「少しは落ち着いたか?」
「うん、ごめんね。ありがとう」
玲に慰められて気持ちが落ち着くと、二人で目黒川沿いを散歩した。
一歩足を踏み出すごとに、周りをキョロキョロと見回して、物珍しそうに「へえ」とか「なんだこれは」とか驚きの声を上げる。普段は強引な彼に似つかわしくない純粋な反応に、私は思わずふっと笑みを漏らした。
玲も、可愛いところあるじゃん。
『月影の庭』で話している時は、常に彼の方が
「あの、ブンブン言いながら走る乗り物は?」
「えっ、車も知らないの!?」
「見たことも聞いたこともないぞ」
「うわ〜それはすごい! 天然記念物だ」
「月凪、俺のこと無知なやつだって知って楽しんでないか」
「ぜんぜ〜ん!」
むっとした玲の顔が面白くて、同時にやっぱり可愛いと思ってしまう。袴姿の玲が、東京の街を歩いているのも、ふとした時に考えるとやっぱりおかしい。すれ違う人たちは絶対私たちを二度見するし、そんな彼らに最初は恥ずかしいと感じていたのに、有名人にでもなった気分になって、だんだん楽しくなっていた。
「車なら私も運転できるわよ。と言ってもペーパーだけど」
「ペーパー? それはなんだ。薬草の名前か?」
「……ぷっ。なんでそうなるのよ。まあ、車を知らないんだから、分からないのは当然か。ペーパーっていうのは、運転免許を持っているのに、全然運転してない人のこと。ペーパードライバーの略ね」
「ふうん」
納得しているのかいないのか、胡乱な目を向ける玲。玲からすれば、何もかもが新鮮で新しい世界だろう。
でも、とふとここで疑問が生まれる。
玲はこれまでもこうして誰かと“夢想デート”をしてきたんじゃないんだろうか。
だとすれば、現代社会に来るのは初めてではないのでは……?
「玲は、何回かこういうことしたことあるんだよね? その、他の女の子と」
他の女の子と、と言う時、自分で発言したことなのに、胸がずきりと疼いた。どうしたんだろう、私。他の子と玲がデートをしてほしくないって、心のどこかで思っているのだ。
玲の美しい瞳をじっと見つめる。彼はしばらく黙り込んだ後、「いや」と首を横に振った。
「月凪が初めてだ」
「え!?」
予想外の言葉に驚く。初めて? “夢想デート”をしようと持ちかけてきた時、まるで経験があるかのような口ぶりだったけど……?
私の疑問が通じたのか、彼は「初めてだが」と話を続けた。
「実は俺の先代の守護者から、この力のことを聞いていた。『月影の庭』には、実は俺以外にも魂が漂っていた。その魂の一つが守護者を担っているんだ。先代の魂はもう解放されていない。だから試したことはなかったが、先代から聞いて、“夢想”の力が本当に備わっていることは知っていたんだ」
「へ、へえ……」
先代の守護者、か。
『月影の庭』の守護者が代々受け継がれるものと聞いて驚く。そういえば、祖母の手紙に、祖母も『月影の庭』で誰かに出会ったというようなことが書かれていた。祖母が出会ったのは玲ではなくて、その“先代”なのかもしれない。予想でしかないけれど、なんとなくそう感じた。
「今まで私以外の人と、“夢想デート”をしようとは思わなかったの?」
彼の話を聞いて、気になったことを問う。すると玲はふっと表情を緩めて答えた。
「そもそも俺は、あの場所で月凪だけを待っていたんだ。月凪としか会っていない。きみ以外の女の子には興味ない」
歯の浮くような台詞に、心臓が止まりかけた。ブウンと、勢いづいた車が私たちの横を通り過ぎる。「危ないぞ」と、棒立ちになっていた私の腕を、玲が引っ張ってくれた。
「あ、ありがとう……」
「まったく、気をつけてくれ。この世界は危険が多そうだ」
「玲が悪いんだよ」
「は、どうして俺のせいになるんだ?」
「そりゃ、だって、私以外の女の子に興味がないなんて、言うから」
一体どれだけ鈍いのだ、この男は。
心の中で彼を嗜めながら、しかし本当は胸がドクドクと高鳴って、気分が高揚しているのを感じていた。
彼は、私だけを待っていてくれたのだ。
その言葉が意味するところを考えると、どうしても気持ちが盛り上がってしまう。こんなにまっすぐに私を求めてくれる人に出会えるなんて、数ヶ月前までは思ってもいなかった。
最初は警戒していたはずなのに、どんどんこの人の惹かれている……。
その気持ちに気づくたびに、心の中で、まだ大和が好きだという想いが叫びだす。一体私は、本当はどちらのほうが好きなんだろうか。
深く考えていると、私の腹の虫がくう、と鳴った。
「わ、恥ずかしい……」
「お腹空いたのか?」
「う、うん。“夢想デート”中でもお腹って空くんだね」
「そうだな。現実での時の流れと同じ感じ方をするらしい。お腹も空くし、眠くもなる」
「へえ。不思議ね。食べたり飲んだりもできるの?」
「ああ、できるぞ。どうする?」
「そうだな……じゃあ、あのカフェに行かない?」
私は、ちょうど道沿いに佇むカフェを指差した。川沿いに建つ建物で、店内から川が見えるように大きな窓が特徴だった。
「いいぞ。行ってみよう」
二つ返事で了承をいただけたので、そそくさとカフェ入り口へと吸い込まれに行った。
店内は暖色系のライトで包まれていて、冬の夜に冷えた身体を温めてくれた。実際暖房もばっちり効いていたので、中に入るだけでほっと一息つけた。
玲はお店の中をきょろきょろと見回している。きっと店に入るのも初めてなんだろう。「ずいぶんとお洒落だな」と感心していた。
「東京のカフェはみんなこんな感じだよ」
「そうなのか。勉強になる」
ふむ、と真面目に頷く玲が、健気でまた可愛らしいと思った。