目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

なぜ、愛おしいお嬢様は遠くを見ているのか?

 これは、僕の獄中記。美しく気高く賢いお嬢様の執事たる僕の。





 お嬢様は素晴らしい。

 ラフガン公爵家という高貴な家に御生まれになったユラフィーア様。


 乳兄弟でなかったら、僕ごときが会話を交わすことすらできないお方。


 美しく靡く髪に、上品な微笑み。その微笑みが映す先はいつも、この国の未来。


 そう思っていた僕が、お嬢様の瞳の先に男の影を感じたのはいつだったか。


 僕がときでは、手の届くはずのないお嬢様。どうかそこから転がり落ちてきてくれないだろうか。





「ふふふ」


「お嬢様。何か面白いことでもございましたか?」


「いえ、ふふふ、殿下とお話ししたことがとても面白くて」


 お嬢様と婚約者である王子。二人の関係は良好だ。


「あ、そういえば、ルランは“僕”と呼び続けるの?」


「? ええ、僕ではご不満でしょうか?」


「いえ、聞いてみただけよ」


 そう言ったお嬢様の瞳から、僕へのなにかがこぼれ落ちていったように見えて、僕は必死に掬い上げたかった。






「ルラン、聞いて。殿下がね」



 そう優しく微笑み語るお嬢様。愛おしいお嬢様。貴女の口から他の男のことがこぼれ落ちるたび、貴方の瞳が他の男を思い出すたび、なんとも言えない感情が僕を襲う。


「……お嬢様。もっと、王子殿下に相応しくなるために身分制度についてお勉強いたしましょう」



 少しでも、少しでも二人の間にヒビが入るように。









「お嬢様。ご公務は順調ですか? 王子殿下の婚約者なのですから、王子殿下のお仕事を担えるくらいにおなりになったほうがいいでしょう」


「そうね。今でも少しはお役に立てていると思うけれど、もう少し頑張ってみるわ」


「それと、王子殿下はお優しいお方なご様子。お嬢様が罰する勇気をお持ちになってください」


「そう……ね、頑張るわ」



 優秀なお嬢様。僕の言葉を全て超える実績を見せてきた。優秀なお嬢様と比べられる王子は、どんな感情を抱くのだろうか? 僕のように、想い続けることはないだろう。

 僕がお嬢様の心に落とした強い選民思考は、王子にも届いているだろうか? さぁ、気がつけ王子。お前は王族でお嬢様は王族ではない。さぁ、横暴に振る舞え。













「男爵令嬢と、王子殿下がぶつかったのに、なぜすぐその場で処刑なさらなかったのですか?」


 お嬢様と共に見ていたのに、帰宅してからお嬢様を責める。なんとも言え無さそうな表情を浮かべるお嬢様。そうだろう。あの王子はあの平民を気に入ったのだ。いい平民が現れたものだ。使ってやろう。


 あの様子だと、教育が十分ではない。今のうちに、手を打たなければ。男爵家……。いい噂は聞かないな。お嬢様の執事という身を使って、あの男爵に苦言を呈すように見せていいように使ってやろう。




 平民の友人の女性に金を握らせ、いろいろな話をさせた。一つ一つは害にならないような話。あの平民は、ちょうどいい。貴賤の意識がとても強い。でも、知識は足りない。



「あの子は友人なんだ。初めて自分の意思で見つけた友人だ」


 そう言われたと語るお嬢様の瞳は、あの男を写していなかった。想いが冷めたのか? そうか、お嬢様を手に入れるチャンスが近づいてきているのか。






 平民の前でお嬢様の近くをうろうろした。さすが女の勘。僕の想いに気がついたようだ。お嬢様が僕を想っている、そんな勘違いがされるように、お嬢様と共にいる時は面白い話をするように心がけた。


 ついでに、あの王子も僕を見ると嫌な顔をするようになった。ちょうどいい。










 あの平民が王子に抱きついた。ちょうどお嬢様が見るように誘導した。お嬢様は傷ついた顔をして、涙を流した。なんでまだあの王子をそんなに想っている?









