「「乾杯……!」」
――フェンサリル領・東部にて。
僻地では捨て置かれた病人たちが苦しむ中、この地では豪奢な屋敷の中で、二人の貴族が会食していた。
「やぁ、ラハブ。本日はディナーに招いてくれてうれしいよ」
片方は若作りの柔和な紳士、バグダート・フォン・フェンサリル。
燭台の篝火が照らす中、一切揺らぐことのない仮面じみた笑みを、眼前の人物に向けていた。
そして、
「や、や、やぁ叔父上……! 今日は楽しんでいってくれよ……!」
片方は、癖のある黒髪を無造作に伸ばした男、その名もラハブ・フォン・フェンサリル。
フェンサリル家が分家当主であり、貴族としては子爵にあたる人物だった。
「ふ、くく。きき、聞いたよ、叔父上。我らがフェンサリル家の名を上げるために、娘のエリシアちゃんを『例の地』に送って、死んでもらう計画を。ひひっ……や、やっぱり叔父上は、考えがすごいよ……!」
仄暗い部屋の中、どもりながら引き笑いをするラハブ。
その様子は少々異様だ。服装は豪奢ながら纏う当人はやせ細り、肌は病的なほどに白くなっている。
だが瞳だけは爛々と偏執狂めいた微光を放ち、ラハブという男から、不気味な威圧感を醸し出す結果となっていた。
部屋の隅に待機した使用人たちが、じわりと緊張の汗を流す。
「はは。ありがとうラハブ。お褒めに預かり恐悦至極だ」
が、しかし。バグダートは一切動じることはない。適当な礼を言いながら食前酒のグラスを傾ける。
家のためなら娘すら殺す精神的怪物。彼は眼前の『引きこもり風情』など、まるでどうとも思っていなかった。
それどころか、
「――ん~、ワインの味が重たいねぇ。もしや引きこもりすぎて、センスが悪くなったのかい?」
「ッッッ~~!?」
突然の侮辱的発言。何の脈絡もない挑発。
それをかましたバグダートに使用人たちは顔を青くし、逆にラハブは顔を赤くして「ちぃい違うッ!」と喚いた。
「そそッ、それは、ソムリエも兼任していたシェフを辞めさせたからだっ!」
「ほう、それはまたどうして? この家は酒とご飯だけは美味しかったのに」
「ッ……あ、あぁ、あの男は、よりにもよって感染症にかかりやがったから、だ! ぉお、おかげで食材も酒も一斉廃棄、厨房も全清掃でえらい目に遭った……!」
「へー」
話を振っておきながら、しかしバグダートは興味なさげにワインを舐めていた。
たまには悪いものを摂取するのもいい。家のご飯が美味しくなりそうだ――などと、ふざけたことを呟きながら。
「なッ、なんなのだっ、今日の叔父上はッ!」
「ん? なんだもなにも、昨日も今日も叔父上だけど」
「ふざけるなっ! もも、もしや私に怒っているのか!?」
「怒っているって~?」
首を傾けるバグダート。そんな彼に、ラハブはわずかに声量を下げて答える。
「あ……アナタの娘のいる村に、つい先日も病人集団を送った件だ……! 例のシェフごと放り込んでやった……! それが気に障ったのかと……」
「は」
その時だった。バグダートが「あっはっはっ! そんなことかぁ~!」と笑い出した。
「お、叔父上?」
「ああ、気にしなくていーよ、別に。たしかに侵略戦争前に娘が病死したら困るけど、そうならないよう手を打っている」
「手……?」
「うん、実は優秀な【監視】の術師をつけていてね~。くだらないことで死にそうになったら、流石にお父さんがなんとかするよ~」
上機嫌に笑うバグダート。グラスを手の内で弄び、中の液体を回し始めた。
「は、はは……そう、ですか……」
と、未だに要領は得ないながらも、ラハブがつられて愛想笑いを浮かべた――その時。
「
瞬間、ラハブの横顔を高速でグラスが駆け抜けた。
そして、バリィイインッ、と。彼の背後で破砕音が響き、赤黒い葡萄酒が血のごとく壁にブチ撒けられた。
「なッ――なぁッ!?」
バグダートがグラスを投げつけたのだ。
そのことに一瞬遅れて戸惑うラハブ。思わず立ち上がって身を引こうとするが、しかし。
「
片足を上げたバグダートは、思い切り机のへりを蹴った。
それにより前に進んだ机はラハブの腹を打ち、痛みと共に彼を強引にその場に蹲らせた。
「ぐぅぅううッ!? お、おじ、うえぇえ……!?」
「あのさぁ~~~。あのさぁラハブくぅん。キミ、私の話を、聞いてなかったか~い?」
ガタンッ、ガタンッと。静謐に包まれていた夜の屋敷に、暴力的な音が響く。
バグダートが机を脚で押しては椅子の前脚を上げ、何度も何度も、床に叩きつけ始めたのだ。
あくまでずっと、笑顔のままで。
「マジでさぁ~~キミさぁ~~~~~~~ラハブくんさぁああああ~~~~~~~」
まるで子供のようなふるまい。だがそのたびに、大理石の高価な床に乱雑な傷がつき、また机と椅子の背の板挟みになっているラハブは、衝撃を受けて「うッ、ぐぅっ!?」と呻いた。
