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第5話 祖母からの手紙

 九月も半ばを過ぎ、夏のもわりとした風が、少しずつ秋のそれに変わっていた。

 いつものように無理やり身体を起こして仕事に向かうべく、マンションから出ようとした時だ。


「あれ?」


 ルーティンで家を出る時と帰った時にポストを見るのだが、白い封筒が入っていることに気づく。美容室や歯医者からDMが届くことはよくあるけれど、封筒はシンプルでお店のDMではないとすぐに分かった。裏返して差出人を見ると、そこには九州の田舎に住む叔母の名前が書かれていた。


「なんだろう」


 叔母から手紙が届くなんて、初めてのことで面食らう。その場で開けようかと思ったけれど、あまり時間がない。ひとまず鞄の中に手紙を放り込んで、職場へと急いだ。


 仕事をしている間、その手紙のことが気になってしまう。

 十二時になり、お昼休憩に差し掛かるとようやく鞄の中から手紙を取り出した。


封を切ると、中からは二枚の便箋が出てきた。一枚目の一番上には「月ちゃんへ」という宛名が、二枚目の一番下には「おばあちゃんより」と差出人が書かれていた。

 叔母から届いた手紙だが、これはおばあちゃんからの手紙だ。

 でも、おばあちゃんは……。

 先月の頭に亡くなっている。原因は老衰で、穏やかな最期だったらしい。私も、真夏には暑すぎる喪服を着て九州まで葬儀に出かけた。祖母の遺影の前で感傷に浸ったのも記憶に新しい。そろそろ四十九日に差し掛かる頃だ。

 亡くなったはずの祖母からの手紙がどうして今……?

 そう思いながら、封筒の中を再び覗くと、一枚のメモ用紙が入っていることに気づいた。


『月凪ちゃんへ。おばあちゃんの遺品整理をしていたら、机の中から出てきました。いつ書いたのか分からないけれど、月凪ちゃん宛だったので送ります。叔母ちゃんより』


「ええっ……いつ書いたのか分からないって、どういうこと?」


 不可解に思いつつ、手紙を読むことにした。なんとなく、周りをさっと見て、誰からも見られていないことを確認する。昼休憩中に誰も私の行動なんか気にしているはずがないと分かっていても、後ろから覗かれでもしたら恥ずかしい。幸い同じ部署の同僚たちはオフィスの外に出ていて、誰もいなかった。


『月ちゃんへ

手紙を書くのは初めてだね。

この手紙、月ちゃんに届くのか分からないけれど、いつか話しておかなくちゃと思っていたことがあるので、書き残しておきます。今日は二〇二四年の八月二日です。月ちゃんの、二十四歳の誕生日。誕生日だから手紙を書こうと思いついたっていうのもあります。とにかく、月ちゃんには伝えなくちゃいけないことがあるから最後まで読んでくれると嬉しいです。


月ちゃんは昔、“御影の森”に忍び込んだことがあるでしょう?

覚えていますか?

誰にも言ってないのにどうして知ってるんだって思ったかもしれないけど、当時の月ちゃんはものすごく悪いことをしてばれないか心配そうな顔をしていたから、私も月ちゃんのお母さんもすぐに気づきました。でも、あえて気づいてないふりをしました。森に忍び込んだこと自体、別に怒らなければならないようなことではないの。ただ、夜の森に入ると遭難して危ないから、“日が暮れたあと、御影の森へは近づくな”と教えていただけ。無事に戻ってきたんだから、わざわざ叱る必要はなかったの。


でも一つだけ、ちゃんと話していなかったことがあります。

日が暮れたあとに御影の森に入ると、夢幻の世界へ連れて行かれる——これは、本当に起こることなの。

実を言うとね、昔おばあちゃんが経験したことなんです。

御影の森の奥に、古い洋館があって、洋館の奥には『月影の庭』っていうお庭があるの。

そのお庭にはね、不思議な出会いがあると言われていて。

おばあちゃんの家系は、その不思議な場所の影響を受けやすい家系みたいなの。実はおばちゃんも昔、御影の森に入り込んだことがあるんだけどね。その後から、ふと人生に行き詰まった時に、『月影の庭』の夢を見るようになって。夢の内容が気になって、実際に『月影の庭』に行ってみたわ。そこで出会ったのが……ふふふ、月ちゃんのご想像にお任せするわね。だからもしかしたら、月ちゃんも、そこに行けば人生が変わるほどの出会いがあるかもしれません。


……ごめんね、実は昨日、大切な人とお別れして塞ぎ込んでるってことを、あなたのお母さんから聞いたの。だからちょっと、励まそうと思って、思い出した話が『月影の庭』のお話。

『月影の庭』にすべての終わりと始まりがある。

おばあちゃんはそう思っているわ。

意味が分からないことばかり綴ってごめんなさいね。どう解釈するかは、月ちゃんにお任せします。

大切な人との出会いも別れも、すべて人生には必要なことだと思っています。だから、もし、今回のお別れの件で月ちゃんの心が深く傷ついているのなら、それはあなたの人生で必要な痛みだということ——おばあちゃんの考えだけどね。


もし気になるようなら、『月影の庭』に行ってみてください。

大切な出会いとご縁が訪れますように。

おばあちゃんより』


 その母の手紙は柔らかく優しい言葉で締めくくられていた。


「大切な出会いとご縁が訪れますように……」


 声に出して呟いてみると、その祈りのような一文が、お守りみたいに胸に溶けた。

 おばあちゃんはこの手紙を、去年の私の誕生日に書き綴った。

 手紙にある通り、その一日前に、私は大和に振られている。

 振られた直後に、泣きながら母に電話をしたことも覚えている。母とは恋愛事情を大っぴらに話す関係だったし、大和とも婚約をしていて顔を合わせたことがあったから、母にぶちまけずにはいられなかった。

 母がその後、祖母にまで私が振られた話をしていたのは予想外だったけれど……。


「『月影の庭』にすべての終わりと始まりがある、か」


 なんだか意味深で、ポエムのようなことを書くのね。

 おばあちゃんは昔話にでも出てくるような、茶目っ気のあるおばあちゃんで、何がなんでも孫の私に教えられることはすべて教えよう、という気概のある人だった。だからこうしてわざわざ手紙をしたためてまで、私を励まそうとしてくれたのかもしれない。


 読み終えた手紙をさっと畳んで、再び鞄の中へ入れる。

 午後からの仕事の間も、祖母の手紙の中に書かれていた「『月影の庭』での出会い」のことが頭から離れなかった。

 もちろん、頭に思い浮かべていたのはあの銀髪の青年のことだ——。


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