「あ、城北さん来たんだ。秋月くんナイス!」
「は、初めまして。城北月凪です。よろしくお願いします」
みんなの前で挨拶をする羽目になり、なんだか背中がこそばゆい。挨拶を終えるとまた秋月くんの影に隠れるようにして、先輩たちから指し示された席についた。
秋月くんとは隣のテーブルで、向かい側に座っているのでお互いに顔は見える。が、隣のテーブル同士で会話ができるほど、この場に馴染んでいないので、彼と話すことは諦めた。
「城北さん、何飲む?」
「私は、ウーロン茶で……」
「いいの? お酒じゃなくて」
「おい、だから一年生にお酒を勧めんなって。まだ十八とか十九だろ」
「ごめんなさーい」
隣の女の先輩がへらへらとした口調で舌を出す。ほんのり頬が赤く染まっていて、すでに出来上がっている様子だった。
やがて私の分のお茶が運ばれてくると、同じテーブルの人で乾杯をした。待たせてしまって悪かったなと申し訳なく思う。でも、そんなことはどうでもいいとでもいうふうに、先輩たちがその場を明るく回してくれた。私のテーブルには一年生は私の他にあと一人で、その子も女の子だった。私よりずっと明るくて、お酒も飲んでいないのに積極的に会話に参加していた。
ちらりと横目で隣のテーブルを見ると、秋月くんが愛想の良い笑顔を浮かべている。先輩たちからはいじられるキャラのようで、「やめてくださいよ先輩」という彼の声が時折聞こえてきた。どこか楽しげな声の響きに、胸がきゅっと鳴った。
「城北さんはなんでうちの新歓に来てくれたの?」
三十分ぐらい経った頃だろうか、正面に座っていた男の先輩が尋ねてきた。確か、名前は
「去年、オープンキャンパスの時に見た演技に胸を打たれて。お恥ずかしいですけど私、舞台女優になるのが夢なんです」
その場も温まってきたので、正直な想いを打ち明けた。舞台女優になりたいだなんて笑われたらどうしようと不安だったけれど、須藤さんは「へえ」と目を丸くした。
「ビッグな夢じゃん。めちゃくちゃいいね。それに、オーキャンで舞台見てくれたんだ」
「は、はい。脚本もみなさんの演技も何もかもすごくて、上手く言葉にできないですけど感動しました」
「ありがとう。そう言ってもらえると、活動のし甲斐があるよ」
須藤さんが歯を見せて笑った。
私も、いつか自分の舞台を見てくれた人に、感動したと言ってもらえるようにしたい。そうなったらきっと、身も心も満たされるんだろうな。
将来のことを考えていると、いつのまにか目の前には食事が山積みになっていて、みんな食べるよりも飲んで、近くの人と会話をするのに必死になっていることに気がついた。大人数用のコース料理で、もうメニューはほとんど出尽くしているようだ。
そのうち、席を交代する人たちが現れて、須藤さんも別のテーブルの島へと移動していった。こういう時、私は席を移動するの苦手だな……。目の前や隣に座っている人になんだか申し訳ない気持ちになるから。
しかし、そんな私とは裏腹に、周りの先輩たちや、一年生も好き勝手に座る場所を変わっていく。秩序立って並んでいた列がぐちゃぐちゃに入り乱れる。先輩たちは酔いが回っているのか、一段階声の大きさがアップしていた。隣の席の人の声も、あまりよく聞こえない。耳にキインという耳鳴りがして、ずっと薄い膜が張っているみたいに、自分の世界と周囲の声が切り取られる。
ああ、どうしよう……。
控えめな私に、最初は物珍しさに話しかけてくれた人たちも、その場が温まってくると「つまらないやつ」と認識したのか、近寄ってこなくなった。隣の席に座っていた新入生も、先輩につれられて別の席へと移動していった。両隣から人がいなくなって、ぽつんと座っていることに孤独感が押し寄せる。こんなに人がたくさんいて、声も響いているのに。孤独を感じるなんてどうかしている。私は感覚がおかしいのだ。みんなが楽しいと思う場で、楽しめないんだから。
ネガティブの思考の沼にどんどんとハマっていく。飲みかけのウーロン茶の氷が溶けて、ほとんど水の味になったそれを一気に流し込む。お茶じゃ酔えない。今、酔っ払いたくて仕方がない。ふと視線を動かすと、テーブルの上に誰かの飲みかけのビールが置かれていた。無意識のうちに、ジョッキに手を伸ばす。取っ手を掴んで、口元に近づけた。
「やめときなよ」
パシ、と私の手首を誰かが掴んだ。今まさにジョッキに口をつけようとしていた私の動きが止まる。
驚いてその人がいる方を見やる。隣の空席に、彼、秋月大和が座っていた。彼は固まったままの私の表情を見て、ふう、と息を吐いた。
「未成年でしょ、お酒はやめなって」
しっかりと芯のある声を聞いて、ようやく意識が戻ってきた。
私、今このビールを飲もうとしてたの……?
誰の飲みかけかも分からないし、お酒だし。危なかった。
慌ててジョッキをテーブルの上に戻す。彼はそんな私の仕草を見て安心したのか、掴んでいた私の手首を離してくれた。
「止めてくれてありがとう」
「どういたしまして。なんか、思い詰めた顔してたけど大丈夫?」
彼にまじまじと顔を見つめられて、頬が火照っていく。アルコールを摂取していないのに、おかしい。
「大丈夫……と言いたいところなんだけど、なんか圧倒されちゃって。今までも何度かコンパに参加したことあるんだけど、いつも途中からついていけなくなるんだよね。私、こういう賑やかな雰囲気が苦手なんだって、今気づいた」
心に巣食っていた負の感情をその場でぶちまける。本当は出会ったばかりの人にこういうことは言いたくない。私だって、話していて楽しい人だって思ってもらいたい。でも、どうしてか秋月くんには嘘がつけなかった。
「そっか。なんか分かるよ。俺も、こういう場が苦手だから」
ゆっくりとした口調で私に同意してくれる彼。落ち着いたまなざしに吸い込まれそうになった。彼が、自分と同じ気持ちでいると知り、心にはさあっと安堵の海が広がる。
「秋月くんも、そうなんだ。なんか意外。どこでも溶け込めるのかと思ってたから」
「そうか? どこにでも溶け込めるなんてそんなことないよ。高校の頃も、帰宅部だったし。人付き合いとか慣れてない」
「へえーそこも意外だ。さっき、入口で話しかけてくれた時、話しやすい人だなって思ったし」
「それは……相手が城北さんだったからかな」
照れたように瞳を伏せる彼の表情を見て、きゅんと胸が鳴った。
今のは何……?
相手が城北さんだったから。
それって、つまりはそういうこと!?
突如押し寄せる恥ずかしさに、私も一緒になって顔を伏せた。
き、気まずい……だけど、胸の中ではトクトクトクと、どんどん鼓動が速くなるのを感じて、嫌な感じは全然しなかった。
むしろ、嬉しい。
そんなふうに言ってもらえたのは初めてだったから。
テーブルの上に無造作に投げ出された彼の腕がふと視界に映る。筋の浮き上がるそれを見つめていると、彼と今、二人きりの世界にいるような感覚に、胸がドキリともう一度跳ねた。