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17.宴は始まり

 維新後、日本が急速に西洋化していく中で、政府関係者である華族がもっとも急進的に変化していたのは間違いない。

 そもそも、幕末の混乱期以降、所属に関わらず軍事の要素から西洋文化が取り入れられ始めたのだから、当事者であった士族たちに西洋化の波が押し寄せるのは当然のことであった。


 先祖より受け継がれた鎧兜はそのまま、自慢の一振りを腰に佩いた武士たちであったが、火縄銃は早々に新型に取って変わられ、砲も臼砲から後装式へと変わっていく。

 家ごとの小集団を中心とした戦法は、西洋式の集団戦術中心となり、調練の方法も変わっていく。


 そして、幕末頃から戦は武士のものから平民のものへと変わっていくことになる。

 戦いが落ち着いて、西洋とのやり取りが増えると、今度は文化の流入が始まる。

 食肉文化も幕末から始まってはいたが、これが一般に広まり始めていた。西洋人とのやりとりが増える政府関係者であれば猶更、そういった料理を口にする機会は増える。


 ましてパーティーに参加する高官たちともなると、礼儀として西洋式のマナーを学ぶ日都合があるし、家格によっては自宅を会場とすることも稀ながら、ある。

 そこに招かれるのは、実のところ華族としてはありがたいものだった。


 何しろ、本当の西洋人を相手にして、舞踏会などの会場での振る舞いをせねばならぬ機会の前に、同じ日本人どうしで“訓練”が出来るのだから。

 衣服はもとより、立ち居振る舞いに慣れた者など極一部。座して語らうのではなく、立食になると最早混乱の極みに陥る者すらいる。


 どのような恰好をして、どこに立ち、何をして、何を話せば良いのか。

 政界に居る者にとって、華族による“日本人だけの”西洋式祝宴は願っても無い好機なのだ。


「お招きいただき、光栄にござる」

「いや、こちらこそ、来場かたじけない」

 などというやりとりがあちこちで行われ、マナーを知る者がどこから正せば良いのか頭を抱えるのである。


 六座家は築年浅く、大規模ではないが三十名程度の立食会が開ける程度のホールを邸内に有している。

 当主の六座りくざ岸良きしよしは、政府内ではさほど目立つ存在でもないが、かねてより緑小路家の補佐のように立ち回っており、過不足なく実務をこなすことで今の地位を築いていた。


 その関係は新政府樹立の頃からであり、出自となる地域は全くの別方角ではあるものの、緑小路は六座家の存在をありがたく思っていたし、先日の件で縁を切るようなことも考えていない。

 故に、政財界で多少の噂話はあれど、緑小路は娘を連れて堂々と祝宴に姿を現し、誰憚ることなく六座岸良と固い握手を交わした。


「此度は、互いに大変でしたな」

 緑小路はあえて、双方にとっての不幸であったとして、どちらかに責任があるものではないと強調した。

 狭い政界では緑小路が揉め事を持ち込み、六座が巻き込まれたとか、あるいは六座が地位を狙ってやったのだと噂する者がいる。


 それをこのやり取りであっさりと一蹴してみせたのだ。

「ありがとうございます。どうぞ楽しんでいっていただきたい。そうだ。お嬢さんから頂戴した誕生日の贈り物、娘はいたく喜んでおりまして、今日お見せできるかと」

「それはそれは。あれは娘が自ら選んだものでしてな。わしも見せてもらえなかったので、楽しみにしましょう」


 親しく語り合う二人を周囲で見ていた者たちは、自分が噂話に流されていただけだと知り、緑小路と六座の関係は変わっていないどころか、より強固になっていると感じたことだろう。