 王子の言動に傷つくお嬢様。そんなお嬢様を慰め続けた。お嬢様のお心には、使用人でしかない僕は入り込めない。お嬢様が王子に嫌われるようにしみつけた選民思考に邪魔をされている。お嬢様を落とさなければ。公爵令嬢から。







「お嬢様はお美しいですが、その、少しキツく見えるでしょう。それに比べて、あの平民は愛らしいですから……。あぁ、お嬢様の派閥のあの伯爵令嬢様も同じ系統のお顔立ちでいらっしゃいますね」



 そう何度か言えば、お嬢様は王子に伯爵令嬢を勧めた。






 お嬢様を手放すように、平民を煽った。王子はお嬢様を手放すつもりがないようだから、手放さなければならない状況にしてやろうと思った。






「ユラフィーア様を解放してください!」


 僕がユラフィーア様とお嬢様の名を呼ぶと、王子の顔は歪んだ。


「ユラフィーア様と僕は、愛し合っているのです! 瞳を交わすしか方法はなかったけれど、愛を深めていました!」


 僕の言葉に王子は怒りを露わにしている。


「あの男爵令嬢を王妃とするというのなら、ユラフィーア様を解放して、僕と共に過ごさせてください」


 そう願い出ると、王子は処刑をと言い始めた。お前にそんな勇気があるのか? お嬢様に汚いところを全て任せてきたお前が。

 そう見ていると、やはり勇気はないようだ。ならば、僕ができることをするのみ。僕はお嬢様を手に入れるためなら、なんだってする。


 王子殿下がお嬢様を処刑するおつもりだ、と城内に噂を流す。






 隣国に走った。お嬢様の危機なんです。お嬢様を真に想っているのは僕だ。そう伝え、お嬢様と笑い合った日々を語れば、皆信じた。お嬢様の従兄弟、いい身分だ。彼を連れて戻ろう。






「やぁ、こんばんは。僕のかわいい従妹を処刑しようとしているんだって?」


「……なんのことですか」


「僕の従妹は、帝国の皇位継承権者なんだ。この度、君の父上が我が国に提案してくれて、この国は属国になることになってね」


 僕が姿を現すと、王子は暴れた。


「彼女を、守ってくれ! お願いだ、危険なんだ、その男は!」


 懇願する王子は乱心にしか見えない。僕の信用は、育っているから。ここまで大きく。


「何を言っているのか、わからないな。知らぬが、君のお姫様は君同様、処刑されることになるだろう。罪を犯したのだからな」


「違う! 危険なんだ! 彼女が、ユラフィーアが! その男は!」


「……何を言っている? 彼は従妹の危険をしって命を懸けて行動した男だぞ? それに、従妹と愛し合っていると言っていた」


「違う! 妄想だ! すべて、その男の!」


 暴れる王子は、どこからか取り出した毒を煽った。一体何を考えているのだ?


「彼女に伝えてくれ。私は処刑された、と」


 慌てて駆け寄って様子を見る。心配したふりをして、王子を覗き込む。


「彼女を、ユラフィーアを、守ってくれ……」


 命をかけて疑惑を育てたのか? お嬢様は恥ずかしがり屋だから、僕との関係を隠すだろうと事前に言っておいたのに。背筋が、首筋がひやりとした。








 お嬢様の従兄弟と、お嬢様救出に走る。この男は、意外と優秀だ。お嬢様に真実を語られたら、そちらを信じるかもしれない。あのクソ王子のせいだ。どこかのタイミングで消さないといけないな……。そして、お嬢様をお連れして遠くで二人きりで幸せになるのだ。もしも、お嬢様が逃げようとなさるのなら、事故に見せかけて足の腱を切ってもいい。目も見えなくして差し上げよう。お嬢様の美しい瞳が見えなくなるのは、残念だが。








「感謝するなら、隣国まで走った君の大切な人にね?」


「ルラン!」


「お嬢様!」


 お嬢様の手を取り、ご無事を確認する。やはり、あの王子はお嬢様を側妃にでもするつもりだったのだろう。この牢は罪を犯したものを入れる牢ではない。罪を犯した疑いのある高位貴族を一時的に入れる牢だ。お嬢様は、少し悲しげに従兄を見つめる。その瞳は一体……?



