仙台城の天守閣にて──赤い炎を身にまとった鬼蝶が妖艶にほほ笑み、燃え盛る炎で作られた薙刀を振るってから口を開いた。
「──何よ、あなたたち。弱すぎるわ……伊達の父娘……雉猿狗──ねぇ、あなたってそんなに弱かったかしら……?」
傷一つ体に付かず、余裕の表情を浮かべながら告げる鬼蝶に対して、政宗と五郎八姫、そして雉猿狗が満身創痍となって天守閣に散らばっていた。
「──雉猿狗。私、あなたを過剰評価してたみたい。そうよね、強かったのは桃姫ちゃん──あの燃える髪……あれ、痛かったわァ……」
「ハァっ……ハァっ……ハァっ……!」
両眼から豪炎を噴き上げる鬼蝶が、鬼の身を焼き焦がす白銀色の聖なる炎、"仏炎"の壮絶なる激痛を思い出しながら口にした。
「……ふぅ……! ふぅ……! 拙者がももの代わりとなって、おぬしを退治するでござる……!」
五郎八姫が荒い呼吸を整えながら、〈桃源郷〉と〈桃月〉を両手に構えて、その銀桃色の切っ先を鬼蝶に向けながら声を発した。
巌鬼に連れ去られた桃姫が畳の上に手落としていった二振りの仏刀を五郎八姫が拾い上げて用いていたのであった。
「──ダメよ……あなたには、その特別な刀は使いこなせない……鬼を殺す忌々しい仏刀──うーん、持ち主を選ぶのかしらねぇ」
鬼蝶が横目で五郎八姫を見ながら吐き捨てるように言った。
事実、五郎八姫が両手で持ち上げた〈桃源郷〉と〈桃月〉は異様なほどに重たく感じ、五郎八姫の持ち味である素早さをまるで活かしきれていなかったのである。
「──戦うなら、やっぱり桃姫ちゃんよね……あーあ、私、成長した桃姫ちゃんと戦いたかったわ──今からでも巌ちゃんに持ってきてもらおうかしら。ふふふ」
鬼蝶は崩壊した天守閣の外壁を見てそう言ったあとに、雉猿狗に目線を移した。
「──ねぇ、雉猿狗。私ようやく理解したの──信長様のいないこの世は無意味だって退屈していたのだけれど……命を焼き焦がすような"熱い戦い"──それこそが私に"生"の実感を与えてくれるってことにね……堺であなたと鍔迫り合いをした時……あの瞬間ね──"ああ、私、生きてるな"って……心の底から、そう思えたのよ」
鬼蝶は苦笑しながらそう告げると、炎の薙刀の切っ先を雉猿狗に差し向け、豪炎を噴き上げる赤い"鬼"の文字が浮かんだ両眼を細めた。
「──雉猿狗。私、知ってるわよ……あなたの本気はそんなものではないってこと──さぁ、惜しまずに本気をお出しなさい──でなければ、あなたが"護りたい命"、そのすべてが死ぬことになるわよ」
「──…………」
「……雉猿狗殿……っ」
鬼蝶が低く残忍な声色で告げた言葉を聞いた雉猿狗が静かに目を閉じると、心配そうな顔をした五郎八姫がか細い声で雉猿狗の名を呼んだ。
「……わかりました、鬼蝶──あなたのその愚かな挑発に──"全神全霊"で、お応えしてさしあげます──」
ゆっくりと目を開いた雉猿狗が翡翠色の瞳に浮かぶ黄金の波紋を波立たせるように拡大させると、瞳全体を黄金色に染め上げた。
そして、バチバチバチ──と音を立てながら全身から神雷を放ち始め、黄金の雷光にその身を包んでいく。
「ッ──そうよ、それよォッ──!! ねぇ、それって"神様"から授かった力なのでしょう……!? あははは、いいじゃないの──私に味あわせてみなさいなッ! 雉猿狗ッ──!!」
「──雉猿狗殿……!」
興奮に顔を紅潮させ、嬉々として叫んだ鬼蝶に対して、雉猿狗は黄金に染まった目を吊り上げて睨みつける。
普段の温厚な雉猿狗とは全く異なるその凄まじい形相を目にした政宗が思わず声を上げると、雉猿狗が静かに口を開いた。
「──政宗様、五郎八姫様……お下がりくださいませ──この悪鬼の相手は、私が致します──」
雉猿狗はそう告げると、右手を前に突き出し、左手をその上に添えた。
「──日ノ本最高神、天照大御神様より授かりし、此の神の御業を視よッ──!! 神術・雷神剣(らいじんけん)ッッ──!!」
