好きなひとはいますか?
想いを伝えたい相手はいますか?
ひとのもつ喜怒哀楽。それを表現する単語は数あれど、それらはきちんと"ことば"にしなければ伝わらない。
だれもが知ってるあたりまえのこと。けど忘れガチなこと。
もし、キミにそんな相手がいるならはやく伝えることをおすすめします。
ところで、キミは"ことば"ってなんだとおもう?
:ことばを表現しよう:
結論:ことばとは『コミュにエーション手段』である。
相手に自分の意志を伝えたいとき、それを何かしらの方法で表現しなければならない。それがことばだ。
ことばというと、みんな口から発するそれを思いだすだろう。けど、ことばはそれだけじゃない。
たとえば"手"もそうだ。手の形でことばを表現する言語が世界中にある。手で「わたしの名前は~」を表現したいときは、まず自分を指さして「わたし」を表現し、片方の手のひらにもう片方の親指を押し込むことでハンコ――つまり名前を表現できる。
ジェスチャーを加えてもいいだろう。ほかにも手紙で書き綴ること、音楽や芸術作品の創造、ただ笑顔を見せるだけでもことば足り得る。
ことばとはコミュニケーション手段である。自分を表現する方法を複数知っているだけで、世界はどんどんひろがっていく。
:つたえる:
わたしのなまえは犬物語です。
文字でキミに自己表現をした。たぶん、わたしの名前(ペンネームだけど)がキミに
じゃあ他になにか、わたしについてわかったことはあるかな?
これだと名前だけは伝わる。けど、たとえばわたしが野球好きで犬好きだということは伝わらない。こうやって文章に書くことで、キミに"ことば"を伝えられる。
大事なのは
こんにちは。これを口で言うとき淡々と言うか、それとも「こんにちは!」と元気に言うか、あるいは「こんにちは……」とうつむき加減で言うか、それだけでキミのことばの伝わり方がぜんぜんちがう。
音楽や芸術などは
ちょっとひねって「キミの背中が遠のくたび、こころにポッカリと穴が空いたような気がした」とあいまいに表現するでもいい。
キミがどのくらい伝わればいいかを考えて、そういった"ことば"を紡ぐ必要があるんだ――いままで、そんなこと考えたことあるかい?
:つたわる:
キミが丹精込めて生み出したことばは、けど相手にしっかり伝わらなければ"ことば"として完成しない。
だって、ことばに込められた想いが届かなきゃダメでしょ?
ほんとうに愛していて「愛してる!」と叫んでも、相手が冗談だとおもって「はいはい」なんて返された日には、ね? ――そんなときは教えて。一杯奢るよ。
相手の心にダイレクトアタックできているか。これがほんとーにむずかしい。
人はこころをもつ。けどつながってはいない。
もし、他人と自分のこころを接続できれば自分の"すべて"を相手に伝えられるだろうけど、それは逆に自分の伝えたくない部分も伝えなければならないってこと。
他人だからこそ都合がいい。だけど、それが故に伝える難しさを抱えてしまう。
人は他人の心を察する能力がある。けどそれは曖昧で、モヤがかかって、少しずつ心の距離を縮めていかなければならない繊細な行為。
時にはすれ違うこともあるでしょう。もしかしたら、心にない"ことば"まで伝えてしまうかもしれない。
伝わってしまうかもしれない。
それも含めて、ぜんぶがキミの"ことば"なんだ。
夏休み。いろんな人と巡り合う機会があるでしょう。そんな一人ひとりに、キミ自身の"ことば"をしっかり響かせていこう。
キミにそそがれる"ことば"もしっかり受け止めていこう。
だいじょうぶ、なんとかなるよ。
それが"にんげん"って生き物なんだから。