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4.桃心呀

 雉猿狗が桃姫の散髪をした翌日──五重の塔が建つ堺の古寺に足を運んだ二人は、20年前に役小角が打ち鍛えた二振りの仏刀、雉猿狗は打刀〈桃源郷〉、桃姫は脇差〈桃月〉をその手に握りしめ、広い境内の一角にて剣術の稽古を行っていた。

 桜の花が見事に咲き誇る大木の下で、桃姫と雉猿狗は互いに並び、息を合わせながら同じ動作を繰り返した──刀を振り上げて、振り下ろし、反転して上段に構え、突きを繰り出す。


「──ハァッ! ──セイッ!」

「──ヤァッ! ──テイッ!」


 桃姫は雉猿狗が用意した白いハチマキを額に巻いており、短くなった桃色の髪と相まって活発な印象を与えるその装いは、よく似合っていた。

 雉猿狗は汗をかかず、呼吸を軽く乱す程度だが、桃姫はたくさんの汗をかき、時間が経つにつれて呼吸を荒くしていった。


「──はぁ……はぁ……ねぇ、雉猿狗……私、試してみたいことがあるんだ」

「はい、何でございましょうか?」


 桃姫は雉猿狗に告げるとタタタッ──と勢いよく駆け出して雉猿狗から距離を取った。そして、低く体勢を取り、両手で握った〈桃月〉を大きく後方に引き下げながら構え持つ。

 桃姫は目を閉じ、かつて播磨の宿屋で見た夢の内容を思い浮かべる──桃太郎の指南の言葉、"心臓の制御"による"力の制御"──桃姫は研ぎ澄ました意識を心臓の鼓動に集中させた。そして、脈打つ鼓動に全身を駆け巡る血流の波動を近づけると、すべてが噛み合った瞬間に解き放った。


「──桃心呀(とうしんが)ッッ──!!」


 裂帛の声を放ちながら、カッ──と濃桃色の瞳を見開き、全身全霊の突きを繰り出した桃姫──全身の血液が津波のように心臓一点に向かって流れ込むと同時に莫大な力が発生した。