雉猿狗は宣言するように凛とした声音でそう告げると、左手を右手の赤い手甲の上から滑らせ、バリバリバリッ──と明滅しながら激しい雷鳴を立てる神雷で作られた"稲妻の剣"を生み出した。
雉猿狗は黄金に光り輝く稲妻の剣を両手で固く握りしめて構えると、炎の薙刀を構える鬼蝶に鋭い眼光を向けた。
「──こちらで、お相手します──」
「……ふふっ、なるほどね……炎の薙刀に対抗して、稲妻の剣を作り出した、ってわけ……」
鬼蝶は愉快そうに笑いながら炎の薙刀をブォンブォン──と左右に振るって火の粉を飛ばした。
火の粉は赤々と燃え上がるアゲハ蝶に転じながら舞い上がると、渦状になって鬼蝶の体にまとわりついた。
「……でも、どうかしら……? それでも、私のほうが随分と強そうよ──そんな即席の剣で大丈夫……? 雉猿狗──」
鬼蝶は炎で作られたアゲハ蝶を目で追いながら陰惨な笑みを浮かべて言う。
雉猿狗は瞳を更に吊り上げて全身の雷光を激しく明滅させると静かに、しかし、強い怒りを込めて口を開いた。
「──それは、試してみなければわかりません──」
「……ふふっ、それはそうね……桃姫ちゃんがいない分まで、しっかり私を楽しませなさい──雉猿狗ッッ──!!」
「──フッッ──!!」
咆哮するように両眼を見引きらながら叫んだ鬼蝶に対して、雉猿狗は全力で畳を蹴り上げると、電撃の如き速さで鬼蝶に向けて斬り掛かった。
「……へぇ──!!」
その予期せぬ速度に目を見張った鬼蝶は、咄嗟に燃えるアゲハ蝶の火炎渦を前面に向けて扇状に広げるように放った。
「──デェヤァァァアアッッ──!!」
雉猿狗は稲妻の剣を裂帛の声と共に振り上げると、アゲハ蝶の火炎渦を縦に寸断し、その中を駆け抜けるようにして鬼蝶に距離を詰める。
「──そう、小細工は効かないってわけね……♪ ──いいじゃないのよッ! 雉猿狗ッッ──!!」
命がひりつく感覚に満面の笑みを浮かべた鬼蝶は、次の瞬間、鬼の形相に転じて好敵手の名を叫びながら炎の薙刀を全力で突き出した。
「──フッッ──!!」
一息発し、胸を反らして薙刀の一閃を交わした雉猿狗──鬼蝶はにんまりとした笑みを浮かべると、間髪入れずに薙刀を横薙ぎに振るった。
「──甘いわッ! 甘いッッ──!!」
叫びながら、確かな手応えを腕に感じた鬼蝶──激しく明滅する神雷と燃え上がる豪炎とがぶつかり合い天守閣の中央で極光を放つ。
眩い閃光に視界がゆがみながらも勝利を確信した鬼蝶。しかし、ゆがんだ視界が戻った鬼蝶は我が目を疑った。
炎の薙刀がぶつかり合う先には、畳に突き立てられた稲妻の剣が、まるで"柱"のように伸びて存在するのみ。
「……えっ──」
思わず鬼蝶が声に漏らす。畳に突き立てられてもなおバリバリ──と明滅し続ける稲妻の剣は炎の薙刀の燃える刃を飲み込むように受け止めている。
鬼蝶が感じた確かな手応え、それは稲妻の剣を斬り伏せた手応えであったのだ。
「──まずいッ──!」
嫌な予感が全身を駆け抜けた鬼蝶は本能的に叫んだ。そして、咄嗟に炎の薙刀を手放すと、両手の鬼の爪をグンッ──と伸ばして、自らを護るように天井に向かって交差させた。
黒く伸びた10本の鬼の爪の隙間から、殺気を感じた天守閣の天井を見上げた鬼蝶。
しかし、天井には誰もいない。上から雉猿狗の攻撃が迫ると、そう判断した鬼蝶は雉猿狗の姿が見えないことに激しく焦った。
「──そちらではありません……鬼蝶──」
冷たく放たれる雉猿狗の声──それは、三方向から同時に鬼蝶の耳に向けて届いた。
「……ッ──!?」
表情をひきつらせた鬼蝶は咄嗟に顔を下ろし、前方を見た。しかし、そこには稲妻の剣のみが未だ畳に突き刺さって明滅しているばかり。
「──こちらだと言っているでしょうに──」
「……雉猿狗ッ──!!」
背後から聞こえた雉猿狗の声に、鬼の形相を浮かべた鬼蝶が振り返ると、その光景を見て絶句した。
「……雉猿狗が──三人ッ……!?」
