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第24話 気持ちが重なり合うとき

 案内されたのは窓際の席だった。大きな窓から目黒川を一望できる。桜の季節だったら、桜を間近で見られるのだろう。その時期にも来てみたいと思わせられるお店だ。


「これがメニューみたい。結構いろいろあるね。どうする?」


 テーブルの上に置かれたメニュー表をぱらぱらめくりながら彼に尋ねる。


「サーモンクリームペンネ……まろやかバターチキンカレー……、てごねハンバーグ」


 玲がメニューを一つずつ読み上げる姿が、初々しくてぷっと吹き出してしまう。


「どうしたの? 迷う?」


「いや、どんな料理なのかと思ってな」


「あ、もしかして玲、食事も摂ったことない!?」


 まさかとは思ったが、ずっと『月影の庭』にいるのだとしたら、ご飯を食べたことがないと言われても不思議ではない。私が驚いて彼を見つめていると、玲は「いや」と首を横に振った。


「さすがに食事ぐらいはある。だが、ここに書かれている料理は全部初めて見るものばかりだ」


「な、なるほど……そうだよね。一個ずつ説明するね」


 彼が今まで、いつどこで、どんな食事を摂ってきたのか気になるところではあるけれど、ひとまずお腹が空いている私はささっとメニューの説明をした。とはいえ、私も初めて入るお店なので、実際どんな料理が運ばれてくるのか、頼んでみてからのお楽しみだ。


 結局私はサーモンクリームペンネを、玲はてごねハンバーグを頼んだ。


 しばらくして料理が運ばれてくる。湯気の立つペンネとハンバーグを目の前にして、じゅわりと唾液が溜まった。玲もさすがに、美味しそうなご飯を目の前にしてお腹が空いたのか、早速お箸を取ってハンバーグを食べ始めた。


「なんだこれは……! うまい、うますぎるっ」


「ふふ、でしょ? 絶対美味しいと思ったんだ」


 唇にデミグラスソースをつけながら、ハンバーグをぱくぱくと口の中へ放り込む。その仕草が子供っぽくて、思わず頬が緩んだ。


「世の中にはこんなに美味しいものがあるなんてな。知らなかった」


「それはもったいないね。仕事で嫌なことがあっても、美味しいものを食べたら心が安らぐの。だからご飯をちゃんと食べるのは大事だなって」


 言いながら、普段の生活ではあまり凝った料理を作れていないなと反省する。仕事で気力と体力を吸い取られるから、家に帰ってくるとシチューとかカレーとか、簡単にできるものしか作れない。本当は、一汁三菜の食事を作りたいんだけれど、なかなか思うようにいかないものだ。


「そうか。もし月凪がお嫁さんだったら、美味しい料理が毎日食べられるんだな」


 ニヤリと唇の端を持ち上げて言う玲に、私の頭は沸騰したようにカッと熱が上がる。


「もう、またさらっと恥ずかしいことを……!」


 “夢想デート”が始まってから、初めて見るものばかりの玲をリードしていたと思っていたのに、やっぱり彼の方が一枚上手だ。


 良い意味でもやもやしながらペンネを口に運ぶ。しっかりと塩味のついたサーモンと、クリームが溶け合ってまろやかでやさしい味がした。


 それから、二人してもくもくとご飯を平らげて、すっかりお腹もいっぱいになった。ふと、今何時だろうと思い立って鞄の中をまさぐる。ちゃんとスマホも財布も入っていて、スマホで時間を確認すると、午後八時半だった。


「そろそろ……」


「ああ、そうだな。戻ろうか」


 席を立って、お会計へと進む。そこで初めて、玲が複雑な表情を浮かべていることに気づいた。


「えっと……大丈夫。私、ちゃんとしたサラリーマンやってるから」


「申し訳ない」


 二人分の食事代を支払い、ふと気になったことを尋ねる。


「“夢想”の中で使ったお金はどうなるの? あと、時間は? 現実に戻ったら元に戻るの?」


「お金は戻らないけど、時間は戻る。物質的なものは返ってこないんだ。時間は、“夢想”を始める時に月凪が思い描いた時間帯に飛ぶが、“夢想”から帰ってきたらまた元の時間に戻る」


「へえ。複雑な仕組みだね。例えば昼間の時間帯に飛んで、そこで三時間経ったら現実でも三時間進んでいる、というわけではなく?」


「ああ。時間だけは、自由に使える」


 ということは、二人でお泊まりとかもできちゃうってこと?

 よからぬことを妄想して、慌てて首を横に振る。

 何考えてるの、私!


「月凪、お泊まりってなんのことだ?」


「なっ……! なんで!?」


「今の全部、口に出てたぞ」


「うっそ……」


 ……最悪だ。よりにもよって、恥ずかしい妄想をしていたのを、知られてしまうなんて。普段、仕事をしている最中にはこんなに間抜けなミスはしないのに。玲と一緒にいると、どうも調子が狂う。

 私の知らない“私”が開花していくように。


「月凪って面白いやつだな」


 ふっと目を細めて微笑む玲。上気した顔を見られないように、俯き加減でお店を後にした。

 それから、膨れたお腹を元に戻すべく、二人でたくさん話しながら夜の街を歩いた。一人で歩くとしんどい坂道も、玲の隣にいるだけで楽に感じた。途中、かの有名な某コーヒーチェーン店に立ち寄った。他の店舗と違って、工場が併設されている。コーヒーができていく様子を、玲は興味津々に眺めていた。そもそもコーヒーを飲むのも初めてな様子で、一瞬苦味に顔を歪めたが、すぐに取り憑かれたように残りのコーヒーを飲み干してしまった。


「この世界には俺が知らない美味しいものと、面白いものがたくさんあるんだな」


 素直に感心している彼を横目で見ながら、胸の中に穏やかな陽だまりのような温もりが広がるのを感じていた。


「ねえ、またさ……また、こんなふうに私とデートしてくれる?」


 苦いコーヒーとは真逆で、胸に広がる甘やかな気持ちをその場で口にした。

 自分がこんなにも、異性に積極的になれるとは思っておらず、自分自身驚く。

 玲は一瞬目を丸くしたあと、すぐに「ああ」と頷いた。


「月凪さえ良ければ、俺の方はいつでも」


 赤の他人である二人の気持ちがぴったり重なり合う瞬間を味わったのは、いつぶりだろうか。もう思い出せない。私は今、どうしようもないぐらい、この人に惹かれていた。


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