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第231話 浄化をもたらす錫杖の音

 魔羅マーラは周囲の瘴気が消えたことに驚いていた。


 それに加えて聞こえてくるこの騒音。


 ガチャガチャと金属が触れ合う音が魔羅マーラを悩ませた。


「いったい何なのだこれは!やかましいな……!」


 人間や神仙にとって涼やかな錫杖の音色だが、魔の存在にとってこの上なく不快な音色なのだろう。


「隙あり!」


 そんな魔羅マーラを観音菩薩の長虹索ちょうこうさくと文殊菩薩の遁竜椿とんりゅうとうが捉えた。


 耳を塞いでいた両手を縛られ、上へと上げた状態で拘束される。


「ぐあああっ!」


 抑えがなくなり耳をつんざく金属音に、魔羅マーラは絶叫した。


 あまりの苦しさに両目両耳からどす黒い血を流すほどだ。


「おのれ……!」


 金属音に混じって途切れ途切れに聞こえてくる、あの宿敵にも似た声明しょうみょうがさらに魔羅マーラを苦しめていた。


(あの猿が何かしたのか?をこのように苦しめることなどあの猿にできるとは思えぬが……)


「そりゃ!」


「くっ!」


 苦しみと思考で魔羅は完全に油断していた。


 いつのまにか近づいていた普賢菩薩に気づかなかった魔羅は、すんでのところで呉鉤剣ごこうけんをかわす。


 チリ、と音がして、その剣は魔羅マーラの髪をほんの少し切り落とした。


「っ、この……!」


 魔羅マーラは反撃をしようとしたが、両手を拘束され動きも鈍くなっていたので、普賢菩薩はなんなく魔羅マーラの攻撃範囲から逃れることができていた。


 追いかけようとしたが、今度は准胝観音が放った炎の矢が雨のように降り注ぎ、身動きが取れなくなる。


「准胝の姐御アネゴが人間を連れてきた時は驚きましたけど、うまく行きましたね!」


 普賢菩薩が観音菩薩に言うと、観音菩薩は苦虫を噛み潰したような顔をした。


それがしたちもふるわねばな」


 観音菩薩を挟んで反対側にいる文殊菩薩も遁竜椿とんりゅうとうの柄を握りしめ、魔羅マーラに拘束を解かれないように力を込めながら言う。


「サクッと奮いましょー!」


 普賢菩薩は呉鉤剣を構え直し、再び魔羅マーラへと向かって行った。


「問題はどうやって元始天尊から魔羅マーラを引き離すか、なのですが……」


「うが……がああ、あああああっ!」


 観音菩薩が言ったと同時に、半狂乱の魔羅マーラが拘束を破った。


 宝貝がそれぞれの手元に突然戻り、その衝撃に文殊菩薩と観音菩薩が尻餅をつく。


「ひぇっ、嘘っ!!」


 自由の身になった魔羅マーラの瞳が普賢菩薩を捉えた。


 体躯はそんなに大きくないはずなのに、纏うその気配は普賢菩薩自身の何倍にも感じる。


 まるで蛇に睨まれたカエルのように、普賢菩薩は動けなくなった。


 魔羅マーラと睨み合ったまま永遠に時が止まったかのようで、少しでも動けば『られる』。


 そんな気迫をまざまざと浴びせられ、普賢菩薩は気を失いそうになっていた。


「普賢!」


「間に合わない!」


 文殊菩薩と観音菩薩は、慌てて体勢を整えもう一度宝貝を放とうとするが、普賢菩薩と魔羅マーラの距離が近すぎてできずにいた。


「妾が行く!」


 准胝観音が跳躍し、普賢菩薩を庇おうと両者の間に出る。


「まずは二匹……!」


 躍り出た准胝観音に手を伸ばしながらニタリと魔羅マーラが笑う。


 准胝観音は全ての腕を戦闘体制に構えた。


「うぉおおおおおお!」


 自身を奮い立たせるため、准胝観音は腹の底から吼えた。


 准胝観音も魔羅マーラが怖かった。


 全ての悪意、悪しきものの王である魔羅マーラとの対峙は恐怖でしかない。


 平然と対峙できるのはおそらく釈迦如来くらいだろう。


袖裏乾坤しゅうりけんこん!疾!」


 突然、鎮元大仙の唱える声が聞こえたと思ったら、准胝観音と普賢菩薩は何かに包まれ魔羅マーラの前から姿を消した。


「どこへ行った!」


 獲物を見失った魔羅マーラは辺りをキョロキョロと見回している。


「うがあああああっ!」


 そして咆哮し、再び瘴気を撒き散らした。


 今度は黒大蛇が三体現れた。


蹂躙じゅうりんせよ!」


 魔羅マーラの号令で黒大蛇たちが清浄の間に放たれた。


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