうとした刹那、容赦ない力で地面へと叩きつけられる音が響く。
「ガハッ……! っ、くぅ……てめぇ……!」
地に伏した赤ずきんが、ゆっくりと顔を上げる。その視線の先では、男が玉座から静かに立ち上がっていた。茨の蔓。それはラプンツェルの
痛みを押し殺しながら、赤ずきんはよろめきつつも立ち上がり、双剣を構えた。その目にはいまだ消えぬ闘志の光が宿っている。鋏は髪を裁つには申し分なく、茨も剪定の要領で斬り裂ける。だが、四方八方から伸びる触手のような髪と茨に対処するには、赤ずきんの腕の数が決定的に足りなった。髪に対応すれば茨が手足を薙ぎ払い、茨に対応すれば髪が手足を鋭く穿つ。
衣服は裂け、身体中をその名の通り赤く染め上げながらも、赤ずきんはラプンツェルへと向かう。しかし、遂に左肩を髪に穿たれ、左手の鋏を取り落としてしまう。その隙を逃さず、茨の蔓は赤ずきんに巻き付き、その小柄な身体を天高く放り投げた。
受け身を取る間もなく、赤ずきんは再び地面へと叩きつけられる。身体を捻りながら床を無様に転がり、追撃は何とか避けるものの、今度ばかりは立ち上がる事すら困難だった。
身体中が切り傷と出血で赤く染まり、左肩は穿たれた痛みのせいか、だらんと力が入らない。息も荒く、満身創痍の状態だった。
慌てて九朗が赤ずきんへと駆け寄り、その小さな身体を抱き上げると、ラプンツェルから距離を取る。奇妙な事に、先程からラプンツェルは九朗へと攻撃を仕掛けてこない。狼化を警戒しているのだろうか。何にせよ、赤ずきんを回収し離れる時間があるのは幸運だった。
「大丈夫か、赤ずきん!」
その腕に抱きながら九朗が声を掛ける。だが、赤ずきんの身体は見るからにボロボロで、瀕死と言っても過言ではなかった。
「っ……わりぃ、ちょっと、分がわりぃわ……。こうなりゃ……刺し違えてでも……」
「赤ずきん。お前の銃で僕を撃て」
突然の九朗の提案に、赤ずきんは目を丸くする。だが、すぐにその意図を悟ったのか、静かに目を閉じた。
「ふざっ……けんな……! あたしにお前がっ……撃てる……わけねぇだろ……」
「だが、僕が狼にならない限りラプンツェルには勝てないだろう」
九朗の声は静かだが、その言葉には揺るぎない決意が込められていた。彼は自らを赤ずきんに撃たせることで狼になろうとしていた。現状を打開するには、それしか方法がないと悟っていたのだ。赤ずきんもその事実を理解していた。だが、彼女には九朗を撃つことなどできない。物理的な意味ではなく、心理的に、彼女の心がそれを拒絶していた。それに、実はその必要性もなかった。
「んな……こと、しなくても、狼にする方法はある……」
「そうなのか? ならやってくれ赤ずきん」
九朗の言葉に、赤ずきんは一瞬眉を寄せた。
「っ……ほんとにそれでいいのかよ? お前の、意思に……関係なく、また暴れるんだぞ……」
「確かにそれは恐ろしいよ……。だが、それ以上にキミが傷付くのを見てる方がもっとつらい」
九朗の静かな言葉に、赤ずきんは微かに笑みを浮かべた。そして、深く息を吸い込み、その瞳を細める。
「そうか……。なら、応えろッ!」
赤ずきんの目が見開かれ、その深紅の瞳は九朗を鋭く捉えた。もはや迷いの影すら見えないその視線は、九朗の覚悟に応える意思そのものだった。
「Warum hast du so große Ohren?《貴方はなんでそんなに大きい耳をしているの?》」
赤ずきんが鋭い視線を向けながら問い掛ける。その声には、どこか挑発的な響きが混じっていた。九朗は耳をそばだてて、低い声で答えた。
「……お前の敵を一言たりとも聞き逃さないため」
短い沈黙が流れ、赤ずきんは再び口を開く。
「Warum hast du so große Augen?《貴方はなんでそんなに大きい目をしているの?》」
九朗の鋭い視線が赤ずきんを捉える。目の奥に宿る威圧感が、空気を一層重たくする。
「……お前の敵を一目たりとも見逃さないため」
その答えを聞きながら、赤ずきんは無意識に拳を握りしめていた。
「Warum hast du so große Hände?《貴方はなんでそんなに大きい手をしているの?》」
九朗から紡がれた声は、先程よりもさらに低く深い響きだった。
「……お前の敵を一時たりとも離さないため」
赤ずきんは緊張した面持ちで問いを続ける。その場の空気は凍り付くように冷たく、わずかな音も逃さない程の静寂が辺りを包む。
「Warum hast du so eine große Klappe?《貴方はなんでそんなに大きい口をしているの?》」
その瞬間、九朗は鋭い牙を見せつけるように口元を歪め、不敵な笑みを浮かべながら言い放った。
「……お前の敵をすべて喰らいつくすため!」
九朗の身体から黒いオーラが沸き上がり、まるで生き物のように渦を巻きながら周囲を覆い始めた。それに伴い九朗の瞳から光が失われ、意識が徐々に遠のいていく。
「……上出来だぜ
赤ずきんの声が響く中、九朗の身体は完全に黒いオーラに包まれた。その瞬間、空気が震える様な圧力が場を支配する。
「愛してるよ!
赤ずきんの叫びと共に、九朗の身体が狼の姿へと変貌を遂げる。黒いオーラが牙と爪を鋭く形作り、彼の全身から放たれる威圧感が、まるで戦場そのものを支配するかのようだった。
すべての生き物が怯え、竦むような、恐ろしいほどの獣の咆哮が九朗から発せられた。その咆哮は雄叫びにも、遠吠えにも似ており、空気を震わせながら周囲に響き渡る。ラプンツェルたちでさえ、その音に恐怖を覚え、指先がわずかに震えだした。
そんな九朗の腕から赤ずきんは静かに離れると、背後へと回りこんだ。そして、そっとその背中に腕を回し、優しく抱きしめる。
「愛してるぜ、
赤ずきんの囁きが九朗の耳元に届いた瞬間、彼の身体から再び黒いオーラが激しく噴き出した。咆哮が響き、空気が震えた。すべてが狂気に飲み込まれるかのように、狂乱の宴が幕を開けた。