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第19話 Hänsel und Gretel -zwei-

 それはまるで星々が地上に零れ落ちたようだった。夜道に点々と光る銀白の小石。これがヘンゼルの能力のひとつだった。彼らが家へと帰るための道標に使った銀白に光る小石。転じて、願ったモノ、願った場所への誘導灯の役割を果たすことができるという。要するに、この小石を辿っていけばエーミールの元へと辿り着けるということだ。


 九朗はとても便利な能力だと感心しつつ、その奥深さに興味を抱いていた。赤ずきんは戦闘に特化した能力しか持ち合わせていないようだったが、ヘンゼルとグレーテルにはそれだけでなく、多彩で柔軟な特性が備わっているようだった。魔導書の中には本当に様々な能力を持っているものがいることを改めて実感していた。


 今、そのヘンゼルとグレーテルは九朗の両腕にしがみついて歩いている。右腕にはヘンゼル、左腕にはグレーテル。それぞれがにこやかに笑い、楽しそうに彼に寄り添ってくる。これまで子供に懐かれる経験の少なかった九朗だったが、何かこそばゆい気持ちを感じていた。無邪気な双子の仕草が、彼の心に微妙な温かさを宿しているようだった。


「いい月夜ね、お父さんマスター。お散歩には持ってこいだわ。ねぇ、兄さんヨハネス?」

「いい月夜だね、お父さんマスター。お散歩には持ってこいだね。ねぇ、姉さんマルガレーテ?」


 双子は楽しそうに笑い合いながら九朗にじゃれついてくる。その笑顔にはとても無邪気な純粋さが漂い、それがかえって九朗の胸に一抹の不思議な感情を抱かせた。本当に彼らはあの魔導書グリモワールなのだろうか。まるで普通の子供たちのように、純真で可愛らしく、彼の心を僅かながら和らいでくれていた。



     ◇



 だいぶ歩いたであろうか。九朗たちは視界の開けた空き地のような場所へと辿り着いていた。周囲には住宅はまったくなく、おそらく分譲か集合住宅を建てるために用意された用地であるのだろう。あるのはむき出しの土の地面だけで、他には何もない。その静けさがかえって奇妙な雰囲気を漂わせていた。


 九朗はその空間の広がりを眺めながら、無意識に周囲を見渡していた。その時、不意に風が巻き上がり、目の前で小さなつむじ風が発生した。その渦巻く風の勢いに思わず顔を片手で覆いながら後退する。風は短い時間で止み、その中心に一人の男が立っていた。


 男の姿は、まるでその場の静けさを打ち砕くように異質だった。年齢は四十代から五十代程だろうか。ボサボサの黒髪、茶色のインパネスコートを纏ったその様子は風に巻かれた砂塵と同じく荒れ果てているようにも見える。


 ルートヴィヒ・エーミール・グリム……九朗が探していたその男が、今ここに姿を現したのだ。


「おや、君は確か……クロウくんだったね。久しぶりだね」


 男は穏やかな笑みを浮かべながら九朗を見つめた。その声は低く静かだが、不思議な威圧感が伴っているようだった。


「お久しぶりです、エーミールさん。いえ、ルートヴィヒさん……でしたか?」


 九朗は少し戸惑いながらも返事を返す。その視線は男に向けられながらも、どこか警戒心を含んでいた。


「どちらでも構わないよ。名前を知っているということは、私がグリムであることもすでに知っている……ということかな?」


 男の瞳には淡い興味が宿り、微かに口元をゆるめている。その仕草には、九朗の意図を探ろうとする気配が感じられる。


「はい、赤ずきんに聞きました。そして、その赤ずきんのことでご相談があるために、この子たちにあなたの居場所まで案内してもらいました」


 九朗は静かに言葉を紡ぎながら、背後で隠れていた双子へと視線を向けた。

 すると、ヘンゼルとグレーテルがひょっこりとエーミールの前へと姿を現した。二人は無邪気な笑みを浮かべながら、じっとエーミールを見つめる。その視線には親しみだけでなく、どこか探るような好奇心が含まれているようだった。


