血の匂いが充満する部屋の中で、アルフォードはゆっくりと目を閉じた。
それは死の前触れなのか、あるいは何かを悟った瞬間だったのか。
「……結局私は最後まで、友の従者であり続けた」
彼の声は、まるで独り言のようだった。
「なら何故あいつにずっと従っていたの。あいつのやる事に反対なんだったら、ごちゃごちゃ言い訳なんてしてないで、最初から貴方は間違ってると、言えばいいでしょ?」
リリアナは鋭く言い放つ。
彼女の目には、アルフォードの行動が理解できなかった。
王に誓ったのならば、なぜその道を貫かなかったのか。
なぜ、その息子アレクシスの暴走を止めなかったのか。
それがリリアナには到底理解できるものでは無かった。
「……かも知れない。ですが私は迷ってしまった。友に誓ったのにも関わらず、アレクシス様に同情してしまった。そして、後悔した。それがずっと心残りでした」
アルフォードの声は、弱々しく、それでもどこか遠くを見ているようだった。
「はぁ。よく分かんないわね。あいつに同情の余地なんて──」
「アレクシス様は
「……え?」
リリアナの動きが止まる。
静まり返る部屋の中で、その一言が鮮明に響く。
「私の友はもう十年も前に亡くなった」
「つまりアレクシスは既に王太子ではなく、王だった……?」
思わず呟く。
だが、アルフォードは微かに残った力を振り絞り首を振った。
「……厳密に言えばその資格を既に持っていた、と言う方が正しいでしょう。……ですが私はアレクシス様にその事を言えなかった」
どこか、遠い目をしてアルフォードは続けた。
「何度も聞かれた。父上は今どうしているのか、何故顔を見せないのかと……。しかし、どうしてか私は真実を言えなかった……ずっと友の死を誤魔化してきた。だから私はアレクシス様に従うことにしたのです」
血を流しながらも、彼の口はまだ動く。
それは罪を告白する者のようでもあり、懺悔のようでもあった。
「だからって何?それが理由?何それ、そんなことでわたしやミレーヌの命を奪うあいつに力を貸していたの?」
リリアナの口調には怒りが滲む。
「……申し訳ございません。私はまた間違ってしまった……私の人生は後悔ばかりです」
「リリアナお嬢様、これ以上は──」
ユウが静かに口を開く。
彼の声には、怒りも哀しみもない。ただ、ここは静かに抑えて欲しいと言わんばかりに 冷静……かのように思えた。
彼はアルフォードの元に膝をつき、じっとその目を見つめた。
「……どうして貴方は僕を捨てたのですか」
ユウの声は震えていた。
「貴方からは剣を学んだ。生き方を学んだ。その教えはとても厳しいものでした……けれど、孤児だった僕を拾い育ててくれた。まるで本当の親のように接してくれた。……なのに突然姿を消した。何故です」
ユウの目は、真剣そのものだった。
アルフォードは、ゆっくりと口を開く。
「……ある日、友から一通の手紙が届いた。息子のことで話がある、と。それを見た時……きっとこれは長くなると確信した。だから私は……”ワシ”はお前を置いて友の元へと向かった」
苦しげに息を吐く。
「……それに、お前はもうあの日の時点でワシを超えていた。だから──」
「だとしてもっ!!何も言わず姿を消すなんて酷いよアルッ!!」
冷静だったユウが、初めて感情を爆発させた。
その声には、幼い頃の"置き去りにされた少年"の痛みが滲んでいた。
「……せめて……せめて一言残して欲しかったよ」
ユウの目から、涙が零れる。
その姿を見て、アルフォードは微かに目を細めた。
「すまない……何も言わなかったのは、またお前の元に戻りたくなると思ったからだ……ワシは……友の……力になり……」
「アルッ!?」
アルフォードの手が、かすかに動く。それはユウの元へと伸ばす──
それが、最後の動作だった。
「強くなったな、ユウ……ワシは師匠として誇らしい…………時間だ……」
「待ってよっ!まだ僕は──」
必死に叫ぶユウの声は、もうアルフォードには届かない。
「ワシは罪を償い……友に会いに行く………今……行くぞ我が友……アレス……タ……」
アルフォードは、静かに目を閉じた。
「……リリアナお嬢様。申し訳ございません。身勝手なことをしてしまいました」
ユウの声が震える。
彼の拳は、痛みを堪えるように震えていた。
「いいのよ。この方もきっと最後に貴方の顔を見れて良かったと、そう思っているはずよ」
リリアナは、ユウに優しく微笑んだ。
「……そうだといいのですが」
ユウは、涙を流さぬまま、ただ静かに俯いた。
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リリアナは、そっと息を吐いた。
(これで本当に終わった)
血塗れの戦場。 倒れた死体。
床に広がる鮮血の海。
全てが、終わった。はずだった。
──ミレーヌも生きている。
──わたしを狙っていた者も、もういない。
ようやく手にした"自由"。
剣を手放し、そっと拳を握りしめる。
何かが、ようやく報われたような気がした。
「お嬢様……」
ミレーヌがそっと、リリアナの袖を掴む。
その手は、微かに震えていた。
「よかった、本当に……無事で何よりです……」
「……ミレーヌ」
リリアナは、そっと彼女の頭を撫でる。
温かい。
この温もりが、何よりも愛おしかった。
(本当に、終わったんだ)
──そう、思った。
だけど、ふと気づく。
「……そうだ、彼に感謝しないと」
アスフィ。
彼がいなければ、この戦いはどうなっていたかわからなかった。
だから、感謝を伝えなければならない。
「アスフィさん、色々とありがと……う……」
そう言いながら、辺りを見回す。
「……ミレーヌ、彼知らない?」
「彼?い、いえ……」
ミレーヌも、戸惑ったように周囲を見回す。
だが、どこにもいない。
「……あれ?おかしいなぁ」
リリアナの胸に、不穏な感情が広がる。
あれほどの戦いを共にしていたのに、彼の姿だけがない。
まるで、最初から存在していなかったかのように──。
「彼に助けてもらったお礼を言わないといけなかったのに……」
リリアナは、握りしめた拳をそっと開く。
まだ、体のどこかがざわめいていた。
戦いの余韻ではない。
何か、大切なものを見落としているような……そんな感覚。
(──アスフィさんは、一体どこへ?)
静寂の中、誰も答えなかった。
ただ、風がそっと部屋を吹き抜けていった──。