河伯は流沙河の河川敷を無我夢中で走っていた。
ザリザリと砂利を踏む音と、荒い息継ぎの音だけがやけに耳に響く。
血の匂い、肉の感触が恋しい。魚を食らいたい、果実を食らいたい。
でも食べたら絶対に太る。
また見知らぬ子たちにおもちマンと呼ばれてしまう。
自分のことだからわかる。
今何か食物を手に入れたら
「耐えろ、
そんな思考を振り払うかのように、河伯は一心不乱に髪を振り乱し走っていた。
「おい、また出たってよ」
「本当に?困ったわね……」
流沙河の下流にある
恵岸行者はそこで情報収集をしていた。
というのも、最近この村の観音像を安置している小さなお堂に『流沙河に妖怪が出るのでなんとかしてほしい』とお参りに来る村人が多いと観音菩薩から調査を命じられたためだ。
ちょうど河伯の住処にちかいので、何か彼に問題が起きたのかもしれない、というのが観音菩薩の予想だ。
恵岸行者があたりを見回すと、村人たちは困り顔でヒソヒソと噂話をしている。
「真っ赤な髪を振り乱して走っていたってよ!」
「不気味で嫌だわ……」
噂話に耳を傾けていると、ふと良い香りがしてきて恵岸行者は振り返った。
視線の先には、一軒の屋台。
油であげるジュワジュワした音と、おいしそうなにおいがただよってきている。
特に胡麻の香りが強く香ばしい匂いには食欲をそそられる。
その屋台では、小柄で
「美味しい
恵岸行者はその店に近づき、女性に声をかけた。
「
「あら、綺麗なお兄ちゃんだね。そうだよ、うちの糫餅は村一番……いや、国一番だよ」
「それはすごい!」
「味つけに
「へえ!」
恵岸行者は感心してその糫餅を五つほど購入した。
女性は張り切って揚げたての糫餅を笹の葉に包んだ。
「ねぇ姐姐、ところでさ、流沙河で何かあったの?」
恵岸行者が女性に尋ねるたとたん、売上にホクホクしていたその表情が曇る。
そしてあたりを見回してから声を潜めて教えてくれた。
「数ヶ月前から突然、辺な妖怪が現れるようになったんだよ。なんでもボソボソ呟きながら燃える炎の髪を振り乱し、荒い息をつきながら流沙河を駆け回ってるって」
「ただ走ってるだけなのかい?」
「そうなんだけどさ、なんだか気味が悪いだろう?ガタイも大岩のようにでかいっていうしさ」
「ふぅん……」
「お兄ちゃん旅人かい?命が惜しけりゃ流沙河には行かないほうがいいよ」
「ありがとう、姐姐。でもちょっとみてみたいかも」
糫餅を受け取りながら恵岸行者がそういうと、女性はとんでもないと首を振った。
「やめときなって!あんたみたいな若い子たちが興味本位で見に行って、何があったか知らないけれど、家から出られなくなってる」
きっと妖怪の呪いさ、と女性は声を潜めた。
「命あっての
「はーい」
屋台を後にして、恵岸行者は村の中央にある木の陰に移動した。
笹の葉を解き、糫餅を一つ取り出し齧る。
じゅわりと染み出す油と、香ばしい雑穀の香り、少し溶けた砂糖と肉桂、胡麻の味が混ざって絶妙だ。
「燃える炎の頭、か。河伯の髪を見間違えたか?いや、それとも他の妖怪か……」
恵岸行者は呟きながらあっという間にひとつ平らげると、流沙河へと向かったのだった。