松野橙子さんのコースターを手に入れた私たちは、その後も赤レンガ倉庫の中を練り歩いた。ちょうどお昼時になって、私の腹の虫がクウと鳴る。
「うう、恥ずかしい……」
「はは、仕方ないよ。俺もめちゃくちゃ腹減ってるし。どこかで休憩しよう」
赤レンガ倉庫内のレストランはどこも混み合っていた。けれど、せっかくだし中で食べようということになり、好みの店を探す。
一階にフードコートがあるようだったが、お店でゆっくりと落ち着いて食べたいという話になり、飲食店が集まる三階に上がった。
「ここ、バルコニーがあるんだって。良さそうじゃない?」
「いいね。今日は涼しいし、外の席で食べると気持ちよさそう」
二人で意見が一致したところで、バルコニーの席があるダイニング・カフェへと入店した。
外で食べたいと希望を伝えて、店の奥の扉から外へと出ていく。
先ほどまで外にいたのに、こうして一度店の中から出てくると、より新鮮な空気を浴びている気がして嬉しかった。
目の前には横浜の海が広がっている。青空と海と秋風と。隣には、同じサークルの彼。
このシチュエーションでドキドキしない方がおかしい。
「ランチメニューはプレートかパスタがメインみたいだね。どれにする?」
私の胸の高鳴りなど知らない彼がメニュー表を見せてくれて、早速迷った。
プレートランチと銘打たれたページには、「スパイシーチキンプレート」、「牛カツプレート」、「ビーフシチュープレート」といった、見た目も美味しそうなプレートランチが載っていた。パスタは「スモークサーモンとほうれん草のクリームパスタ」、「しらすと大葉のアーリオオーリオ」「ナスのボロネーゼ」の三種類だ。
「うーん、そうだな……パスタは普段から食べることも多いし、この『ビーフシチュープレート』にしようかな」
「じゃあ俺も、『牛カツプレート』にする」
野菜、バターライス、メインディッシュの載った色とりどりのプレートランチは私の目にも秋月くんの目にも美味しそうに映っていた。
「飲み物は?」
「何か、飲みますか」
私たちは今年二十歳になった。十月十五日生まれの彼は、つい四日前に誕生日を迎えた。
ようやくお酒を飲めるようになったのだ。とはいえお互いまだ飲み慣れていないので、アルコールのメニューを見ながらどれにしようかと迷う。
しばらくメニュー表と睨めっこした結果、秋月くんはクラフトビール、私はカシスソーダを選んだ。
店員さんを呼び注文をする。二十分ぐらい待つと、料理が運ばれてきた。
「わあ、美味しそう!」
目の前に置かれたプレートからはビーフシチューの香ばしい香りがして、もともと空いていたお腹がさらに凹んだような気がした。彼の牛カツプレートも、ボリューム満点で見た目も豪華だ。乾杯をした後、互いに両手を合わせて「いただきます」と早速昼ごはんを食べる。
「くう〜美味しい! すごく濃厚!」
「ははっ、ビーフシチュー食べて“濃厚”って表現する人、初めて見た」
「だって、そうとしか言いようがないんだもん。味がしっかりしてるっていうか、香ばしいのにまろやかで、ずっしりしてる感じ」
「なるほど。そりゃ確かに“濃厚”だね」
「でしょう。牛カツはどう?」
「サクサクしてて柔らかくい。肉汁たっぷり。つまり、最高」
そう言って親指を立てる秋月くんがおかしくて、私はくすくすと笑った。
「クラフトビールも初めて飲んだけど、味わい深くていいね」
「秋月くんとこうして二人でお酒飲んでるの、なんだか新鮮で落ち着かない」
「初めて出会った時は、コーラとカフェラテだったもんね?」
「そうだった、そうだった」
サークルの新歓コンパを抜け出して、目黒川のほとりで打ち解けた日を思い出す。
お酒が飲めない年齢だった。でもあれはあれで、楽しくて良い思い出になっている。
「なんかさ、俺。言ってなかったんだけどあの時、城北さんと話してて懐かしい感じがしたんだよね」
「懐かしい感じ?」
