明後日の月曜日、無事に二人とも退院なんだ。
せっかくお祝いに来てくれたらしいが喜多とはひと言ふた言だけ交わし、そそくさと店を離れた。
だからその後のロケットベーカリーでの事は直接見たわけではないが、割りと事細かく教えて貰ったからこの目で見た如くに知ってる訳だ。
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私と野々花さんが離れた後のロケットベーカリーでの事。
「せっかくだし喜多さん」
「なんでぇ凛子嬢」
「コーヒーでも飲んでいかれます?」
「お、淹れてくれんの? 悪いな閉店後なのに」
そうは言うが特に遠慮する事なくイートインに腰を下ろした喜多。
にっこり
なんだかんだで見知ってからは結構
まだどっか壁があるらしいな。
「お? カオルちゃんのと同じくらい旨ぇじゃんこれ!」
「えへ。ありがとうございます。練習したんですよ〜」
厨房の掃除をするタカオくんをそっちのけで、凛子ちゃんもジャスミンティーを
店主不在。それでも店主の客だと思えばこそ笑顔で応対してくれていたんだって。
「いやしかしホント良かったぜ」
「何がです?」
「あのゲンちゃんが一児の――いや、野々花も入れて二児の父だぜ。ゲンちゃんの初めての恋が実って良かったなぁ、ってよ」
「そう、ですね。幸せそうで羨ましくなっちゃいます」
「あの
喜多のこの言葉は迂闊中の迂闊。
世の中には言ってはならないタイミングの言ってはならない言葉があるそうだ。
コレが、正にそうだった。
――ばんっ!
「あっ――ちぃぃっ!」
立ち上がった凛子ちゃんが思い切りよくテーブルに両手を叩きつけ、併せて飛び上がったコーヒーとジャスミンティーがそれぞれにばしゃり。
凛子ちゃんのアイスジャスミンティーの攻撃力はほぼゼロだが、喜多のホットコーヒーはそうでもない。
あちぃあちぃと悶える喜多に、よく気のつくタカオくんがグラスに氷を入れて駆け寄った。
その結果そう大した火傷なんかはなかったが、店内に充満する重たい空気はもの凄かったそうだ。
なんと言っても、さめざめと泣く凛子ちゃんの声だけが静かに響いていたからだ。
「オレだって……。オレだって――ほん、き、だったし――」
小声で呟く凛子ちゃんよりも、さらに小さな声で喜多とタカオくん。
「お――おいタカオ。凛子嬢って……
「知らなかったんすか? ここで働き始めたころからずっと
そうなんだ。
喜多に相談しようと思ったこともあったが、結局そんなタイミングもなかった。だから喜多は知らない筈だ。
そこでようやく自分の失言に気付いた喜多は覚悟を決めた。
んんっ――とひとつ
「ま、まぁ座んなよ凛子」
「…………馴れ馴れしく呼び捨てすんじゃねぇよオッサン」
このときタカオくんは気が気じゃなかったそうだ。タカオくんには悪いが、この場に居たのが私じゃなくて本当に良かった。
「オッさ――!? ……いや、確かに俺も三十七……でも源造のがオッサンじゃねえかよ! なんで俺だけオッサン言われなきゃなんねんだ!」
「店長は良いんだよ! あんたなんかただ顔がちょっと……――めっちゃ良いだけのキザなオッサンじゃねぇか!」
貶してんだか褒めてんだか分からないが、それが凛子ちゃんの正直な感想だそうだ。
「オッサンじゃねぇ! 『喜多さん』か、『陽一』……いや、『陽一くん』。このどっちかで呼べ」
唐突な喜多のセリフ。
返す言葉に詰まる凛子ちゃんの腕を掴んで立たせ、厨房へとそっと押しやる。
そうしながらスマホを取り出し
「源造、凛子は明日休む。悪いがタカオと野々花と三人で店まわしてくれ」
それだけ言って切りやがる喜多。
「さ、着替えてきなよ。どこにでも連れてってやる」
「は? 訳わかんねえこと言ってんじゃねぇよ!」
凛子ちゃんの言い分ももっともだが、それに対し、ペコリと深く頭を下げて喜多が言った。
「知らなかったとは言え確かに俺が悪かった。罪滅ぼしだ。気晴らしに付き合わせてくれ」
コイツの真面目な態度は破壊力がある。普段とのギャップがそうさせるんだろうな。
「そうだよ凛子ねえちゃん! 行ってきなよ!」
タカオくんにまでそう言われ、凛子ちゃんは渋々バックヤードへ入って行った。
「
「全然っす! 凛子ちゃんねえちゃんのことよろしくお願いしまっす!」
数分後、タカオくんは店を出て行く二人の背を見送ったらしい――