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第三十九話「支配と忠義の狭間で」

 静寂だけが部屋に残る。

 あれほど騒がしかった戦場は、まるで嘘のように静まり返っていた。

 血の匂いが充満し、倒れた死体と滴り落ちる赤が、床をどこまでも染めていく。

 だが──その静寂も、たった数秒で終わる。


「──はっ!ミレーヌ!ミレーヌ!!」


 リリアナの焦燥した声が、沈黙を破った。

 瞬間、世界が再び動き出す。


「お嬢様……お嬢様あああああああっ!!」


 ミレーヌもまた、リリアナの声に応えるように叫ぶ。

 泣き叫びながら、彼女は走った。


 そして、強く──互いを抱き合う。


 ミレーヌの震える指先が、確かめるようにリリアナの腕を掴む。

 リリアナの指も、今にも消えそうな儚さで、ミレーヌの背を撫でる。

 ただのぬくもりの確認だった。

 言葉では足りない。言葉など、いくら並べても、この瞬間には勝てない。


「ごめん、ごめんねミレーヌッ!!」


「いえ、こちらこそご迷惑をお掛けし申し訳ございません、お嬢様っ!!」


 どちらが謝るべきかなんて、そんなことはもうどうでもよかった。

 ようやく──お互いの命を確かめることができたのだから。

 ミレーヌの細い肩が、しゃくり上げるたびに震えた。


 "もう、誰も奪わせない"。


 リリアナは、ミレーヌの背中に回した腕に、力を込めた。


 一方で──。


「……何故です、師匠」


 低く、静かな声が響いた。


「……」


「貴方がこれくらいで死なない事を僕は知っている」


 ユウは、血の海に倒れ込むアルフォードを見下ろしながら、淡々とした口調で言った。

 彼の目は、憐れむようでもあり、怒っているようにも見える。


 アルフォードの身体は、ピクリとも動かない。

 その周囲に広がる赤黒い血溜まりは、あまりに生々しく、まるで部屋全体を浸食するかのようにじわじわと広がっていく。


 生きているはずなのに、"死"が背後にまで染み付いていた。


「……ユウ」


 その名が、重たく響く。

 アルフォードの口が、やっとのことで動いた。


 その声が発された瞬間、全員の目が彼に向けられた。


「お、お嬢様っ!?」


 ミレーヌが息を呑む。

 リリアナもまた、ミレーヌの無事を確認しながら、ゆっくりとアルフォードの元へ歩を進める。


 ずる、と靴底が血溜まりを踏んだ。

 ぬめる感触が足元から伝わる。

 しかし、彼女は決して歩みを止めなかった。


 片手には、まだ赤黒く濡れた剣を握ったまま。


 そして──。


「どいて」


 執事の前に立ったリリアナは、冷たい声でそう言い放つ。


「リリアナお嬢様、ここは僕に任せてください」


「嫌」


 即答だった。


「……嫌と言われましても」


 ユウが困惑したように眉をひそめる。


 しかし、リリアナはまるで意に介さず、剣を強く握り直した。

 剣の刃に付いた血が、ひたりと床に落ちる。


 そして、その切っ先を、血を流しながら横たわるアルフォードに向けた。


「……貴方があいつの付人ね」


「……いかにも」


「聞かせて。どうしてあんなやつに従っていたのか」


 リリアナの声は冷静だった。

 だが、その瞳の奥には、何かを探るような鋭さが宿っていた。


「…………私のせいだからです」


 アルフォードは、微かに息を吐いた。


「……私が、あの方を正しい道へと導くことが出来なかった。あの方はルクセリア家でも優秀なお方──」


「そんな事どうでもいい」


 リリアナは、きっぱりと遮る。


「では何をお答えすれば……?」


「貴方自身の事を聞かせて。貴方からは後悔の念を感じる。だからその理由を教えて」


「……あれはアレクシス様がまだ物心ついたばかりのことでした──」


 アルフォードは、静かに語り始めた。



 ---


 王城の奥深く、暗い一室。

 豪奢な調度品が並ぶその空間に、ひとりの男が横たわっていた。


「私がアレクシス様のお世話をっ!?」


 驚愕と困惑が入り混じった声が響く。


 六十半ば程の男の名はアルフォード。彼は目の前の男を見つめた。

