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第25話 母と学生時代

こんばんは。

今週はインターネット回線が復旧しましたので、

母のエッセイを書きに来ました。


母はこの夏で75歳になります。

戦後80年とあちこちで言われていますので、

戦後まもなくに生まれた母は、

ほぼ戦後とともに生きてきたと言っても差し支えないと思います。

また、母の姉は母よりも4歳年上であると聞きますので、

母の姉は、本当に戦争が終わって生まれたということなのでしょう。

日本の戦争が終わってそれくらいの年月が過ぎました。

世界各地で戦争紛争はまだあると聞きます。

死ぬことが隣り合わせの地域もたくさんあるでしょう。

仮に偉い人たちが戦争を終わらせると決めたとしても、

そこからの復興がまた大変です。

母の幼い頃は、その大変な時代だったのだろうと思います。

平和が一番だと、平和ボケした私は思いますけれど、

なんとしても譲れない一線を越えたら戦うしかないという、

そんな理由で起きた争いもあるのかもしれません。

私は肯定できませんが、

全てが理解できるものでもありません。

争いを起こす誰かにとっては、

何らかの筋道通った理由があるのかもしれません。

理解しあえたらいいのにと、平和ボケした私は思うのですけれど、

譲れない何かのために戦うというのも、

あるのかもしれないと思うのです。

あるいは、

母は、母であるために何かと戦い続けたかもしれません。

女であることや、妻であること、母であること、

それらを守るために何かと戦い続けたかもしれません。

譲れない何かのために戦うというのは、

国レベルの戦争だけでなく、

個人レベルでもあるのだろうと思います。

命を奪い戦うレベルでなくても、

戦い続けて何かを守るというのはあるのかもしれません。

理解し合って平和というものが全ての答えではないのかもしれません。

答えではないにしろ、

なんとかできないかと私などは思ってしまいます。

ただ、命を懸けて何かを守るために戦うのも、

愚かとは言い切れない私がいます。

正しいとは、ひとつで言いきれるものではないのかもしれません。

今回も、そんな戦後を生き続けている、

母の記憶が雨と降ります。


今回は、母と学生時代です。


母は、学生時代にモテたと聞きました。

特に後輩からよく慕われたと聞きました。

話を聞く限り、男女問わず慕われていたようです。

母が学校に行きますと、

校舎の窓から、後輩たちが手を振って挨拶していたそうです。

母は幼い頃からずっと気の強い性格でしたので、

そのあたりが姉御的なものとして慕われていたのかもしれません。

また、少し前の母のエッセイで、

梅むすめのことを書いたと思いますが、

母の若かりし頃は、そのようなものに選ばれるほど、

見栄えがとてもよかったものと思います。

うじうじ悩む様子もなく、

さっぱりした気性でもあります。

母が理不尽だと感じることがあれば、

どれほど大きなものであっても嚙みつくような性格です。

女だからと弱くあることができない性格です。

学生時代の母も顔などの見栄えが良かったのでしょう。

そして、頼れる姉御だったのでしょう。

慕われる理由はきっとそんな感じなのでしょう。


母の学生時代に、

母の弟の長男さんが、高校に行けないらしいという話が出たようでした。

計算が合っているかはわかりませんが、

母が高校に行っていた頃、

母の母が、母の弟の長男さんの三者面談に行って、

この成績では行ける高校はありませんと言われたそうです。

母の母は、おそらくその頃病で弱っていた頃です。

私が聞いた母の記憶が確かならば、

母が学生であった頃に亡くなったと聞きますので、

相当弱っていた頃です。

母の母は先生に何も言い返すことができなかったと聞きます。

母の弟の長男さんが高校に行けないと聞いて、

母が怒りました。

これからの時代高校くらい行けなくてはいけない。

私が先生に直談判してくると。

母の弟の長男さんの学校に行って、

この学校ならば行けるはずです、どうか受験させてくださいと、

先生を説得したと聞きました。

そこは当時名前が書ければ入れるという高校で、

レベルは相当低い私立校でした。

それでも高校を出させてあげたいと、

母は先生を説得して、

母の弟の長男さんは、無事に高校に入学して、卒業まで至れました。

長男さんは、俺でもこのくらいの学校は入れるんだと言っていたと聞きましたが、

きっと母に感謝をしていると思うのです。

今となっては故人ではあるのですけれど、

長男さんが生前言っていたことによると、

姉ちゃんには頭が上がらない、だったらしいので、

長男さんは流されるままに高校に行った可能性もあります。

母に言わせると、気の優しい長男さんであったらしいので、

母が気迫で取ってきた高校受験に、

逆らえずに流された可能性もあります。

それでも感謝しているんじゃないかなと思うのです。

確かめることはできませんが、そうであってほしいと私は思います。


母の母は、母が高校生頃に亡くなったと聞きました。

母の入学式や卒業式などの式典の最中に、

咳き込む声が聞こえると、

母の母が咳き込んでいるのではないかと気が気でなかったと聞きます。

母の母は喘息持ちであったと聞きましたが、

当時の医療費がバカにならなかったとも聞きました。

学生の母ではどうしようもないほどだったのかもしれません。

母が学生の頃には、

実家の米屋はたたんでいましたので、

暮らしは貧しかったと聞きました。

貧しい中での母の母の医療費は、

相当な負担であったとも聞きました。

当時、女生徒がアルバイトをするようなことは、

今ほどなかったのではないかと思うのです。

たとえば、レストランの接客係をするようなアルバイトが、

それほどあったとも思えないのです。

コンビニのレジ打ちなんてほとんどなかったでしょう。

新聞配達のアルバイトも、

女生徒がやるようなものではなかったのかもしれません。

女は家にいるものという考えが根強い時代だったのかもしれません。

働くのは男で、男が家族を養っていく。

そのような時代だったのかもしれません。

学生の母はきっと家の力になることができませんでした。

母の母が弱っていっても、

母では一家の大黒柱になることができませんでした。

母がどれほど気が強い性格であっても、

これほど大きな時代の流れには勝つことができませんでした。

悔しい思いをした学生時代であったと思うのです。

そんな母が商売をしたいと思うようになったのも、

商売をしている男性のもとに嫁ぎたいと思うようになったのも、

自分の力で何とかしたいと思う表れだったのかもしれません。

母は時代に噛みつきたかったのかもしれません。


時間ギリギリですので、この回の母のエッセイはここまでで。

また、時間がありましたら、

母のエッセイを書きに来ます。


ではまたいずれ。

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