 まして、その会話の内容が聞こえていた者たちにとってみれば、次の世代の繋がりも盤石のものであると感じているのは間違いない。


 それを裏付けるように、誕生日を迎えるかのえが会場に姿を現すと、歓声の中から花が一足早く進み出て、祝意を伝えた。

「かのえさん、お誕生日おめでとうございます。早速つけてくださったのですね」

「花さん。もちろんです。こんなに素敵で可愛らしい根付、初めて見ました」


 かのえはこの日、西洋風のドレスを身にまとっていた。深い緑色で華やかにスカートが広がるドレスは、彼女をいくつか年上に見せるほど艶やかである。

 黒髪には流行のリボンがあしらわれ、そこにアクセントとして金泊で模様を施した根付が小さく添えられていた。


「お店で見かけて、すぐに気に入ったのです。かのえさんにきっと似合うと思って。実はわたしも、同じ店で購入してみたのです。いかがですか」

 赤いドレスを翻し、くるりと背を向けたた花の頭には少しだけ意匠が違う根付があった。


「まあ、お揃いですのね」

 お互いに手を握り、きゃあきゃあと声をあげる二人は、誰が見ても無二の親友であった。むしろ当主同士よりも親密と言える。

「さあ、わたしばかりがかのえさんを独占していてはいけませんね。皆様にご挨拶をしなければ」


「みなさま、今日は当家にお越しくださいまして、ありがとうございます。初めての方もいらっしゃいますので、自己紹介を。六座岸良の娘、かのえと申します」

 花に促され、集まった数十名の客人たちの前に出たかのえは、はにかみながらも自己紹介を行った。


「今日は私の誕生日祝いも兼ねておりますが、当家にとっては不慣れな主催にて執り行う祝宴の練習でもあります。どうぞ皆様、気楽にお過ごしください」

 懸命に練習したであろう言葉をゆっくりと話したかのえが、スカートをつまんで一礼すると、来場者たちから拍手があがった。


 その中には、ホールの片隅で直立不動のまま見守っていた佐崎の姿もあった。

「お元気そうで、何よりでございます」

 誘拐の衝撃は決して軽いものではなかったはずだが、今のかのえからは沈んだ空気は見受けられない。


 六座家当主からの挨拶があり、再びの拍手の後に乾杯へと進むと、かのえはまず最初に花との乾杯を行い、続いて自ら緑小路家当主寛治の前へと進み出て、自ら挨拶をする。

 花に比べるとかなり大人しい雰囲気の彼女だが、よく教育されたそつのない行動を見せている。ある部分では花に見倣って欲しいくらいだと佐崎は思った。


 緑小路もかのえからの挨拶を快く受け、笑顔で会話を楽しむと、他の来賓へと促した。

 そうして、一通りの挨拶が進むと、あとはゆったりとした歓談の時間となる。

 今回は会場の広さもあって、ダンスは行われないらしい。楽団を入れてダンスパーティーを行うには、政府施設程度の広さは必要になる。


 そもそも、楽団を雇って演奏させること自体が難しい。絶対数が少なく、政府筋のパーティーに呼ばれることも多く、簡単に呼べるものでもないのだ。

 ダンスがなければ、あとは交流の時間にひたすら費やされる。

 ここで料理に夢中となってしまっては、折角の機会を逃してしまう。その程度は誰もが理解しているので、誰と誰の繋がりが強く、どのようにな関係性にあるのかを知り、場合によってはその繋がりに自分もあやかろうとする者も少なくない。


 今の新政府は、まだまだ組織として盤石とは言えない。故に人材を欲しており、同時に自らを売り込みたい者にとっては好機である。

「始まりましたね」

 以前より交流のある者たちとの挨拶が一通り終わると、次に緑小路寛治に集まってくるのは、彼との繋がりを欲する者たちだ。


 ほとんどは士族であり、新政府の中で席が欲しい連中である。六座家との交流を頼りに、緑小路に知己を得たいとの思いで顔を売りに来るのだ。

 中には良からぬ考えがある者が混じっていても不思議ではない。

 花の方にも気配りをしながらも、当主である彼に危害を加えようとする者が現れないか、佐崎は神経を尖らせていた。


「不平士族の反乱、ですか」

 彼の脳裏には、宴に向かう馬車の中で緑小路から聞いた世情が思い出されていた。

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