翌日午前十時、私たちの住む千代田区の最寄駅である御茶ノ水駅の改札前で待ち合わせをした。今日の服装は散々迷って、ブラウンのジャンパースカートにした。ワンピースの下にはベージュのブラウス。秋らしい色合いで我ながら気に入っている。
私が到着するよりも前に、秋月くんはすでに待ってくれていた。カーキ色のパンツに白T、黒のジャケットを羽織っている。彼はいつだってお洒落さんで、それでいて自分ではお洒落な自覚がなさそうなところが良い。そんな彼と並んで歩いて恥ずかしくない格好になっていないか、いつもドキドキしている。
「お待たせしました」
遅れたとは思わないけれど、先に待ってくれている彼にぺこりと会釈した。
「待ってないし、大丈夫。俺も今来たところ」
「そっか。ありがとう」
さりげない気遣いがやっぱり嬉しい。自然と綻んでいく頬がにやけていくのを必死に押さえながら、改札を潜った。
ここから横浜赤レンガ倉庫の最寄駅である馬車道駅まで行くのはかなり時間がかかる。最短ルートで行こうと思えば乗り換えも二回必要だ。
でも、彼と一緒なら、長い道中もきっと楽しみに変わる。朝からそんな予感がして、混み合う電車の中で座席に座れなくても、しんどさはまったくなかった。
「やっと着いたね」
「長旅だった〜!」
乗り換えも含めて移動すること約一時間。ようやく目的の馬車道駅へと到着した。
駅から出ると、開けた道に大きなビルが立ち並んでいた。馬車道駅から赤レンガ倉庫までは徒歩七分ぐらいらしい。潮の匂いに誘われて歩いていくと、すぐに赤レンガ倉庫へと続く万国橋が見えた。
「ここ、夜は夜景撮影スポットなんだって」
「そうなんだ。じゃあ夜までいないとね?」
「赤レンガ倉庫だけでそんなに時間潰せないと思うよ」
笑いながら手をひらひらさせる秋月くん。確かに、まだお昼前の時間帯だ。夜までここにいるのはちょっと難しいかもしれない。
「じゃあ、他のところも行こうよ。で、また夜にここに帰ってくる」
「いいね、それ」
結局赤レンガ倉庫デートではなく、横浜散策デートになりそうな予感がしたけれど、それはそれでいろんなところを回れそうで嬉しい。それに、今日はお昼も食べるし、夕方ごろ解散すると思っていたので、夜まで彼といられるのは嬉しい誤算だった。
ひとまず、目的の赤レンガ倉庫まで歩き、目の前にでーんと現れた大きな建物を目にして、感銘を受ける。実はこれまで赤レンガ倉庫は愚か、横浜にすら来たことがなかった。九州生まれ九州育ちで大学で上京した私なので、そんなものだろう。対して秋月くんの方は、中学の頃、修学旅行で横浜を訪れたそうだ。彼は京都出身だし、ちょうど良い距離感だ。
倉庫の前では韓国アイドルグループのイベントをやっているようで、多くの人でごった返していた。グッズ販売に並ぶ人たちがひしめき合うようにして肩を寄せている。
「逸れないように、ほら」
差し出された手を見つめて、「えっ」と声を上げる。
いいのかな、と思いつつ、おずおずとその手を握る。少し汗ばんだ彼の手のひらは温かく、私の体温も一気に上昇した。
秋月くんと手を繋いだまま、赤レンガ倉庫の入り口へと無事に到着した。倉庫の中はひんやりと冷たくて、秘密の世界へ迷い込んだかのような心地がした。
「わ、こんなふうになってるんだね」
「外からは見当もつかないよな。お土産屋とか飲食店とかいろいろあるよ」
彼に言われて、きょろきょろと視線を動かす。確かに、倉庫の中に立ち並ぶお店は、土産物屋さん、アクセサリーショップ、飲食店、帽子屋など、さまざまなジャンルの店だった。
「俺も久しぶりに来たし、店はいろいろ変わってそう。とにかく進んでみようか」
「うん!」
