「それではカップル同士、手を繋いで入場してくださーい」
係員さんの言葉に、あたしは耳を疑った。
続いて、あたしは
「カップルなんですから、それくらいできますよねー?」
営業スマイルなのだけど、係員のお姉さんの笑顔がすごく怖かった。
……まさかこんな展開が待っていようとは。
水族館側のやり方に悪意すら覚えるも、カップル割のチケットに便乗しようと思っていたあたしたちにも、何ともいえない後ろめたさがあった。
それに、あたしたちが入場ゲートで止まっている間、後ろに並んでいる人たちにも迷惑がかかる。
ここは……やるしかない。
意を決したあたしは、うつむき加減のまま、無言で優斗に右手を差し出す。
『マジかよ。めっちゃ恥ずいんだけど』
あたしだって恥ずかしいわよ! いいから早く手を出して! お願いだから!
声には出さず、必死に手を伸ばす。その指先は、自分でもわかるくらいに震えていた。
『いや、しかし、うあー、マジかぁ……』
それからしばらく、優斗の言葉にならない心の声が響く。
それでも、彼は表情一つ崩さない。それだけ動揺してて、なんで顔に出ないのよ。
やがて、優斗も覚悟を決めたようにあたしの手を取って、ともに入場ゲートを通り抜ける。
さすがに恥ずかしすぎて、通り抜けるまでの間ずっと下を向いていた。
「じゃあ、俺たちも行こうか」
「は、はい……」
あたしたちがゲートを抜けると同時に、聖君とみっちゃんも手を繋いでついてきた。
優斗と違って、聖君は自然に手を繋いだわねー。それこそアメリカだと握手は普通って言うし、抵抗もないのかも。
……って、みっちゃん、顔真っ赤!
振り返って二人の様子を見ると、みっちゃんは見たことがないくらい顔が赤くなっていた。
まぁ、あたしも人のことは言えないと思うけど。
ぱんぱんと自分の両頬を叩きつつ、早く紅潮が収まることを願ったのだった。
……手を繋いだのはゲートを通る間だけで、それ以降は四人で自由に展示物を見て回る。
みっちゃんもすっかりいつもの調子を取り戻し、興味津々といった様子で水槽を覗き込んでいた。
「あ、見て見て。メガネウオだって。秋乃ちゃんっぽい魚かな」
「誰が魚っぽいのよ」
思わずそう口にして、みっちゃんが見ていた水槽を覗き込む。
ところがそこには砂しかなく、メガネウオらしき魚の姿はなかった。
「んー? 何もいないじゃない」
「あ、何か書いてる。砂に潜ってエサとなる小魚を待ち構えます……だって。秋乃ちゃんみたいに引きこもってるんだね」
「あたしは引きこもってないからっ」
『あの二人、本当に仲いいなぁ』
その時、聖君の心の声が聞こえた。
視線だけ送ってみると、まるで微笑ましいものを見るようにあたしたちを見ていた。
妙に恥ずかしくなって、あたしはメガネウオの水槽から離れる。
すると、別の水槽のところに、優斗が立っていた。
「……あんた、えらく熱心に見てるけど、その水槽何がいるの?」
「クラゲだよ」
「クラゲ」
優斗の言葉を反すうし、あたしも彼と同じ水槽を覗き込む。
そこでは無数のクラゲたちが、水槽内の水流に身を任せるように漂っていた。
「なんか、癒されね?」
反応に困っていると、優斗はそう口にした。
確かに癒されるかもだけど……あんた大丈夫? 疲れてるんじゃない?
そんな中、聖君は無数のサメが泳ぐ水槽に興味津々だった。
「聖くん、サメが好きなの?」
「好きだよ。最近読んだ本にサメが出てきてね。カジキマグロはいないかなっ?」
「え、カジキマグロ……? ど、どうかなぁ……」
眩しいほどの笑顔で言う聖君を前に、みっちゃんは困惑顔だった。
そういえば彼、『老人と海』読んでたわね……。
◇
そんな感じで順々に展示を見て回り、最後にイルカショーを見学することになった。
四人で観客席の最前列に陣取ると、やがて軽快な音楽が流れ始め、ショーが始まる。
「皆さーん、こんにちはー!」
それから複数人のトレーナーさんが登場し、主役のイルカたちが紹介されていく。
あたしたちが座っているのは、それこそイルカたちのプールの真正面。濡れてもいいようにと、レインコートが貸し出されている。
イルカたちがまるで自己アピールをするように高々とジャンプするたびに、かなりの水しぶきがあたしたちの観客席へと飛んできていた。
「こ、これはなかなかの迫力ね……」
『秋乃、服濡らさねーように気をつけろよな』
ばっしゃばっしゃと元気に泳ぎ回るイルカたちを見ていると、優斗のそんな心の声が聞こえた。
わかってるわよー。心配してくれてありがと。
そうこうしているとイルカショーは激しさを増し、イルカたちは時折テンポの変わる音楽とトレーナーさんのアナウンスに合わせるように、ジャンプやボールを使ったパフォーマンスを披露してくれる。
「すごいねぇ。日本のイルカショーは初めて見たけど、本当に華やかだ」
あたしの隣に座る聖君が、無邪気な笑みを浮かべながら言う。
「え、外国のイルカショーは違うの?」
「うん。ヨーロッパのを見たことがあるけど、音楽も流れないし、エンタメと言うよりは子どもたちへの教育って感じだね。ステージにモニターがついてて、イルカの生態や彼らの置かれた環境について、淡々と説明される感じ」
「えー、つまらなさそう……」
目の前の華やかなショーとの対比を想像したのか、みっちゃんが何ともいえない顔で言う。
教育もいいけど、それはそれでイルカたちもつまらないんじゃないかな……なんて思いつつ、あたしはイルカショーに視線を戻したのだった、
……そんなこんなでイルカショーも佳境を迎え、三頭のイルカたちによる大ジャンプでフィナーレとなる。
息のあったジャンプは見事なもので、あたしたちは思わず拍手を送る。
けれど次の瞬間、イルカたちの起こした大きな水しぶきが最前列のあたしたちに襲いかかった。
「ぷわっ!?」
「きゃー♪」
レインコートのおかげで服は濡れないし、みっちゃんはどちらかというと楽しんでいた。
一方のあたしは、メガネが思いっきり塩水を被ってしまった。
レンズに水滴がついたら何も見えないし、早く拭き取らないと。
そう考えながらメガネを外し、ポーチに入れておいたメガネ拭きを探す。
『……大丈夫か? でもやっぱ、メガネないほうが可愛いよな』
次の瞬間、優斗のそんな心の声が聞こえた。
動揺したあたしは、手が滑ってメガネを落としてしまう。
「あっ、ヤバ……」
足元に落ちてしまったメガネを拾おうと、反射的に体を動かす。
それと同時に、パキッという嫌な音がした。
メガネがないので状況はよく見えないけど、右の靴底に明らかに硬い感触がある。
「秋乃、どうした……げ」
背中に冷たい汗が流れる中、優斗が状況に気づいたらしい。あたしの足元を見て、言葉を失っていた。
「あー、やっちゃったかも……」
あたしはそう声を絞り出すと、手探りでメガネを拾い上げる。
視認できる高さまで持ち上げてみると、右側のレンズに亀裂が入り、フレームがぐにゃりと歪んでいた。