がやがやと騒がしい声が響く食堂がある。
美味しそうな匂いが漂うここは、星の世界の
天の星を司る官吏たちは勤務後の空腹を満たすためにやってきていた。
「
酒に酔った星の一人が隅で飲んでいた奎宿に声をかけた。
奎木狼とも呼ばれた彼はゆったりとしたほろ酔いのとろんとした目つきで振り返った。
そのとき
「おまえ、また一人で飲んでるのか?こっちにこいよ。面白い話を聞いたんだ」
「遠慮しとくよ。僕の耳は良すぎるから、こういった端のところが落ち着くんだ。ところで面白い話って何だい?」
奎宿は狼の耳を指差していうと、音を遮るための頭巾を目深に被って尋ねた。
「それがな、天の川の
「ええ……」
奎宿は眉を顰めた。
生真面目な奎宿にとって、仕事中にナンパをするような天蓬元帥は問題外なのだ。
「西王母さまはたいそうお怒りで、それはもう大変だったそうだ」
天蓬元帥といえば、天界では知らぬものがいないというくらいの女好きで、彼に声をかけられた仙女は星の数より多いと言われるほどだ。
また、声をかけても相手にされないのも有名で、天蓬元帥のナンパがいつの日か報われる時が来るか否かを賭けるものたちがいるくらいだ。
「地に落ちてはもう戻ってこれないだろうね」
「西王母様直々にお沙汰を出されたそうだからなあ」
天蓬元帥のやらかしに呆れながら奎宿は酒を
「真面目にきちんと生きていたら、ちゃんと報われるのにな」
そう呟くと、同僚は吹き出した。
「真面目もいいが、たまにハメを外して楽しむのも良いぞ。お前は真面目すぎ。もう少し遊んでみたらどうだ。天蓬元帥みたいにとは言わないが」
「いいよ。遊ぶなんて……僕はそういうの得意ではないんだ。気が小さいからね」
「まあ、たまにこっそり下界に行ってみるのもいいんじゃないか?数年下で過ごしても、こっちではほんの数分しか経たないからな」
天官の中には時間差を利用して下界に降り、人の暮らしを楽しむ者もいるという。
奎宿は苦笑して首を振り席を立った。
「ふふ、面白い話をありがとう。ごちそうさま」
「このあとはもう白虎宮に帰るのか?明日は休日だろう?」
奎宿は西方の星を担う白虎宮に暮らしている。
「読みたい本があるんだ。休日はいつもの通り自室でゆっくり過ごすよ。じゃあね」
そう言って奎宿は同僚に手を振って帰途に付いた。
そのころ、下界……人間の世界では、夜空に瞬く星を眺めながら、
その名のとおり、花にも劣らぬ華やかな容姿の麗しい姫君である。
「ああ、どこにいるのかしら、わたくしの運命の人……」
一国の王女ではあるが、恋愛に興味がないわけではなく、むしろ恋に恋する状態であった。
だが成人を迎えた彼女には、王女として果たさなければならない大切な役目がある。
「国が決めた夫なんて嫌よ。わたくしは、わたくしの心から愛する人と一緒になりたいわ」
ぎゅっと、百花公主が胸元に抱えたのは異国の恋愛絵巻物。
大陸を旅する
異国の文字はわからなかったが、そこに描かれている色彩豊かな絵は百花公主の心をときめかせた。
悪者に囚われた美しい姫と、彼女の元に白馬で駆けつける王子と見られる男性の絵。
百花公主が一番好きな絵だ。
「はぁ……」
百花公主がため息をついて空を見上げたその時、紺碧を光が走った。
「流れ星!」
百花公主は両手を組み、祈った。
「お星様、どうかわたくしの運命の方と巡り逢わせてください……」
祈り終わるかどうかの時、凄まじい轟音が轟いた。
「えっ……?」
百花公主は驚き、目を開くと暗い夜闇でもわかるくらいの白煙がもうもうと上がっていた。
「街の近くだわ。行ってみましょう」
外套をさっと羽織り灯りを持つと、慣れた手つきで窓から木を伝い降りて駆け出した。
あんなに大きな音がしたのに、ふしぎなことにその現場の周りには誰もいなかった。
「う……うぅ……ん?」
うめき声が聞こえ、そちらに灯りを照らすと、木の根元に横たわる青年がいた。
どこかの文官なのか、頭巾を目深に被り黄色い法衣を身にまとっている。
「どなたかしら……」
百花公主は、宝象国で働く役人の顔はみんな覚えているので、おそらく彼はキャラバン隊と共に国を訪れた他国の役人なのだろう。
「大丈夫ですの?あなたは一体……」
声をかけると青年はハッとして上体を起こして辺りを見回した。
「こ、ここは白虎宮では?!どこだ?!」
「まあ、なんて……運命……!」
慌てる青年に百花公主はうっとりと呟いた。
青年が起き上がった拍子に彼が被っていた頭巾が取れてしまい、青年のその人間離れした顔立ちに、百花公主は一目で心を奪われてしまったのだ。
人とは違う狼の耳を持っているが、そんなの全く気にならないほど彼は容姿が整っている。
「ああ……」
そしてそれは青年も同じだったようで。
「なんと美しい……!
青年もまた百花公主に気づいた瞬間、時が止まったように彼女を見つめたままで動かなくなっていた。
茉莉花の髪飾りの白さが、夜空の下に輝く艶やかな黒髪を際立たせる。
「ああ、これが、これが恋だというのか……」
青年が手を伸ばすと、百花公主は首を傾げながら恥じらいつつもその手を握り返した。
「僕は奎宿。あなたのお名前を伺っても?」
「私は宝象国が公主、百花ですわ。星の名を持つあなたが、わたくしの運命の人なのですね……!」
二人はお互いの目にお互いを映しうっとりと目を細める。
「ああ、出会ったばかりだというのに、僕はあなたのことを昔から知っているかのようだ。これが運命……あなたが僕の、運命なのか」
「あなたと共にいるためならば、公主の地位など捨てましょう。星の名を持つあなた、わたくしをどうか連れて行ってください」
こうして一目で恋に落ちた二人は、共に連れ立ってどこかへと姿を隠したのだった。