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第16話 私だけ

 田舎の夜は暗い。

 東京なら、午後十時になっても、街はまだネオンサインが煌びやかに瞬いている。対して、祖母の自宅のそばとなれば、午後六時にはもう真っ暗だ。冗談抜きで、スマホのライトをつけなければ転んでしまいそうだった。

 満月だから多少月明かりは明るいけれど、街灯のない田舎道はおそろしいぐらいの闇に包まれる。日が落ちて、昼間に比べるとぐっと気温が低くなったこともあり、寒さも相まって一気に心寂しい気持ちに襲われた。


「早く会いたいな」


“御影の森”にたどり着くまでの間に思わず口から本音がこぼれ落ちる。森の入り口から一歩中へと侵入すると、さらに一段階暗くなった。スマホを握りしめ、なんとか足元を照らしながらゆっくりと進んでいく。目の前を見つめるとそこに横たわる闇にのみ込まれそうになるので、足元のライトばかりを見つめていた。


 やがて、例の洋館へとたどり着く。そこまで来て、ようやく胸にどっと安堵が押し寄せてきた。まだ玲に会えたわけでもないのに。洋館が見えたあたりから、やっぱり薫ってくる甘い香りに、心がくすぐられた。どういうわけか、甘い気持ちが広がっていく。もうすぐ会えるんだ、というワクワクに胸が高鳴った。

 ……って、ダメよ。花田先輩にも言われたじゃない。もっと警戒すべきだって。

 心躍っていた自分を戒める。相手は、見知らぬ青年。こんな森の奥深くで満月の夜にしか現れないなんて、普通の人間ではない。そんな人物に簡単に絆されていてはだめ。よーく心を研ぎ澄ませて、危険な人物ではないか、確かめなければ。


 洋館へと入り、奥の扉を開け放つ。目の前に広がるのは、満月の明るい月明かりの元、さわさわと風に揺れる花や、草木。冬が近づき、前に来た時よりは花の種類は減っているように見えた。物寂しいはずの庭園の真ん中に佇む、袴姿の人影が、ゆっくりとこちらを振り返った。


「遅い。待ちくたびれたぞ」


「……へ?」


 私と目が合って、開口一番何を言うのかと思いきや、文句……!?


「日が落ちて、最速で来たつもりなんですが……」


「いや、日は一時間前には落ちていた。すぐに来てくれてるかと思ってここで待機していたんだぞ」


「はあ。これでも早い方だと思ったんですけど」


「甘いな。言っただろ。俺たちは運命の人同士だって。一分一秒でも早く会いに来たいと思わなかったのか?」


「……」


 運命の人、という彼の言葉に、頭に浮かんだのは前回ここへ来た際に彼から強引に口付けをされたことだ。

 思い出すと恥ずかしくて、思わずぷいっと顔を逸らす。彼は「ん?」と逆に私に近づいて、顔を覗き込んできた。


「ち、近いです」


「月凪の可愛い顔を、もっとよく見たくてな」


「!?」


 こ、この人、なんでそんなに恥ずかしいことをさらさらと口にできるの……!?


 不可解に思いつつ、一歩後ずさる。すると玲もまた一歩前に進む。ぐぬぬ、なんという距離の詰め方……! 普通、出会ったばかりの人間にここまで急接近することなんてできないって。とはいえ、もうキスまでした仲なのだ。強引だったけれど、私たちの関係は単に「出会ったばかりの二人」と表現するのは難しいことに気づいた。


「どうした? 俺の顔に何かついてるか?」


「い、いえ……その、異性にこんなに近くで見つめられたのが、ひ、久しぶりすぎて」


「久しぶりってことは、昔そういう仲だった人間がいるってことだな?」


 妙に勘の鋭い玲に辟易とさせられる。そりゃあ、まあ……ね。私だってもう二十代半ばだし、そういう関係だった人間の一人や二人ぐらい、いますけれども。


「昔の恋人ぐらい、です。それにしても、もうちょっと離れてもらえませんか?」


「昔の恋人か。なるほど。そいつ、どんな人?」


 離れるどころか、どんどん迫ってくる玲。戸惑いはするものの、不思議と不快な気分にはならない。それよりも、間近で顔を見られて恥ずかしいという気持ちだった。


「あなたとは……似ても似つかない人です」


 何も、そんな言い方をしなくても良かったのに、と自分で後悔する。

 これじゃまるで、“あなたはぜんぜんタイプじゃありません”と言っているようだ。


「ふうん」


 私の返答が面白くなかったのか、玲はようやくそっと、私から少しだけ距離をとってくれた。


「面白い」


 意外な台詞が飛んできて、はたと彼の瞳を見つめる。紺青色の瞳には強い意思が宿り、ギラギラと光って見えた。


「面白いって、なんで」


「だって、俺は月凪のタイプの人とは真逆ってことだろ。そんな女を落とすの、絶対楽しいだろう」


「〜〜〜!!」


 声にならない驚きが、頭から煙となって立ち昇るような感覚に陥る。

 この人、一体さっきから何を言っているの!?

 いや、出会った当初から。キスしたり、“落とす”とか言ったり。

 彼の存在自体怪しいことこの上ないのに、息を吸うように恥ずかしげもなく歯に浮くような台詞を吐き出す。もしかして、私を揶揄うのが趣味なの? いや、私以外にもいろんな女の子に会って、同じようなことを言ってたりして。そうだとしたら、より一層信用ならない。花田先輩から受けた忠告がフラッシュバックする。ああ、やっぱり私、騙されてるのかな——。


「出会って間もない人のこと、“落とす”なんて恥ずかしくないんですか? というか、他の女の子にも同じこと言ってません? あなたのこと、ちょっと信用できないんですけど」


 言いながら、それでもこうして遥々東京からやってきたのは自分でしょ、と心の中でツッコむ。つまるところ、彼のことはとても気になっている。が、簡単に信用して(いると思われて)、後で痛い目に遭うのは心外なのだ。だから、予防線を張りつつ、彼の心を少しずつ覗いていく……心理戦みたいなことをしている自分に苦笑した。


「他の女の子? 俺は月凪以外には誰も会ってないが」


「そ、そんなの、口だけならなんとでも言えるじゃないですか」


「はあ? だって俺は、満月の夜にしかここに現れないんだぞ。前回だって、満月の夜にきみに会うだけで精一杯だった。それに、こんな森の奥深くまで来る物好きは、月凪以外にいないぞ」


「う……そう言われてみれば……確かに、そうかも」


 簡単に納得させられている自分が、自分でもバカだと思う。

 けれど、「月凪以外には誰も会ってない」という彼の言葉を聞いて、胸がトクンと跳ねたのも事実だ。

 嬉しい——と、瞬時に思ってしまう自分がいる。

 ああ、やっぱり私、彼に導かれてここに来たんだ。

 運命がどうとかって話はよく分からないけれど、彼と話していて楽しいと感じているのは、紛れもない事実だった。


 夜がどんどん深まるにつれて、月の光はくっきりと輝いているように感じられる。やがて玲の顔が、ちょっと遠くからでもはっきりと見えるくらい、私たちの間には薄明かりが差し込んでいた。



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