「お、叔父上ぇ……! ここっ、こんなことが、家族同士とはいえ、許されるとでも……!?」
「あぁそうだねぇ許されないよねぇ。貴族同士は暴力禁止。殴っていいのは下民だけだ。がしかし――」
そして、ガタンッッと。ひときわ強くバグダートは机を蹴り、ラハブに告げた。
「キミ――調教した魔獣を放っただろう?」
「ッ!?」
そう。辺境伯たるこの男が腹に据えかねていたのは、その件だった。
「な……なんの、話を」
「とぼけてんじゃねぇよゴミ」
「ゴミ!?」
「もう全部わかってるからねぇ~~~? キミさぁぁ、術師を使って
「ッ!?」
行動を読まれていたこと。それに驚愕しつつ、言葉尻の『息子』という単語に、次はラハブが激昂する。
「むッ、むすッ、息子ではなぁいッ! ァアァッ、あの男はッ、娼婦の腹に勝手に芽吹いたカビのようなモノで――!」
「
「ぅっ……!?」
ラハブの咆哮は数秒で途絶えた。
「まぁわかるよ……うっかり作っちゃったヨシュアくんは、キミにとって人生の恥だものねぇ? それはトロールの調教具合からよぉくわかった。さっきも言ったように、忍び込ませてる
それからバグダートは身をくねらせた。「いや~~あのトロールを始末するエリシアはすごかった!」と、己が娘を称え始めた。
「いつの間にやら【繰糸】魔術を強化していたんだが。まさに覚醒という感じで、シャバーッと切り裂いちゃってねぇ。我が娘は本当に私をワクワクさせてくれるよ~~~」
「……」
「おかげでどうにかなった……けど」
一転。熱く娘を語ったのち、その声色は絶対零度に染まりゆく。
「なぁ、ラバフくんさぁぁ」
「む……!?」
「あの場で、もしも。ヨシュアくんが死んでいたとしたら。そして、娘が強くなっていることもなかったら。はたしてキミの放ったトロールは、娘をどうしていただろうねぇ?」
「そ、それは」
「魔獣の調教は絶対じゃぁない。そんなことができる術者は『七大魔星』の一人くらいだろう。なのにキミは……」
バグダートは立ち上がった。それから固まる使用人らに近寄り、彼らが反応するよりも先に、一人が持っていたワインボトルを奪い取って再び戻ると……、
「恥を知れ、下郎」
ビシャッ、ビシャビシャビシャッ、と。ラハブの頭にかけたのだった。
瞬間――ぶちりという音が物理的に響く。
「きッ、ききッ、貴様ァーーーーーーッ!!!」
いよいよを以ってラハブは
もう罪も罰もどうでもいい。あまりの怒りに額の血管を破きながら、【劫炎】を放たんとバグダートに手を伸ばした――が。
「遅いよ、ラハブ。私は最初から、切れているし
「あぁ!?」
刹那……ぼろり、と。
「――え?」
弾力のある物体が床へと墜ちた。
それは――ラハブが伸ばそうとした、右腕だった。
「あ……アアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーーッ!?」
響く絶叫。そして噴出する鮮血に、夜会の舞台はたちまち恐怖に染まりゆく。気の弱い使用人が悲鳴上げながら失神し、一人はパニックに、そして一人はしばらく固まったのち、急いで主人に駆け寄った。
「うううううぅうううううううッ、腕があああああああぁあああ~~~~~!?」
「いやー、楽しいディナーだったよ、ラハブ」
かくして、バグダートは今度こそ心から微笑みながら席を立った。
――その片手には、血を滴らせる凶悪な糸が伸びていた。
「酒の味は悪かったけど、ステーキの歯ごたえはなかなかだったよ」
「き、きぃ、きさ、バグっ、ぁう……!」
「今回はこれで手を打とう。まぁ打つというより斬ったんだけどね~ははは」
失血に眩むラハブを無視し、バグダートはどこまでも朗らかに踵を返す。
「あ、そうそう」
そして。扉を開く直前、一度だけ倒れたラハブを振り返り、
「……娘を殺していいのは、
そう言い残して、今度こそ恐怖の権化は去っていくのだった。
「バ――バグダーーートオオオオオオオオオオーーーーーーーーッ!」
こうして、血の夜。一人の愚者が腕を失い、同時に決して消えない炎を、その胸の内に燈すのだった。
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【Tips】
・『ラハブ・フォン・フェンサリル』
フェンサリル家が分家当主。主にフェンサリル領の東部地方(旧ローゼンハイム)を支配している。
若く精力的だった時代には欲と興味本位から異国の娼婦を抱き、結果としてヨシュアが誕生。
だがそれからほどなくして、傲慢な性格が祟ったことで民衆に暗殺未遂を受けて外出恐怖症に。
不健康な生活で精神を崩していき、現在のような状態に至ってしまった。
ゲーム本編では、何者かによって毒殺されたとされる。
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