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第65話 バレンタインデー

 この年のバレンタインデーは、生まれて初めて、めちゃくちゃ意識した。


 マイは毎年、チョコをくれる。バレンタインの日の朝、学校に行くときに「はい、これ」と言って、包装も何もしていない市販のチョコレートを、ものすごく無造作に鞄から取り出して渡してくれた。一応、ニコッと笑ってはいるのだが、あまりときめかなかった。何か、義理感しかない。


 だけど、今年は違う。


 いろいろあって少なくとも僕は今、マイのことをはっきりと異性として意識していた。ただの幼馴染から一歩、進んだと勝手に解釈していた。なんとなく、マイもそう思っている節があると思っていた。だから市販のチョコではなく、手作りの何かをくれるんじゃないかな、なんて。いや、市販のチョコでもいい。それでもときめくことができる、妙な自信があった。


 「おはよ」


 「おはよう」


 朝、玄関先で会う。のほほんと笑っている。クラスに復帰してから、特に問題は起きていなかった。同じクラスの鈴鹿と明科がガッチリとガードを固めてくれているようで、過呼吸の発作も起こしていないようだった。


 それは、よかったと思う。


 ただ、鈴明(すずあか)コンビが僕らの間に割り込んできたことで、2人きりで過ごす時間は減った。特に登校時。駅に到着すると鈴鹿と明科が合流して、鈴鹿がめちゃくちゃしゃべるので、マイと話ができるのは駅までだけだった。


 さあ、いつも通りなら、すぐ出るぞ。たぶん。


 ワクワクしていたのに、マイは「じゃあ、行こっか」と言って歩き出す。


 おかしいな……。あ! わかったぞ。今年は手作りだから、学校に持ってきていないんだ。帰ってからくれるのかな?


 「おいっす」「おはよー」


 とかなんとか考えながら歩いているうちに駅に到着してしまった。鈴鹿と明科が手を振っている。


 「おはよう」


 「おう、城山。ちょっと待て。これもなんかの縁だから、お前にもやるよ」


 鈴鹿は鞄の中から、きれいにラッピングした手のひらサイズのチョコレートを取り出した。市販のチョコをバラして、包み直したみたいだ。なんだ、がさつに見えるけど、意外にまめなんだな。


 「剣道部の男どもに用意してきたんだけど、いっぱいあるからさ。一つやるわ」


 ガハハと笑いながら、渡してくれた。


 え、なんか感激…。


 バレンタインのチョコは、マイと母さんからしかもらったことがなかった。中学校まで陰キャのキモオタ勢に分類されていたので、全然モテなかったし。そんな僕がJKからチョコをもらっている。その事実に慄然とした。


 ハッとしてマイを見ると、なんだか面白くなさそうな顔をして僕をにらんでいる。


 えっ! もしかして怒ってるの?


 「あ、鈴鹿、ありがとう…」


 「ま、お裾分けみたいなもんだからさ。当然、義理やで。勘違いすんなよ。マイもな」


 鈴鹿は笑いながらマイの背中をバチン!と叩いた。わかっとるわ言いながら、マイは口を尖らせる。


 バレンタインデーの学校というのは一種、独特の雰囲気に包まれている。獲得する者、獲得できぬ者、縁のない者。男子にとってはモテているかどうかのヒエラルキーを、まざまざと見せつけられる一日といえる。僕にとっては15年間、全く縁のない日だった。だけど今年は鞄の中に義理とはいえ一つチョコがあるというだけで、天にも昇る優越感があった。


 気になるのは僕の大本命、マイだ。マイ、早くチョコくれ。すみません。間違えました。チョコください。一日中、そのことで頭がいっぱいだった。


 鈴鹿も明科も部活だったので、2人きりで下校した。朝、鈴鹿からチョコをもらって、よほど僕がうれしそうにしていたのか、なんだか気まずい雰囲気になって、それがまだ続いていた。


 はあ。なんか言わないと。


 「あ、あの」


 「なに?」


 こっちを見ない。真正面を向いて、ブスッとした顔をしている。


 「朝は…。ごめん」


 「なにがごめんなん?」


 特別に機嫌が悪いようではないが、ご機嫌な感じもしない。だけど、マイは基本的に普段からテンションが少し高めなのだ。こういう平静な感じがするときは、実はあまり機嫌がよくないのだ。


 「なんていうか、鈴鹿にチョコもらって、浮かれてしまったというか…」


 何をどう謝ればいいのか、そもそもなんで謝っているのかよくわからなくて、しどろもどろになる。


 「別にそんなん、謝らんでもええやん」


 マイはそう言うと、本格的にあっちを向いてしまった。家に到着するまで結構、ピリピリしていた。


 お腹が痛い。


 「ちょっと、ちょっとそこで待ってて」


 僕を玄関で立ち止まらせると、自分の家に走り込んで行った。しばらくすると、両手で抱えるほど大きな白い箱を手にして戻ってきた。ケーキを入れるような、あれだ。


 えっ、でっか!


 中身は崩れやすいものなのか、マイはそろっと、それこそ抜き足差し足で歩いてくる。玄関でずっと待っているのもなんだと思って迎えに行こうとしたら、怒った顔をして「そこで待っててって!」と制された。


 「はい、これ! バレンタイン!」


 なぜか相変わらず怒ったような顔で差し出す。なんですか? なんでそんなヤケクソ気味なの?


 「あ、ありがとう。何、これ。めちゃくちゃ大きいね…」


 受け取る。うっ、ずしりと重い。


 「マイ、これ、うちで開けていい?」


 「うん」


 「一緒に来る?」


 「うん」


 どうも、怒っているわけではないようだ。緊張しているみたい。


 マイと一緒に自宅に入る。リビングに母さんがいた。テーブルに座ってスマホをいじっている。僕らが入っていくと、顔を上げた。


 「あら、マイちゃん。おかえりなさい」


 「おばさん、お邪魔します」


 母さんは巨大な箱を見て、目を丸くした。


 「何、それ?」


 「バレンタインのプレゼント」


 そう言いながら、テーブルに置く。恐る恐る開けてみると、円形のチョコレート色をした巨大なケーキが入っていた。


 「あ、チョコレートケーキ!」


 「ケーキに見える? よかった!」


 一緒にのぞき込んでいたマイの表情が、パッと明るくなる。


 「初めて一人で作ってん。いっぱい食べるかなと思って、本に書いてあった分量の3倍で作ったら、こんなんになっちゃった」


 そう言って前髪をいじりながら、エヘヘと笑っている。確かに、普通のホールケーキの倍以上の大きさがある。自分の作ったものが受け入れてもらえるかどうか不安で、ピリピリしていたのだろう。


 マイのプレゼントだったら、なんだってうれしいに決まってるやんか!


 「え、普通に美味そうやん。一緒に食べる? 今、食べてええ?」


 「ええの?」


 母さんものぞき込んできた。


 「あら、これ、ガトーショコラ?」


 「あ、そうです! おばさん、わかります?! よかった!」


 マイの手作りガトーショコラは、めちゃくちゃ濃厚で鼻血が出そうだった。本人は「固すぎる!」とか「粘着質すぎる!」とか文句を言っていたけど、そんなのどうだっていい。大好きな女の子が、僕のためを思って手作りのケーキを焼いてくれたことが、すごくうれしくて、涙が出るほど感激した。


 ホワイトデーに、ちゃんとお返しをしないと。

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