「は-、疲れたぁ」
その日の授業を終えて、あたしは心身ともに疲れ切って帰宅する。
自室に飛び込むと、さっさと制服を脱いでしまう。
うちの制服はどうも着心地が悪いというか、生地が硬い気がするし。さっさと着替えてしまうに限る。
「あっ、ねーちゃんおかえりー!」
「ぎゃあああ!?」
下着姿になって、タンスの中を漁っていたところに……弟の
「人の部屋に入る時はノックしなさいって言ってるでしょ!」
思わず叫ぶと、あたしは開け放たれた扉を全力で閉める。
「次からするよ! それより今日、母ちゃん遅くなるってさ!」
それから急いで服を着ていると、ドア越しにそんな声が聞こえてくる。
「え、そうなの?」
「タナオロシがどうとか言ってたぜ!」
「ああ……棚卸しね。お父さんは?」
「打ち合わせがあるって、さっき出かけてった」
続いた春樹の言葉に、あたしは思わずため息が出る。
お父さんは雑誌編集者の仕事をしているのだけど、時々こうして変な時間に外出することがある。
その場合、大抵は打ち合わせという名の飲み会で、帰宅はいつも日が変わった頃になる。
「……お父さん、何か作ってくれてる?」
「特に何も言ってなかったけど」
「やっぱり……? じゃあ、晩ごはんどうしよっか」
「オレ、竹屋のカツカレーがいいな!」
「外食する前提で話さないの。レトルトカレーでいい?」
「えー、レトルトかよー」
「文句言うなら自分で作りなさいよー。ごはんある?」
部屋着のスウェットに着替えたあたしは、ため息まじりに台所へ向かう。
春樹はそんなあたしの背後を、どたどたと飛び跳ねるようについてくる。
「炊飯器は空っぽだけど、冷凍ごはんがあったぜ!」
「じゃー、それ温めといて。あたしはお湯沸かすから」
「おっけー!」
鍋を取り出すあたしをよそに、春樹は妙に楽しそうに電子レンジを操作していた。
弟は中学校に上がったばかりで、まだまだやんちゃの盛りだ。
サッカー部に入ったそうだけど、まだまだ元気は有り余っているよう。
むしろ運動部に入ったことで食欲が増し、お母さんは日々の食事の用意に苦労しているようだった。
……その後、春樹と二人で食卓を囲む。
「今日はコーチに褒められたんだぜ! 次の練習試合はベンチに入れてくれるって!」
「そー。よかったわねー」
大盛りのレトルトカレーを頬張りながら、春樹は嬉しそうに話す。
「まー、あんたは昔から運動神経だけは良かったもんねー。勉強もできればなおよしだけど」
「うぐっ……べ、別に勉強なんかできなくても、サッカー選手にはなれるんだよ!」
「どーかしらー。最近はサッカーIQって言葉もあるじゃない?」
「そ、それは自然と身につくんだよ! ねーちゃんこそ、そろそろカレシでも作ったらいいんじゃね!?」
「なっ、それとこれは関係ないでしょ! 春樹のくせに、生意気な!」
両親がいればやかましいと怒られること間違いないけど、弟と二人っきりの食事はいつもこんな感じだ。
さすがのあたしも、家族に対して人見知りが出ることはない。
「……そういや、最近
「へっ?」
カレーのトッピングに加えた目玉焼きを潰していると、春樹がそんなことを口にする。
突然幼馴染の名前が出て、あたしは面食らう。
「優斗にーちゃん、サッカー上手かったよな?」
「えー、あー、そうだったわねー」
あたしはしどろもどろになりながら、そんな言葉を返す。
中学を卒業するまで、優斗はよくうちに遊びに来ていた。当然、あたしの両親や弟とも面識がある。
「今度さ、優斗にーちゃんに色々テクニックを教えてもらいたいんだけど!」
弟はキラッキラな笑顔で言ってくる。
優斗は特に部活には入っていないのだけど、昔からスポーツ万能だった。
それこそ、昔はよく春樹と一緒にサッカーをしていたし。
「あー、うー、最近忙しそうだし、そのうちねぇ」
「約束したかんな!」
そうお茶を濁すも、どうやら春樹の中では決定事項になってしまったようだ。
これって間違いなく、あたしが優斗を誘わなきゃいけない流れよね……?
「……はぁぁ」
その事実に気づいた時、あたしは大きく息を吐く。
目の前の春樹は嬉々としてカレーを頬張っていたけれど……あたしはそのカレーの味すらわからなくなるくらい、気分が沈んでしまっていた。
◇
その翌日。いつもと同じ時間に登校し、自分の席につく。
ちらりと右の席を見ると、気だるげな表情の優斗がいた。
中学まではそれなりに話もしていたけど、高校生になってからは、あたしは優斗と距離を置いている。
彼はあの見た目だし、物静かな性格も相まって今ではすっかりクラスの人気者だ。
いくら幼馴染とはいえ、あたしみたいな陰キャメガネ女子と話していたら、変な噂が立ちかねないし。
優斗もクラスでの立ち位置がわかってきたのか、全然話しかけてこなくなった。
……その代わり、心の声は活発のようだけど。
『目の下にクマできてんぞ。眠れなかったのか?』
その直後、そんな優斗の心の声が聞こえてきた。
あんたのせいで眠れなかったのよー……なんて言葉を必死に飲み込んで、あたしは机に突っ伏す。
うーん、どうやったら優斗を自然に誘えるかしら……?
――春樹がサッカー教わりたいらしいのよー。久しぶりにうちに来ない?
こんなふうに、できるだけ自然を装って誘ってみる?
いやいや。それだとあたしが弟をだしに優斗を家に誘ってるようにしか見えないわよ。クラスの女子たちに、陰でなんて言われるかわかったもんじゃないわ。
ぶんぶんと頭を振って、一瞬浮かんだアイデアを打ち消す。
『本当に大丈夫か? 体調悪いなら、保健室いけよ?』
だから、あんたのせいなんだからねー。人の気持ちも知らないでー。
時折聞こえる心の声に悶々とするも、声をかける勇気は出ず。刻々と時間だけが過ぎていく。
「秋乃ちゃん、おはようっ」
そうこうしていると、左の席に
「お、おはようございます……」
挨拶を返すも、自分でも驚くほどに声が小さかった。人見知り、絶賛発動中だった。
『んー、いきなり声をかけるのは駄目っぽいなぁ』
そ、そうです。駄目です。できたら事前通告してから声をかけてください。
あたしは緊張からか、妙なことを考えてしまう。
聖君は相変わらず、あたしとの距離が近いし。不思議でしょうがなかった。
「あー、日直ー、号令ー」
次の瞬間、担任の石田先生が教室に入ってくる。
今日も一日が始まる。