「ああ。初めて会ったはずなのに、心が覚えている、みたいな。変だよね」
「心が覚えている……」
彼の言うことは確かに不可思議ではあった。
でも、私もあの日、彼の手を握った時に「懐かしい」と感じたことを思い出した。
「城北さんはさ、前世って信じる?」
「え、前世?」
突然何を言い出すのかと思いきや、突飛な話題が飛んできて面食らう。
「前世って、生まれ変わりとか輪廻転生とか、そういう類のアレだよね?」
「そう。それです」
彼が二杯目のクラフトビールをグラスに注ぐ。立ち上る泡がぱちぱちと弾けるのをじっと見つめる。
「前世……考えたこともなかったな。でもまあ、あってもおかしくないよね。というか、なんとなくあってほしい」
「俺も、同じこと考えてた。命が繋がってるって考える方が、神秘的だよね」
神秘的、と表現する秋月くんの目がすっと細められた。
彼の質問の真意がまだ分からない私はすかさず「どうしたの」と聞き返す。
「いやあ、城北さんに話すことでもないのかもしれないんだけど、俺、子供の頃から見てる夢があるんだよね。同じような夢。その夢を昨日も見たから気になって。不思議な夢だから、もしかして前世の記憶なんじゃないかって、疑ってるんだ」
「へえ、興味深いね。どんな夢なの?」
「女の子が、満月の夜に山中で月を眺めているんだ。手には薬草みたいなものを持っていて、服装も和装だから、時代はもっと昔だと思う。女の子って言っても、二十代前半ぐらいかな。綺麗な人なんだけど、月を見てるその目がどこか寂しそうでもあって。夢の最後には、決まって誰かに名前を呼ばれるんだ。その名前を、どうしても思い出せないんだけど……。女の子が振り返った瞬間に、いつも夢が終わる」
秋月くんの説明してくれる夢の様子を頭に思い浮かべながら話を聞いていた。
満月の夜に佇む女の子、か。
どこか幻想的でロマンチックではある。同じ夢を何度も見るということは、何かの深層心理に基づいているのだろうか。
「珍しい夢だね。それに、なんだかリアル」
「そう。それなんだよ。女の子と、周りの木々の風景がすごくリアルで、なんだか身に覚えがある気がして。だからもしかして、俺の前世がその女の子なんじゃないかって考えてて」
よっぽどその夢がリアルなんだろう。彼は、昔の思い出を語るかのように自然な口ぶりで夢で感じたことを伝えてくれた。
「私は前世の占いとかしてもらったことはないけど、でも本当に、その女の子が秋月くんの前世だったらすごいね。夢があるというか、人生の見方が変わるというか」
「だろ? ……って、こんな話、信じてもらえないと思ってたから、照れくさいな。あとで友達に『秋月くんて妄想癖があってやばいやつ』とか吹き込まないでよ」
「優里なんかに言ったらおかしな噂立てられるでしょうね」
「うわ、
「ふふっ、話さないって」
あわあわと慌てた様子の秋月くん。普段のクールさとのギャップがまた良い。
「前世の話とは違うんだけど、私は日々出会う人との縁が、ずっと繋がっていてほしいなって思う。もちろん良縁だけの話だけど。学生時代の友達ってきっと大人になったら疎遠になってしまうけど、でも大好きな人たちとは、人生のどこかでまた繋がってたら嬉しいなって」
「いい考えだね。俺も、大切な人との縁はできるだけ長く繋いでいきたいよ」
目の前の彼がにっこりと笑うと、えくぼができて私の心を癒す。どうしてだろう。彼が「大切な人」と言った時に、胸がドクン高鳴った。そこに、自分が含まれていたらいいな、なんて乙女チックなことを考えて、一人勝手に顔が熱くなる。
「どうしたの、月凪」
「な、なんでもない。それよりご飯、冷める前に食べちゃおう!」
必死に話題を逸らす。秋月くんの目が、小さな女の子を見守るかのような優しいまなざしに変わる。
そんな目で見ないでよ。
意識しちゃうじゃない。
心の中で悪態をつきながらも、本当はもっと見つめていてほしいなんて、決して口にはできない願望を胸に秘めていた。