「――あ、ありがてぇ……! まさか例の『病み村』に、こんなに薬や包帯があったなんて……!」
それは誰の言葉であったか。いやおそらく、グラズヘイム領に送られた病人たちの総意見だろう。
もはや人生も終わりだと思っていた彼らだが、その身体には薬品が惜しみなく塗られ、白く美しいほどの清潔な包帯で覆い直されていた。
「こんな貴重なもんを惜しげもなく……」
「どうなってんだ、この村は。噂じゃ地獄見たいなところだったはずじゃ」
「野ざらしだけど寒くねえしなぁ。なんか広場の中央に、すげー温かいけど怖い黒い炎燃えてるし……!」
病人たちは満たされていた。
広場での処置となっているが、まるで貴族たちしか使えないような医療品で癒された上で、謎の炎で暖を取られていたからだ。
それに知識ある者は、感染病者を下手に押し込めれば、再感染と衛生の悪化で死にかねないゆえ、この対応は間違っていないと知っていた。
「ありがとうなぁ、アンタら。これまで悪く言っててすまんかったよ……」
グラズヘイム領民の手厚い対応に、すっかり気をよくした病人たち。
当初は『誰が看病するかばっちぃ』と平然と宣うカス女の女児に苛立っていたが、今はそんなことはもう忘れ、これまた手渡された毛布にくるまって、くつろいでいた。
「な、なぁアンタら。マジで医療品ってどこで手に入れたんだよ? 絶対高級品だろこれ」
病人の一人が、村人たちに無邪気に問いかける。
文明が衰退した西暦五千年において、眉唾ではない薬品と清潔な包帯はそれだけで最高だ。
一体これをどこで、誰が用意してきたのか――と。そう問われた者たちは、一様に気まずげな表情を浮かべた。
「ふん。そいつを用意したのは、エリシア・フォン・フェンサリルって嬢ちゃんだよ。さっき腹立つこと言ってたクソガキさ」
と、そのときだった。大量のシーツを抱えた村の女性・ダナがぶっきらぼうにそう告げた。
瞬間、病人たちは「フェンサリル……!?」と、少女の名字にこそ反応する。
「それって、俺たちを追放した家の……!?」
と、誰もが心をざわつかせた時だ。名を教えた当人のダナが、「勘違いすんじゃないよ!」と一喝した。
「その嬢ちゃんはまだ十歳だ。アンタらを追放した当主連中とは違う。恨む先を間違えるんじゃないよ」
諫めるダナの言葉。それに驚いたのは、むしろ元々のグラズヘイム領民たちだった。
ダナはエリシアを嫌っていたはず。それがいつの間にか……と、困惑してしまう。
「そーだぜ、ダナおばちゃんの言うとおりだ」
そこで、明るい少年の声が響いた。
病人用の水瓶を持った子供・エーダがダナを援護する。
「たしかにエリシアは例の家の女だ。だからか性格はだいぶカスで人格的にパーで言動はちょいちょいやばくて頭アレなんじゃないかと思うことも……」
――最悪の人物評価じゃねえか、と。聞いている誰もがそう思った。
「だけどっ」
そこで、エーダは声を張り上げた。
「あいつは悪いやつだけど、最悪じゃねえ! 実際村のために薬作ったり、魔術で包帯やシーツをいっぱい用意してくれたじゃねえかよ!」
そう。そこだけは誰も否定できない。
彼女を嫌う村人たちも薄々わかっていたが……エリシアがやってきてから、明らかに生活がよくなっていた。
滅びに抗う村の気運が、上がり調子になっているのを感じた。
「魔獣狩りに出かけるヨシュアの兄貴についていってもくれてるしな。おかげで兄貴、最近はすごく元気じゃねえか。それだけでツリがくるってもんだ」
誰もがヨシュアを敬愛している。命懸けで守ってくれる彼を愛している。
ならばこそ。そんな彼を守る少女に対し、感情を向けるとすれば――。
「感謝、してやろうぜ。イイ加減にさ。今度アイツのとこに押しかけて、耳元で『サンキューな!』って喚いてやろうや」
ニッと笑いながら、いたずらめかして言うエーダ。
そんな彼の醸し出す空気に、民衆たちが頷きかけた時だ。
「余計なお世話だっつの」
冷めた声が広場に響いた。
いつのまにやら噂の少女、エリシアが銀髪を揺らしながら姿を現したのだ。エーダの横に。
「ってうわーッ!? いつのまに!?」
「足音殺して近づいてたのよ。なんかみんながわたしの悪口大会してそうだから、あえて聞いてめちゃくちゃ恨んでやろうって」
「ってちげーよッ、どんだけおまえひねくれてんだよ!」
……アレな言動を全開にするエリシア。
これには村人たちも『やっぱ感謝しなくてもいいかも……』と呆れ、病人たちは『こんなん恨んでても疲れるだけだわ』と、悪い意味で心を落ち着かせたのだった。
「ふん、どうやらくだらないことを話していたみたいね」
「おい、くだらないっておまえなぁ。俺はおまえのことを思ってだな……」
「余計な気は回さなくていいのよ。それよりも」
エリシアがぺにょっと指を鳴らした。
瞬間――夜の広場に、芳醇なスープの香りが溢れ返る。
「夜食を用意してやったわよ。病人も村人もそれ食って、さっさと寝なさい」
エリシアの憎まれ口も気にせず、誰もが鼻をひくつかせた。
匂いのする方向に視線を向ければ、いつの間にやら赤毛糸目のエプロン男が、大きな鍋を用意していた。
そして、
「ふう、ここでいいか」
領主ヨシュアが、机と大量の食器を運んで現れた。
「ありがとさん、領主様。エリシア様の命令で、あやうく自分一人で運ばされるところだったわ」
「なに、気にするなイスカンダルよ。せっかく山菜を取ってきたのだ。彼女ならこうするだろうと薄々思っていたからな」
男たちが苦笑交じりに少女のことを語る中、かぐわしい香りは夜風に乗って広がり続ける。
行者ニンニクの甘やかな匂い。根菜類の穏やかな芳醇さ。そこに炒めた麦粉やキノコの香りが混ざって、食欲を掻き立てるオーケストラとなっていた。
匂いだけで滋養が満たされそうなほどである。
またエリシアは野菜のほか、ワインを作った後に残った酒粕もアクセントに加えていた。
現代で言うところの『かす汁』である。わずかなアルコール成分は、身体に負担をかけることなく発汗と代謝を促し、食欲を増進させるため、滋養の必要な病人たちにはぴったりだった。
「諸君。我らが賢者、エリシアからのありがたい炊き出しだ」
かす汁のお椀を掲げるヨシュア。病人たちは揚々と、村人たちは「仕方ねえな~」と微笑みながら掲げる。
「彼女に感謝し、遠慮せず食べるといい!」
『ウオオオオオーーーーーッ!』
歓声を上げる民衆たち。こうして絶望の地とされる場所に、スープの香りと共に、希望の風が吹き始めたのだった。
「カス女ッ……炊き出しを用意してたなんて、おまえもしかしてカスじゃなかったのか!?」
「馬鹿ねぇエーダ少年。労働力になる下民共を元気にして、もっと働いてもらうためよ」
「それでこそだぜカス女~ッ!」