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第11話 出会い

「きみを待っていたんだ」


 彼の口からその台詞を聞いた時、記憶の中でぱちんと何かが弾けた。


 今から七年前、二〇一八年四月のこと。

 実家のある福岡から大学進学のために、上京した。そこそこ有名な私立の大学——若葉わかば大学で、就職に強いと聞いていた。とはいえ、就職のためにそこを選んだわけじゃない。一番の狙いは、大学で活動が活発だった演劇サークルに入ることだった。


 若葉大の演劇サークルから、プロの俳優が何人も出ている。

 演技のレベルが他大学と比べると桁違いに高く、ゆえに学生の活動への本気度も違う。オープンキャンパスで初めて演劇サークルの舞台を見た時、背筋にビビッと電撃が走るような感覚を覚えた。高校時代から舞台女優になるのが夢だった私にとって、青春時代を捧げる場所はここしかないと思ったわけだ。


 四月、右も左も分からないまま東京の街へと舞い降りた私は、大学で各サークルや部活が新入生を歓迎する、いわゆる“新歓コンパ”をはしごしていた。

 自分から気になって訪れた団体の新歓コンパもあったが、先輩たちに強引に誘われたものがほとんどだった。

 そんな中、演劇サークル『アクト・ソレイユ』だけは自ら新歓コンパに参加していた。

 初めて赴いた歌舞伎町の道端で一人、きょろきょろと辺りを見回しながら目的のビルを探す。


「お姉さん、どこか探してる?」

「この辺で女子一人で入れる店、教えてあげるよ」

「一人〜? オレらと飲まない?」


 お店のキャッチの人から、怪しげな金髪男まで、いろんな人に声をかけられるたびに、身体がきゅっと縮こまった。


「す、すみません。約束があるので……」


 正確には「約束」ではなく、コンパの予定だったが、その場をしのぐのに、まだ完璧な立ち回り方を知らなかったあの頃。

 すっかり萎縮しながら目的のビルへと辿り着いた頃には、コンパが始まる午後七時を五分過ぎていた。


 やば、遅刻じゃん。


 新入生が早速遅刻なんて、呆れられはしないだろうか。東京に出てきたばかりで、大学生になったのだってつい一週間前のことで、慣れない環境に、いつも以上に心が敏感になってしまう。指定されていたお店は三階にあったので、エレベーターで三階のボタンを押した。開いた扉の前に、一人の男の子が現れた。


 芳しい花のような香りがふっと花を掠める。目の前の男の子から香っていることに気づいて、はたと視線を合わせた。


 細身の彼は、たぶん180cmぐらいの身長で、黒髪が爽やかな青年だった。優しそうな目は目尻にいくほど垂れていて、表情に滲み出る人柄の良さが伝わった。舞台で言えば、主役をすることが多いのではないだろうか。こういう優しげな男性が主役になったら、お芝居もさぞ人気が出るだろう。そんなふうに思わせてくれる人だった。


『アクト・ソレイユ』の先輩だと思い込んでいた私は、咄嗟に「遅れてすみません!」と頭をがばっと下げる。


「え、いや、俺、一年生なんだけど」


「へ!?」


 すらりとした身体に大人っぽいオーラがむんむん漂う彼を前にして私は固まる。


「いちねんせい……?」


「うん。先輩たちに、『城北さんって子が来てないから、見に行ってくれない?』って頼まれて、外で待ってた」


「そ、そうだったんだ……」


 遅れてきた新入生のお出迎えを、別の新入生に頼むのも珍しいと思ったけれど、彼がお店の外で待ってくれていた理由は理解できた。


「きみを待っていたんだ」


 なぜだかその言葉に顔がきゅーっと熱くなる。鏡がないので正確には分からないけれど、自分の顔が真っ赤に染まっていることはなんとなく感じた。

 単に彼は、約束の時間に遅れている私を「待っていた」と言っているだけなのに、どうしてこんなにも胸がトクトクと高鳴っているんだろう。目の前にいる彼が、見た目が格好良くてスマートに見えるからかもしれない。いやいや、迎えに来てくれたとか、たったそれだけのことでドキドキするなんておかしい。


「どうしたの城北さん」


「なんでもないですっ」


 恥ずかしい胸のうちを振り払うようにして頭をブンブン横に振った。

 彼はきょとんとした様子でじっと私を見つめていたが、「行こうか」とお店の方を指差した。


「はい。そういえば、お名前は……?」


「秋月大和っていいます」


「秋月、大和くん。日本らしくて綺麗な名前だね」


「ふっ。日本らしいか。確かにそうかも。こう見えても京都生まれだから、母親が日本っぽいのにこだわったのかも」


 遠い目をしながら自分のルーツを話してくれる秋月くんは、穏やかな雰囲気を身に纏っていて、確かに京都っぽい。


「京都なんだ。じゃあ、京都弁で話すの?」


「いや、あの独特な口調で話してたら周りからすごい浮くから抑えてる」


「え、話せばいいのに。京都弁、和やかでいいじゃん」


「そういう城北さんはどこの人?」


「私は、福岡」


「それじゃ、城北さんのだって博多弁で喋ればいいじゃん。きっとこういう席で・・・・・・モテるよ」


「博多弁の方が京都弁よりもっと浮くから嫌ですー。モテるために話すのはもっと嫌!」


 くつくつと笑いながら歩く彼がなんだか眩しくておかしい。このままコンパの席じゃなくて、二人でご飯を食べたいな——なんて思ってしまうぐらいには、彼のペースに乗せられていた。


 しかしそんなことはもちろん彼には言えない。二人で会場である居酒屋へと入ると、お店の奥の大部屋に案内された。

 襖を開けるとそこには別世界が広がっていた。

 広い座敷の真ん中に一直線に並んだローテーブルを囲う学生たち。まだ始まって十分ほどしか経っていないので、会場を流れる空気はまだひんやりと冷たかった。でもきっとあと一時間もすれば、ジョッキを片手に赤い顔をした上級生たちが新入生を囲いに来るんだろう。何度目かの新歓コンパなので、未来の景色は容易に想像できる。正直、あのわちゃわちゃとした空気が苦手なので、今のこのぴちっとした空気ができるだけ長く続いたらいいなと思う。

 緊張のせいか、手のひらが汗ばんできた。身長の高い秋月くんの後ろに隠れるようにして会場に足を踏み入れる。


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