 王位にある者でありながら、その身体は異様に痩せ細っており、その肌はまるで蝋人形のように血色がなく、手足は骨ばり、動くことすらままならない状態だった。


 しかし──その瞳だけはまだ死んではいなかった。


 鋭く、真っ直ぐで、恐ろしいほどの執念が滲んでいる。


「……ああ。私は見ての通りだ。もうここから動くことすらできやしない」


 枯れた声が告げる。


「私が死ねば、次代の王はあの子になる……だが、あの子はおかしい。お前も気付いているであろう、アルフォード」


 ──気付かないはずがなかった。


 アレクシス・フォン・ルクセリア。

 生まれながらに王族の血を引く男。


 だが、その性格はあまりに"異質"だった。


 歪んでいた。独占欲が強く、支配を当然のように考え、他人を道具のように扱う。

 自分に従う者だけを"価値あるもの"と認識し、それ以外の者は"不要"と切り捨てる。


 王太子としての教育を受けたところで、それは変わらなかった。

 むしろ彼にとって、それらは"他者を従えるための知識"に過ぎなかった。


「……だからどうか、あの子を正しい道へ導いてやってほしい」


 王の声には、焦燥が滲んでいた。

 今のままではいけない──。

 アレクシスがこのまま王となれば、この国は確実に歪むと。


「それはアレクシス様を王にさせるなと、そう仰っているのですか」


 アルフォードの声は、あくまで冷静だった。


「……ああ」


 王は、静かに肯定する。


「頼むっ!アルフォード!私はいつ終わるのか分からないのだ!この国を救えるのはお前しかいないのだ!だから頼むっ!!」


 今にも崩れ落ちそうな身体を揺らしながら、王は手を伸ばす。

 まるで溺れる者が、最後の藁を掴もうとするかのように。


「お前は私の馴染であろう!?私を守ると昔から剣だけを握るお前と、それを見て笑っていた私は……俺達は友では無かったのか……?」


 その言葉に、アルフォードは目を伏せた。


 ──友。


 確かに、かつてはそうだった。

 身分の差こそあれど、彼らは共に時間を過ごし、剣を交え、語り合った仲。


 しかし──。


「……友ですとも」


 アルフォードは、静かに言った。


「なら──」


「ですが、それ以上に貴方は今やこの国の王」


「──っ」


「身分の差というものがあります。今の私とあなたではもう昔のような馴染みではないのです」


 その瞬間、王の顔が苦しげに歪んだ。


 今の彼にとって、王としての威厳など意味はなかった。

 ただ、友として頼りたかったのだろう。


 だが、それをアルフォードは否定した。


「……では失礼します。お体、大事にして下さい」


 アルフォードは王に背を向けた。


「……俺を捨てるのか、アルよ」


 しぼり出すような声。


 しかし王の手を取ることなく、アルフォードは一礼し、王宮の扉に手を掛ける。


 もう振り返ることはなかった。


「──待てっ!待ってくれアルッ!」


 悲痛な叫びが響く。

 しかし、彼は歩みを止めなかった。ただ──


「アレクシス様は──ワシに任せろ


 そうだけを言い残し、王宮を後にした。


 ──これが、運命の分岐点だった。


 ---


「今日からお前が僕の執事とかいうやつなのか?」


 冷めた声が響く。


 幼い少年が、扉の前でアルフォードを見上げていた。

 まだ子供のはずなのに、その目にはまるで感情の色が見えなかった。


(やはり恐ろしい……)


 アルフォードは思った。友の言う通りかもしれないと。


「はい、アルフォードと申します。貴方様のお世話をさせて頂くことになりました」


 そう告げた瞬間、アレクシスは口元を歪める。


 ──それは、笑みなんかでは無い。


 愉悦と、冷笑と、支配欲。

 その全てが入り混じった、"嗤い"だった。


「そうか」


 少年は、アルフォードの顔をじっと見つめ、言った。


「なら、僕に従え」


 ──その言葉が、全てを決定づけた。


 こうして、二人の関係は始まった。


 だが、それは"主従"等ではなく、

 あくまでアルフォードは、最後まで友の従者であったのだ。

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