「いや、知らなかったよ」


 そう言って、お嬢様の従兄弟はお嬢様の手を僕から奪い取った。そして、僕を軽く押し、お嬢様を抱き抱えた。


「僕の可愛い従妹が、低位貴族の執事と愛を育み、恋人となっているだなんて」


「え?」


 驚いた表情を浮かべたお嬢様。僕を見ると、その瞳には少しの恐怖心を覗かせた。そして、悲しそうな瞳で従兄を見つめた。


「知らないわ。わたくし、そんな。誰と恋人に?」


「やはり、あの王子が命懸けで言った言葉は、本当だったのか」


 そう言って、牢に鍵をかける。


「殿下の御身になにが!?」


 そう驚くお嬢様。お嬢様の瞳には心配が現れている。そう、低位貴族たる僕が牢に入れられても現れなかった心配が。




「……毒を煽られてね。君を守るためだよ、ユラフィーア」



 そう言ってお嬢様の手に口付けを落とす。


「まぁ……。おにいさまったら」


 心配しているお嬢様の顔が、朱に染まる。そして、鎮痛な表情を浮かべ、あの王子の冥福を祈っている。


「はなせ! はなせ! 僕のお嬢様だ! はなせ!」


 牢を揺らし、僕は叫ぶ。



「何を言っているの?」


 冷たい表情を向けたお嬢様は、首を傾げる。


「あなたは、単なるわたくしの執事よ? わたくしは、あなたのものになった記憶はないわ。乳兄弟として重用はしたけれど、それまでよ。そもそも、なぜ、わたくしと釣り合うとお思いに?」


 先ほどまで浮かべていた恐怖は、お嬢様の瞳にはもうなかった。お嬢様を抱きしめるその男は、お嬢様に向かって跪いた。



「僕……いや、私の可愛いユラフィーア。君を愛し、君以外を愛さないために軽い男を演じてきた私を、君の横に置いてくれるか?」



 そう言うこの男は、僕とは違う、あの王子とも違う、美しい瞳をお嬢様に向けていた。


「えぇ、おにいさま! ……殿下の御身にご挨拶に参りましょう」


 そう言って抱きついたお嬢様もまた、美しい瞳を向けていた。


 二人は手を取り合い、笑い合っていた。そして、僕を見ることなく出て行った。あの男が何か言ったのか。僕の優秀なお嬢様が、年相応に笑い声をあげながら。







 僕は、僕は絶対に許さない。あの男とお嬢様を。牢から抜け出し、絶対にお嬢様を僕の手に。



「まだ生きているのか」


 憑き物が落ちたような表情をした王子が現れた。



「な、なぜ!?」


「私が飲んだのは、仮死薬だ。仮死薬を使って、お前をはめたのだ」


「ここから出せ! お嬢様が、お嬢様が、あの男に、連れて行かれた」


「ふっ、」


 そう笑ったあの王子は答えた。


「それは違うだろう? 彼女の従兄は、彼女を愛しているんだ。我々とは違う、歪んだ愛ではなく、自らを抑え、律し、相手を尊重する愛だ」


「それに、」


 そう続けた王子は悲しそうに言った。


「彼女もあの従兄を愛している。私を“私”と呼ばせ、あの男との共通点を見出そうとするほどに。それに気づいた従兄は、“僕”と呼び方を変え、私を彼女の唯一としようと身を引いたのだ。……彼女も自らの気持ちに気づいていなかったようだがな」


「そろそろ、時間だろう? 私は彼女のために、彼女の立国のために身を使うつもりだ。汚い仕事だってなんだってやる。そして、二度と彼女の前に現れることなく死ぬのだ。それが私のできる最大限の贖罪だ。……元王子として、それを誓おう」



 そう言った王子は、誓いの儀式をした。僕に向かって。


「誓いを破った時、私はお前と同じようになる」


「はっ! 投獄されるとでも言うのか?」



 そう言ったところで、王子は出て行った。何を考えているのかわからない男だ。……ここまで書き散らして、僕の手が赤く爛れているのに気が付いた。なんなんだ、これは、胸が、苦し

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?