秘密基地の中を探検する子供のような気持ちで、赤レンガ倉庫の散策が始まった。中はかなりの人で混み合っていて、横浜という地が人気観光スポットであることを改めて思い知らされる。
一通り土産物屋さんなんかを見て回り、秋月くんと「あれを買おう、これはどう!?」なんて互いにお土産を勧めながら楽しんだ。
その中でも、一際私の目を引く店があった。
『文房具作家・イラストレーター:
と銘打たれた店だ。
淡い水彩画のタッチで描かれた抽象的な絵が美しい雑貨が並んでいる。
ノートやハンカチ、コースター、キーホルダー、スカーフ、アクセサリーなど、様々な小物がある。どの作品も白を基調としており、白の上に載る色彩豊かな絵が、海の波だったり、色鮮やかな花だったり、見た目はかなり美しい。一つとして同じ柄がないというのがコンセプトのようで、確かに並んでいる品物はどれも個性豊かで光っていた。何より他の店とは違うオーラが漂っていて、足を止めて中に入っていくお客さんも多かった。
私も多分に漏れず、芳しい花に惹かれていくミツバチのように、そのお店に入っていった。
「わあ、ものすごく綺麗。このコースター、きらきらしてて、上品で」
手に取ったコースターは、透明のアクリルのような素材に、絵の具を落としたみたいな絵が描かれていた。私が手に取ったのは青とオレンジのグラデーションが表現された柄だけれど、他にも花や海なんかのモチーフの柄もある。
「本当だ。それ、空かな?」
「空?」
秋月くんが、私の手にしたコースターを指さして言う。
「ほら、夕暮れ時の茜色の空がだんだん夜の群青色に変わっていくあの感じ。トワイライトの空ってやつ」
「あ、なるほど。言われてみれば確かにそうかも」
彼の指摘は鋭く、一度そう言われてしまえばもうそうとしか見えなくなった。
正解かどうかは分からないけれど、秋月くんの感性に、自分の感性がぴたりとはまる。作者がどう考えてこの絵を描いたのかということ以上に、彼が心に描いたことを教えてくれたことが嬉しかった。
「俺、そのコースターの絵、好きだな。あの絶妙な空のグラデーションをすごく綺麗に表現してあるから」
「そうだね。私も、この絵に心惹かれた。ねえ、よかったら買わない?」
「いいね。せっかくだし一つずつ買おうよ」
「うん! 秋月くんはこれを気に入ったんだよね。私は別のにする。う〜ん、これなんか素敵だな。海の
私が別のコースターを手に取って彼に見せた。ターコイズブルーの波の中に見える、白い水飛沫。それから、端の方はベージュの絵の具をさらさらと載せている。こちらは砂浜だろうか。夏の明るい日差しの元で潮の香りを嗅ぎながら聞く、波の音が響いてきそうだった。
「そっちもめちゃくちゃいいね。じゃあこれ二つ、買ってくる」
「え、お代は出すよ」
コースターは一つ一六五〇円となかなかのお値段である。
「いいよ、これぐらい。プレゼントさせて」
爽やかな顔で二つのコースターを手にした秋月くんが、意気揚々とレジへと向かっていく。私は申し訳ない気持ちと嬉しさを同時に感じる。けれど、やっぱり嬉しい気持ちの方が勝って、彼の行動にきゅんとした。
レジの店員さんは松野橙子さん本人で、「お買い上げありがとうございます!」と明るく笑ってくれた。WEBで通販サイトもやっているようで、QRコードの載ったショップカードをいただいた。これでまた欲しくなったときに購入できるんだ。秋月くんとの思い出を家まで持ち帰れるようで嬉しかった。
「はい、これ」
「ありがとう! 本当に嬉しい」
渡されたコースターを手に取り、二つ並べて写真を取った。
海と空。二つの青に揺れる乙女心を、秋月くんはどれくらい察してくれているのだろうか。
再び繋いだ彼の手は汗ばんでいて、胸がきゅっと鳴った。