慄きながら声を発した鬼蝶の前方と左右に、白犬、茶猿、緑雉の黄金に光り輝く"御神体"としての姿が現れていた。そして、その上方、白犬、茶猿、緑雉の体から伸びるようにそれぞれの幻影として雉猿狗が立っていた。
三人の雉猿狗は皆顔つきが異なっており、白犬から伸びる雉猿狗は凛々しい顔つき、茶猿から伸びる雉猿狗は穏やかな顔つき、緑雉から伸びる雉猿狗は不敵な笑みを浮かべた顔つきをしていた。
「……くッ──」
鬼蝶は歯噛みした。鬼の直感として、これから雉猿狗がするであろう"事"に命の危険を感じ取ったのである。
そして、鬼蝶は視線を動かして、白犬の背後、夜空が浮かぶ崩壊した天守閣の外壁を見やった。
「──逃がしはしません──私の"全神・全霊"──どうぞ、お喰らいくださいませ──」
「……かッ──」
三方向から同時に発せられた雉猿狗の声と共にバリバリバリ──と激しく明滅しだした三人の黄金の雉猿狗。鬼蝶は意を決すると、前方の白犬の背後、崩壊した外壁に向かって黒い下駄で畳を蹴り上げ、一息に跳躍する。
「──神術・神獣三昧(しんじゅうざんまい)ッッ──!!」
白犬から伸びる雉猿狗の丁度真上を跳んでいた鬼蝶──その鬼蝶目掛けて三人の雉猿狗が右手を上げて指をさした。
その時、鬼蝶には時間の流れが遅く感じ、自分の動作が緩慢に思えた。いつもなら一瞬で飛び越えられるような崩壊した外壁までの距離があまりにも遠く途方もなく感じる。
「……嫌ッ……」
怯えた表情を浮かべた鬼蝶が口から発する。その鬼蝶目掛けて、黄金に光り輝く白犬、茶猿、緑雉が稲妻の如き速さで飛びかかってきた。
飛びかかる最中、三獣は黄金色に極光する"神雷珠"に転じると、指をさす三人の雉猿狗の指示に忠実に従って、宙空を飛ぶ鬼蝶目掛けて、追尾するように集束していく。
「──信長様……お助けくださいッッ──!!」
悲痛な表情で鬼蝶がすがるように発した声、その直後、極光する"神雷珠"は鬼蝶の体に三方向から直撃した。
その瞬間──天守閣全体が黄金色に染まり、次いで、鬼蝶の声にならない金切り音のような壮絶な絶叫が響き渡った。
「……ごろはち、目を閉じろッ──」
「──父上っ」
片目を固く閉じた政宗が声を上げ、五郎八姫の目を手で覆い隠すと、五郎八姫も声を上げて固く目を閉じた。
あまりの閃光の強さに直視すれば目が潰れるほどの破壊力。
三つの黄金の珠が渦を巻く極光の中心で、凝縮された神のイカヅチをまともに受け続ける鬼蝶の喉が裂けんばかりの絶叫が弱まっていくと、閃光もまた鎮まっていった。
「──ハッ……かっ……かひゅ……」
そして、畳の上に横たわる鬼蝶がかすれる息を漏らした。肌は白く外傷は受けてないように見えるが、内臓は"神雷珠"によって内部からすべて焼かれており、目は白濁して、視界は失われていた。
瞳を黄金から翡翠色に戻した雉猿狗が、畳に突き立てられている稲妻の剣を抜き取り、両手に携えて虫の息の鬼蝶に近づきながら口を開いた。
「……これが私の本気です。満足なされましたか……」
雉猿狗もまた、体内の神力を使い果たし、満身創痍になりながらそう告げると、鬼蝶は何も見えない白濁した目を雉猿狗に向けた。
「──くッ、くひゅ……くひゅう……」
「…………」
かすれた吐息を漏らす鬼蝶に対して、雉猿狗は無言で稲妻の剣を持ち上げると、切っ先を鬼蝶の左胸、鬼の心臓に差し向ける。
「……鬼蝶。あなたの悪夢は、これにて終わりにしましょう──」
「──のぶな、が……さま……」
雉猿狗の言葉を受けた鬼蝶の口から発せられた言葉、その瞬間、白濁した両目からは涙があふれだし、頬を伝ってこぼれ落ちた。
「…………」
雉猿狗はその言葉と鬼蝶の涙を見て動揺した。両手で握った稲妻の剣の切っ先が震える。
「──……のぶ、なが……さ、ま……」
鬼蝶は事切れるようにそう告げると、両目を閉じて沈黙した。
雉猿狗はそれを見て、鬼蝶の左胸に向けていた稲妻の剣を持ち上げると、宙空に向かって振り払って神雷の粒子を霧散させるのであった。