「おぉ! そこに見えるはハンスとグレーテではないか! ようやくお目にかかれたな」

こんばんはグーテンアーベント叔父様ルートヴィヒ。相変わらず気持ち悪いね。下卑た視線で僕を見ないでくれるかい小児性愛症者ペドフィリア

こんばんはグーテンアーベント叔父様ルートヴィヒ。相変わらず気色悪いわね。厭らしい視線で私を見ないでちょうだい小児性愛症者ロリコン


 軽く会釈をして挨拶をする双子だったが、その言葉は実に辛辣であった。言われたエーミールも顔は笑っていたが、その笑みはだいぶ引きつっていた。


「これは手厳しいな……。それに些か誤解もあるようだが……」

「五階も六階もないよ。ねぇ、姉さんマルガレーテ?」

「五戒も六戒もないわ。ねぇ、兄さんヨハネス?」


 双子は顔を見合わせると、また無邪気に笑い合っていた。その笑顔には純粋さが漂う一方で、言葉の鋭さが際立ち、エーミールに対する扱いが伺い知れた。


「う……む……。そ、それでクロウくん。私に相談とは何だね?」


 形勢が悪いと踏んだのか、エーミールは九朗の方へと向き直った。その動作には、何とか話題を切り替えようとする焦りが見え隠れしていた。


「え、あ、はい。実はあなたのご兄弟の居場所を教えてもらいたいのです」


 九朗がそう言うと、エーミールは眉をひそめ、さも不思議そうな顔をした。


「ん……? それは何故だね? 君が兄さんたちに用があるとは思えないのだが……?」


 エーミールは疑問を抱いた表情を浮かべながら、ゆっくりと問い返した。その瞳には、警戒と興味が入り混じっているようにも見えた。


「実は……」


 九朗は静かに言葉を継ぎ、これまでの経緯をエーミールへと話し始めた。


 エーミールは九朗の話を聞きながら腕を組み、少しずつその表情を硬くしていく。話の内容が進むにつれ、彼の目には複雑な感情が浮かび上がってきた。


「ふむ……。穏やかな話ではないな。しかし、兄さんたちが髪長姫ラプンツェル灰被りアシェンプテルけしかけるかな……? そこまでして赤ずきんロートケップヒェンに拘る理由がわからないが……」

「エーミールさんにも理由はわかりませんか?」

「さすがにわからないね……。兄さんたちの元にはたくさんの魔導書グリモワールがいる。それこそ赤ずきんロートケップヒェンなんぞ比べ物にならない化け物だっている。わざわざ彼女を必要とする意味がわからないし、第一普通に招待すればいいではないか。キミたちと敵対する必要性など皆無であるし。協力が必要ならそれなりに礼を尽くして説明すればキミたちだって無碍にはしないだろう?」


 確かにその通りだった。わざわざ九朗と赤ずきんと戦う必要性はない。何かしらの理由で協力を要請されたのであれば、内容にもよるだろうが支援することも吝かではないだろう。わざわざこんな乱暴な手段をとる必要性はない。


「言われてみればそうですね……。そういえば、エーミールさんは以前、追われていると言っていましたが、それはご兄弟に追われているわけではないのですか?」


 九朗が問いかけると、エーミールは意外そうな表情を浮かべ、軽く眉を上げた。


「とんでもない。兄さんたちと仲違いなんぞしていないよ。私が追われていたのは、とある魔導書グリモワールに目を付けられていたからでね……。どうにも厄介なやつで、ほとほと困っているところなんだよ」


 エーミールはわずかに苦笑を浮かべつつ、その言葉の端々から、不快さと疲弊が滲み出ているようだった。


「そうだったんですね……」


 九朗は少し間を置きながら相槌を打つと、静かに話を続けた。


「話を元に戻しますが、僕は赤ずきんの居場所はご兄弟のところだと思っています。どうか教えて頂くことはできませんか?」


 九朗は真摯な表情でエーミールを見つめながら頼み込んだ。


「ふむ……残念だが兄さんたちの居場所を教えるわけにはいかない。が、赤ずきんロートケップヒェンの居るところにキミを誘うことはできるよ」

「本当ですか!」


 グリム兄弟の居場所でなくとも、赤ずきんの居場所がわかれば九朗には十分だった。それに、赤ずきんの居場所が直接わかる方が、すれ違いなどの無駄がなく、むしろ都合が良いと感じていた。


「ああ、これでも私も魔法使いの端くれでね。それぐらいの魔法ならわけないよ。すぐにでも送ってあげられるが、どうするかね?」


 九朗には最早迷いなどなかった。すぐにでも赤ずきんの元へと駆け付けたい、その一心だった。


「はい! お願いします!」

「うむ。わかった。ハンス! グレーテ! クロウくんを必ず守ってやるのだぞ!」


 エーミールに呼ばれたヘンゼルとグレーテルは元気よく応じた。


「ええ、叔父様ルートヴィヒ。必ずやお父さんマスターをお守りしますわ。ねぇ、兄さんヨハネス?」

「うん、叔父様ルートヴィヒ。必ずやお父さんマスターを守るよ。ねぇ、姉さんマルガレーテ?」


 二人の言葉を聞き遂げると、エーミールは懐から筆を取り出し、空中に絵を描くように振り回した。その軌跡は光を放ち、まるでオーケストラの指揮者が指揮棒タクトを振るように優雅に流れていく。その光は段々と九朗と双子の周囲へ集まり始め、やがて目も眩むような輝きを増していく。


「では、行くぞ! 赤ずきんロートケップヒェンによろしくな!」


 エーミールの声とともに、その光はさらに一段と眩さを増し、九朗と双子を包み込んだ。そして次の瞬間、彼らの姿は光の中でかき消えた。あたりには、三人の姿はもうなく、残されたのはエーミールだけだった。


 その場に独り残ったエーミールは、光が完全に消えた後、微かに考え込むような表情を浮かべ、ぽつりと言葉を漏らした。


「ふむ……赤ずきんロートケップヒェンか……。まさか、あいつが関わっているのか? いや、そんなことは……。少し調べてみるか……」


 エーミールは呟いた後、深い闇夜へとその姿を溶かすように消えていったのだった。


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