しばらくしてフィオレンティーナは意識を取り戻すと、自分が長椅子の上でジグムントの腕に抱かれていることに気づいた。顔を上げてジグムントと目が合った瞬間、彼女は身体を起こそうと反射的にジグムントを押しのけてしまった。だが、すぐに自分の振る舞いが夫であり国王である相手に対して敬意を欠いたものだったかもしれないという不安と恐ろしさがこみ上げて来て、彼女は深く頭を下げてジグムントに詫びた。
「も、申し訳ございません、国王陛下に大変な失礼を……」
「……構わん。私が話したことは理解したな。必ず同席するように。それと、明日はこのドレスを着て、髪は結い上げろ。王妃らしくな。ヴェールで顔を隠すことは許さぬ。よいな」
かすかに震えながら謝罪の言葉を述べるフィオレンティーナを制すると、ジグムントは一切の感情がこもらない冷たい声で命令した。後ろに控えていたトマスが持っていたドレスをそっと寝台の上に広げて置いた。
それは深紅のビロードに金糸で草花文様が刺繍された豪奢なものだった。ネックラインに沿って真珠と小さくカットされたガーネットが二列に縫い付けられ、肩のところで膨らませた袖にはスラッシュが数本入っていて、白いリネンのアンダードレスを膨らませて覗かせるようになっている。
(こんな豪華で華やかなドレスを着て、処刑場に出ろと言うの……?)
だが今のフィオレンティーナには、それよりもどうしても確かめねばならないことがあった。部屋を出て行こうとしていたジグムントの背中をフィオレンティーナは慌てて呼び止めた。
「お、お待ちください!」
「何だ?」
ゆっくりと振り返ったジグムントの冷たい瞳に射すくめられて、フィオレンティーナは一瞬たじろいだが、それでも勇気を振り絞って問いかけた。
「なぜ、死刑なのですか。先王様とサミュエル様は、いったいどれほどの罪を犯されたのでしょうか。へ、陛下は昨日、あの大聖堂で大人しく退位文書に署名すればきちんとした裁判を執り行うとおっしゃったではありませんか。それなのになぜ……」
「きちんとした裁判を行った結果、死刑という判決に至った。何が問題だ?」
「で、でも……!」
突然ジグムントがつかつかとフィオレンティーナに向かって歩いて来たかと思うと、大きな手で細い肩を掴んだ。フィオレンティーナは骨に食い込むその指の力の強さに恐れおののき、思わず小さな悲鳴を上げた。
「い、痛い」
「俺の前で二度とサミュエルという名を口にするなと
「申し訳、ございません……ただ……」
「ただ?」
「真実を、知りたいのです」
ジグムントが小さく溜息をつくと、手からふっと力が抜けた。彼は一瞬だけ仕方ないといった表情になると、感情のこもらない声でフィオレンティーナの問いに答えた。
「……国家に対する重大な反逆行為が認められた。証拠も揃っている。それだけだ。あの親子に追随していた大貴族達を黙らせるためにも、見過ごすわけにはいかぬ」
「つまり、見せしめのために血の繋がったお兄様と甥を処刑なさるのですね、あなたというお方は」
「それがどうした」
顔色一つ変えずに言い放ったジグムントの全身からは、我こそが正義であり法であるという気迫がゆらめく炎のように立ち上っているのが目に見えるほどであった。フィオレンティーナ自身も、そんなことは百も承知だった。自らの手で政敵を、時には腹心の部下であっても粛清することに
「まだ何か言いたいことがあるのか?」
ジグムントの冷たい声にフィオレンティーナは我に返って顔を上げた。彼女は唇を噛むと、目の前にいる夫に負けないくらいの冷たく感情のこもらない声で答えた。
「いいえ……かしこまりました。明日は仰せの通りにいたします」
ジグムントは小さく頷いて部屋を出て行きかけたが、あ、と思い出したように肩越しに振り返るとこう告げた。その言葉はフィオレンティーナを少なからず驚かせるものだった。
「今夜はこのまま休むが良い」
「え……? あ、あの……」
「何度も言わせるな。俺は忙しい。今日は閨はなしだ。それとも何だ、もう俺の身体なしでは眠れないようになったとでも言うのか? それならそれで話は別だが」
「い、いえ! そうではなく!」
「……今夜一晩だけは、サミュエルに祈りを捧げることを許してやる」
それだけ言うとジグムントはフィオレンティーナの返事を待たず、寝室を出て行った。
(今さらサミュエル様のために祈りを捧げてなんになると言うの……理由が何であれ、わたくしはあの方を裏切って、絶望のどん底に突き落としたのよ。だって……)
昨夜のあの荒々しく残虐な、愛情のかけらも感じられない、むしろ凌辱とも言えるほどの初夜と、その一部始終を見ていたサミュエルのギラギラした瞳の色を思い出して、フィオレンティーナは言いようのない不安に襲われた。サミュエル様は全てを見ていた、汚され、辱められて、そして……愉悦に
(神よ、サミュエル様の魂をお救い下さい、そして、わたくしに罰をお与え下さい……)