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第20話 閃光の記憶

 表参道を照らす、麗らかな秋の日差しの元で、ドレスの裾をはためかせながら歩いていく。大通りのカフェはどこも混んでいて入れそうにないので、一本細い横道へと進んだ。


 パウンドケーキを推しにしているお店があったので、みんなでそこへ入る。店内は広く、自分たちのような若い女性か、品の良さそうなマダムたちで埋め尽くされていた。


 席に着くと、みんなでコーヒーや紅茶と、パウンドケーキを注文した。プレーンやチョコレート、いちご、バナナ、抹茶、ピスタチオなど十種類以上のケーキがあってどれを頼むか迷った。結局私は抹茶味にした。


 飲み物とケーキが運ばれてくる。温かいコーヒーを口に含むと、緊張していた身体がようやくほっと弛緩した。他のみんなも同じだったようで、「なんか、楽しかったけど疲れたねえ」と笑い合った。


「沙耶の幸せそうなとこ見てると、自分も早く結婚したくなったわ」


  優里がぽつりとこぼす。おそらく、この場にいる全員が今日感じたことだ。自分も、早く結婚がしたいって。


 「優里、彼氏いないんだっけ?」


 真帆がアイスティーにシロップを注ぎ、ストローをくるくるかき混ぜながら言う。


「いるよー。でも年下だからさ、結婚なんてまだ考えてなさそう」


「あ、そっか。職場の後輩だっけ? 年下かあ。人によると思うけど、男の子は結婚考えるの遅いって言うもんね」


「そうなんだよ。年下彼氏っていう生き物は好きなんだけどね、結婚に関しては悩みどころよね」


 年下の彼氏。私には一度もできたことがない。というか、私は大和が人生で初めてできた彼氏だから、同級生以外の恋人がどんな感じなのか分からないんだ。


「あ、そういえば月凪は? あんた、もうすぐなんじゃない?」


「え……?」


 茉莉に問われてはたと気づく。

 去年の夏に大和と別れたことを、みんなに伝えていなかったことを。


「言ってなかったっけ……。私、大和とは去年、別れたんだよね」


 私の告白を聞いた優里、真帆、茉莉の三人の表情が固まる。


「えっと……ごめん、聞いてないわ」


「そうだったの? 私、てっきり月凪は秋月くんと結婚するもんだと思ってた」


「原因はなに? もしかして浮気?」


 同じ『アクト・ソレイユ』のメンバーだった大和のことを、もちろん三人は知っている。私が大和のことをすごく好きだったことも、もちろん。


「浮気じゃないよ。なんか、急に冷められた感じ? ……ごめん、私も本当のところはどうしてか分からないんだ。二十四歳の誕生日の前日に、別れようって言われて。それっきり。連絡しても通じないし、海外にでも飛んで行ったんじゃないかなって思ってるんだけど」


 海外に行ったというところは、憶測に過ぎない。別れの電話を受けてから、大和と一切連絡が取れなくなったことに、何か特別な理由をつけたかっただけだ。大和はきっと今も同じ日本の空の下で生きてる。案外、すぐ近くにいるかもしれないのだ。何か犯罪でも犯して刑務所に入っているとかだったら話は別だけど、彼に限ってそんなことはないだろう。


