十二月五日金曜日。
あれから一ヶ月して、再び満月の夜がやってきた。今回も無事に有給を取ることに成功し、宮崎の地へと降り立った。毎月コンスタントに来るようになって、第二の故郷になりつつある。
「玲、こんばんは」
『月影の庭』で佇む彼に声を掛ける。御影の森に足を踏み入れた時は、もし今日会えなかったらどうしようという不安に駆られていた。が、『月影の庭』で満月の光に照らされる彼を見つけて一気にほっと気分が和らいだ。
「月凪、今日も来てくれたんだな」
気のせいかもしれない。私の姿を認めた時の彼の顔に、ぱっと線香花火の火が灯ったかのような煌めきが見えた。季節は冬、深い森の中で心細くてしゅんとしていた心が一気に温まる。
「もちろん。先月お別れした時からずっと待ち遠しかったんだから」
「それはこっちの台詞だな。俺は月凪以外に、誰ともこうして会話をすることもないんだ。退屈すぎてどうにかなりそうだ」
「前から気になってたんだけど、満月の夜以外はここに現れることができないんだよね? ということは、その間はどうしてるの」
「説明が難しいのだが……魂だけが、ぼうっとこの場に留まってるような感覚だな。身体の感覚は一切なくて、心も麻痺しているかのように感情はなくなる。でも、この場所から動けないのには変わりない。さっき退屈だって言ったが、まあ実際は退屈だという感情も、浮かばない。ただそこにいるだけ」
「なるほど……本当に、この場所の守護者なんだね」
「ああ」
渋く低い声で頷いた玲は、私に「こっちにおいで」と言わんばかりに手招きをした。彼の言う通りに彼の近くに寄ると、ふわりと甘やかな香りが鼻腔をくすぐる。十二月ともなれば庭園に咲いていた花は枯れ、緑も乏しく、周りの木々は細い枝を尖らせているだけだった。
にもかかわらず、彼からは庭に咲いていた色とりどりの花の香りがするのだ。ずっとこの場所にいるせいだろうか。どちらにせよ、この匂いを嗅ぐと、玲のことがぱっと思い浮かぶ。
「ずっとここで話してるだけっていうのもなんだし、デートに行こう」
さらりと間近で言ってのける玲に、思わず「はい?」と聞き返す。
「デ、デート……?」
「そうだ。月凪は嫌か?」
「嫌じゃないけど……!」
むしろ、彼と一緒に東京の街を歩いたり、デートスポットに行ったりできたら楽しいだろうな……と考えていたところだ。でも、デートなんてできっこない。彼は『月影の庭』の守護者で、この場所から出られないのではないか。
私の疑問が通じたのか、玲は「実は」と口を開く。
「俺にはちょっとした力があってな。自分では“夢想”と呼んでいる」
「夢想……」
「ああ。身体を触れた相手と、夢の中でこの『月影の庭』から飛び出して、思い描いた場所に行けるというものだ。夢と言っても実際に眠るわけではなくて、あくまで現実との区別をつけるためにそう呼んでいる。どうだ? 面白そうだろう」
「そんな力、聞いたことない」
言いながら苦笑する。そもそも彼の存在自体、現実味なんてまったくないのだ。今更どんな力を持っていると打ち明けられようと、驚く方が野暮だろう。
「信じられないのは無理もないな。それなら試しに一回やってみようか」
甘い香りでミツバチを誘き寄せるように、艶めきを帯びた声で彼が言った。無意識のうちに、うんと頷いてしまう。
「それじゃ、こっちに来て。俺の手を握ってくれ」
「へ! 手を握る!?」
「そうだよ。なんだ、恥ずかしいのか」
「そりゃ、そうだよ……!」
すでにキスをしたりお姫様抱っこをされたりした仲だというのに、手を繋ぐのが恥ずかしいということを知って、彼は心底意外そうな表情をした。でもすぐにククッと美しい歯並びの隙間から笑みをこぼす。
「じゃ、強引にいかせてもらおうか」
そう言うや否や、右手に温かい感触がした。私が迷っている隙に、玲はさっと私の手を取ったのだ。拒否をする間もなかった。ジリジリと
「月凪、目を瞑って。できるだけ意識を遠くへと飛ばすんだ。そして、できれば行きたい場所や見たい風景を思い浮かべて。現実にある場所でもいいし、行ったことのない場所でもいい。純粋に行きたい場所を想像してくれ」
「行きたい場所……」
頭の中で、ぐるぐると色んな景色が入れ替わり立ち替わりしては消えていく。南国の海、美しいヨーロッパの街並み、茅葺き屋根の里、東京お台場。そして最後に思い浮かんだのは、目黒川の川沿いでコーラを飲んでいた、大和の横顔だった。
「行くぞ」
彼の一声でぎゅっと目を強く瞑る。どこに行くんだろう。色んな場所を思い浮かべたけれど、彼はどこに行こうとしているの?
疑問に思いながら、玲と隣並んで歩いている場面を想像する。それは、うんざりするほど窮屈な現実に縛られた私の、一番美しい夢だった。