 突き出した〈桃月〉の銀桃色の刃から突風が放たれると、ブオンッ──という猛烈な風切音と共に雉猿狗に向かって吹き付け、後方に立つ桜の大木が強風に打ち付けられた。

 そして、幹にぶつかり上方に吹き抜けた突風によって、ブワッ──と盛大に桜の花びらが春の青空に舞い散った。


「──……ッ──!?」


 全身に風を受けた雉猿狗は、驚愕に翡翠色の瞳を見開き、桃姫の姿を見た。その小さな体からはとても考えられないほどの圧倒的な威力。

 桃姫が心臓を制御して力を解き放ったその瞬間、確かに雉猿狗は桃姫の体から、かつての桃太郎の迫力を感じ取ったのであった。


「──かはぁっ! ……はぁッ! はァッ──!」


 目を閉じた桃姫は両手を離して〈桃月〉を落とすと、その場に膝をついて両手で心臓を抑えた。

 桃姫は苦悶の表情を浮かべながら、激しい呼吸を何度も繰り返して、荒ぶる心臓の鼓動を必死になだめるように落ち着かせる。


「──桃姫様……ッ!」


 呆然としていた雉猿狗は、そんな苦しそうな桃姫の様子を見て叫びながら駆け寄ると、桃姫の前にしゃがみ込んでその背中をさすった。


「……桃姫様──!」

「──だい、じょうぶ、雉猿狗……ちょっと、"本気"をだしてみたかった、だけ」


 心配そうな顔をした雉猿狗に対して、薄く目を開いた桃姫は笑みを浮かべながら答えた。


「ッ──"本気"……雉猿狗が受けたあの一陣の風が、桃姫様の"本気"……にございますか」


 雉猿狗はこんな小さな体のどこからあれほど途轍もない力が出たものかと驚きながら、しかし、確かに桃姫の成長を確認した。


「──確かに、確かに見届けさせて頂きました。桃姫様は成長しております」


 雉猿狗が頷きながら言うと、桃姫は大きく息を吐いてから濃桃色の瞳に力を込めて、真剣な眼差しで答えた。


「──私、もう鬼に負けたくないんだ……もう、絶対に──」


 桃姫は宣言するように力強くそう言って、地面に落ちていた〈桃月〉を拾い上げて立ち上がる。

 雉猿狗は地面にしゃがみ込んだまま、立ち上がった桃姫の姿を見上げた。春の青空に舞い踊る桜の花びらを背景に立つ雄々しい桃姫の姿。


「──……っ──」


 その凛々しい姿を目にした雉猿狗は感激のあまり何も言葉を発せず、ただ、確信した。"桃姫様は誰よりも強くなる"と──。

 そう思いながら雉猿狗が桃姫を見上げていると、何処からともなくパチパチパチ──と拍手の音が聞こえてきた。

 辺りを見回した桃姫と雉猿狗が振り返ってみると、黒い羽織袴に笠を被り、大小の刀を帯びた七人の男が立っていた。


「あら……会合衆(えごうしゅう)の皆様」


 立ち上がった雉猿狗が会合衆の男たちに声をかけた。会合衆とは堺の商人が自治のために雇っている侍集団である。


「いやぁ、立派立派──」

「──まったく、実に見事なものだ」


 会合衆の男たちは笑みを浮かべながら桃姫の剣技を褒め称えた。どうやら離れて桃姫と雉猿狗の稽古の様子を観察していたようだった。

 桃姫は照れくさそうに笑みを浮かべながらお辞儀をした。


「皆様連れ立って、いかがなされたのですか……?」


 雉猿狗が会合衆に問いかけると、その中の若い男が答えた。


「堺の見回りですよ、今日は花祭りがありますからね」

「あら……お祭りの日でしたか」


 雉猿狗がほほ笑みながら返すと、不意に桃姫が表情を暗くした。

 "祭り"という言葉を聞いた瞬間、桃姫の脳裏に赤く燃える崩れたやぐらと、その下で血溜まりの中に倒れ伏す父、桃太郎の姿が壮絶に走った。


「……祭り──」


 顔を伏せた桃姫が呟くように声に漏らすと、雉猿狗はふっと桃姫を見て、それだけではたと察した。


「どうです……? 雉猿狗殿と桃姫殿も、ぜひ遊びに行かれてみては」

「珍しい南蛮菓子の出店なんぞもありましたよ。桃姫殿は気にいるのではありませんかな」


 会合衆の男たちは悪気なく花祭りに参加することを二人に勧めるが、雉猿狗は桃姫の暗い様子を見てから口を開いた。


「……申し訳ございません。二人して朝からの剣術稽古で疲れてしまいまして……本日は、もうお宿に帰らせて頂きますね」


 雉猿狗は残念そうに会合衆にそう言うと、顔を伏せて黙る桃姫の手をさっと取って歩き出した。


「そうですか、それは残念……」

「花祭りは夜通しやっておりますので、気が向いたら足を運んでみてくだされ」


 会合衆は古寺から離れていく二人の後ろ姿を見送りながらそのような言葉をかけていった。


「──桃姫様、お祭りはまた今度にいたしましょうか」

「……うん」


 雉猿狗が桃姫に優しく声をかけると桃姫は静かに頷いて返した。

 境内から去っていくそんな二人の後ろ姿を、五重の塔から伸びる尖塔の上に立ったしなやかな一人の影が見下ろしていた。


「──……みィつけた、桃姫ちゃん……──♪」


 鬼蝶は妖艶で陰惨な笑みを浮かべながら、見開いた黄色い瞳の中央に赤く燃える"鬼"の文字を興奮に光り輝かせた。

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