「うわーまじかあ……。なんかショックだな。秋月くん、あんなに月凪のこと大切にしてたのに。捨てちゃうんだね」


 ため息と一緒に漏れ出た真帆の言葉に、ピキッと心を覆っていた壁にひびが入るような心地がした。


 捨てちゃうんだね。

 ……そうか、私。捨てられたんだ。


 自覚はしていたはずなのに、いざ明確に言葉にされると、一年経った今でも胸に来るものがあった。


「じゃあ今はフリー? それとも新しい恋人持ち?」


 大和の話は一旦そこで納得してくれたのか、今度は優里が身を乗り出して現在の恋愛事情について聞いてきた。


「フリー……だけど」


「だけど?」


 一瞬迷って話そうか話すまいかと考えたその隙を、上手く突かれる。どうやら、話すしかないようだ。観念してあのまん丸の月が浮かぶ静謐な森の中での出来事を思い出す。


「気になる人なら、いる」


「おおー!」


 まるで女子高生の会話のようなノリで大袈裟に喜ぶ優里。真帆も茉莉も、「だれ?」と口を揃えて聞いてきた。


「出会ったのは偶然……祖母が住んでた宮崎に行った時なんだけど。影山玲さんって言って、大人っぽい色気のある、格好良い人」


 出会いの詳細や、『月影の庭』については伏せて、彼の見た目についてだけ話した。


 根掘り葉掘り聞かれたら困るのだけれど、三人とも「おお、イケメンか!」と盛り上がっているので大丈夫そうだ。


「で、その人とはどこまで行ったの?」


「どこまでって。まだ二回しか会ったことない。けど……キスはした」


「はー!?」


 ヒートアップする三人の熱と、違う意味で顔に熱が溜まっていく私。騒いでいると周りのお客さんたちに見られるかと思ったけれど、他のお客さんは各々自分たちの会話に花を咲かせているらしく、私たちのことなど誰も注目していなかった。


「キスって、それ、もう確じゃん!」


「いっちゃえいっちゃえ。年上なの?」


「うーん、多分年上ぽいけど、年齢まで聞いてない」


「いいじゃない、年上のイケメン彼氏! 結婚への道のりもぐっと近くなるし」


 詳細を話さないせいか、花田先輩に打ち明けた時とは打って変わって応援の空気を漂わせる三人に、私の方が戸惑ってしまった。


「素敵な人だとは思うんだけどね。私、いいのかなあって」


「え、何が? もしかしてその人既婚者?」


 目を丸くして聞く真帆の言葉に、私はぷっと吹き出した。


「違う違う。心のどこかで、まだ大和のこと引きずってるから」


「あーそういうことね。でもそんなこと、よくあることじゃない。元彼のこと忘れるためにも、新しい恋に突き進むべし」


「忘れるために……」


 真帆に言われて気づく。私は、大和のことを忘れたいのだろうか。別れてからずっと苦しかったこの気持ちごと、どこかに捨て去りたいと思っているのだろうか。


 でもそんなこと、できるの? たとえ新しい恋人ができたところで、大和のことを塵みたいにゴミ箱に捨てるなんて、私には到底——。


「というか月凪、その人とのキスを許したんでしょ。だったら本当はもう、気持ち傾いてんじゃないの?」


 優里の鋭い問いが胸にぐさりと突き刺さる。彼女の言葉に、咄嗟に否定することができずにまごついた。


「ほら、やっぱりね。その人のどんなところが好きなの?」


「それは……勘違いかもしれないけど、なんだか大和に似てるところがあるの。二人は全然性格が違うのに、ふと私を見てる時の表情とか仕草が懐かしくって」


「へえ。元彼に似てる人か〜。やっぱり月凪にとっては秋月くんが一番なのね」


「……そうだね。やっぱり私はまだ大和のこと、」


「ストップ! あんまり月凪を追い詰めたらかわいそうだよ。その辺でやめとこうよ〜」


 ぐいぐいと身を乗り出してく優里と真帆を嗜めるように、茉莉がぴしゃりと二人を止めた。


「ごめん月凪、つい。最近この手の話に飢えてて久しぶりに盛り上がっちゃった」


「ううん、大丈夫。また相談させてもらうかも」


 と言いながら、多分これ以上、玲のことをみんなに話すことはないだろうなと頭の片隅でぼんやり考える。玲という不思議な存在について、まともに話そうとすればかなり怪しまれる。頭のおかしいやつだと思われて終わりだろう。


 その後も私たちは、それぞれの近況報告の話に花を咲かせ、二時間ほど話し込んで解散した。女友達の華やぐ声と、純白のドレスで光のオーラを纏った沙耶の姿が、頭の中でくるくると入れ替わり立ち替わり、思い浮かぶ。きっと今日のことを、一生忘れないだろう。それぐらい、人生初の友人の結婚式の幸せな光景が閃光のように強く、海馬に刻み込まれた。





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