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13.羅刹変化──羅刹般若

「……雉猿狗殿……」


 政宗が鬼蝶との戦いを終えた雉猿狗の背中に向けて声をかけると、雉猿狗は振り返って口を開いた。


「──鬼蝶は退治いたしました。次は、桃姫様を救いに──」

「──雉猿狗っ……!」


 政宗と五郎八姫に告げる雉猿狗の言葉を遮って、桃姫の声が天守閣に投げかけられた。


「ッ、桃姫様──!?」

「桃姫……!」

「ももッ──!」


 雉猿狗、政宗、五郎八姫が天守閣に駆け込んできた桃姫の姿を見て驚きの声を発した。


「桃姫様、なぜこちらに……!? 巌鬼は……!?」


 雉猿狗が喜びと驚愕をないまぜにしながら言葉を発すると、桃姫は鬼ヶ島で起きた出来事を三人に話して聞かせた。


「──そうですか、夜狐禅様が……」

「あの妖狐の少年。いつの間にかいなくなってると思っていたら、ももを助けに行っていたでござるか……」

「大手柄だ──ぬらりひょんのヤツにも、あとで褒美をやらんとな」


 雉猿狗は感心したように声を漏らし、五郎八姫と政宗が桃姫の無事な姿を見て安堵の笑みを浮かべながら言葉を発した。


「もも、鬼を斬るこの仏刀……拙者の手には妙に重く感じて、まったく扱えなかったでござるよ」

「いろはちゃん、預かっててくれたんだね……ありがとう……!」


 五郎八姫が未だにずしりと重く感じる〈桃源郷〉と〈桃月〉を桃姫に向けて差し出すと、桃姫は軽々と受け取って感謝の言葉を述べた。


「さて、鬼蝶は雉猿狗殿が退治したし、桃姫も無事に戻ってきた──あとは城内に蔓延る鬼人兵どもを片付けるだけだな」

「え……!? 鬼蝶を……!?」


 政宗の告げる言葉を耳にした桃姫は驚きの声を発すると、天守閣の崩壊した外壁の近くで倒れ伏している鬼蝶の姿に気づいた。


「……雉猿狗が、倒したの……!?」

「はい。"全神全霊"──文字通り、すべての神力を使い果たしてしまいましたが。あはは」


 鬼蝶から雉猿狗に視線を移した桃姫が尋ね聞くと、雉猿狗はほほ笑みながら頷いて返した。


「すごい! すごいよ雉猿狗……!」

「いや、本当にすごかったでござるよ、もも」

「うむ。雉猿狗殿がいなければ、今頃、俺とごろはちは間違いなく焼け死んでいたな」


 興奮した歓声を上げる桃姫と五郎八姫、そして政宗の称賛を受けて雉猿狗は少し照れながらも穏やかなほほ笑みで返した。

 その時──倒れ伏した鬼蝶の瞳がゆっくりと開かれ、白濁した眼が再生し、赤い"鬼"の文字が黄色い瞳にポウ──と浮かんだことには誰も気づかなかった。


 ──ある日の鬼ヶ島にて、ザクロの木の根本にひしゃくで水をかけている鬼蝶の姿があった。

 赤土が広がる裏庭の崖沿いに立ったザクロの木は、赤い海原から吹く潮風を浴びて歪みきって育っていた。

 そんなねじまがったザクロの木の異形を見ていると、鬼蝶の心は不思議と安らいだのであった。


「──ふふふ……♪」


 笑みを浮かべてザクロの木を眺める鬼蝶の元に、〈黄金の錫杖〉を突きながら役小角が近づいた。

 チリンチリン──と鳴る金輪の音に気づいた鬼蝶がひしゃくを水桶の中に置いて振り返る。


「あら、行者様。こちらまで来られるのは珍しいですわね」

「かかか。たまには裏庭を散歩でもしようかと思うてのう」


 いつもと変わらず満面の笑みを顔面に貼り付けた役小角がザクロの木の前まで来てそう言うと、異形の木を睥睨してから鬼蝶の顔を見て口を開いた。


「鬼蝶殿……一つ、おぬしに話しておきたいことを思い出したよ」

「はい。なんでございましょうか」


 鬼蝶は潮風を受けて白く長い顎ヒゲと頭の天辺で結った白髪を揺らす役小角の顔を見ながら応えた。


「うむ──"羅刹変化(らせつへんげ)"についてじゃ」

「"羅刹変化"……にございますか?」


 役小角の口から発せられた聞き慣れない言葉を繰り返した鬼蝶。役小角はザクロの木に目線を移すと再び口を開いた。


「如何にも……かつて、日ノ本各地を蹂躙したかの"八天鬼"は皆それぞれ、異形の姿となり"超常なる鬼の力"を得る、"羅刹変化"という名の特性を持っておった」


 役小角は言うと、ザクロの木に実った赤い果実を見上げながら言葉を続けた。


「もっとも、桃太郎のお供の白犬による決死の法術によって、その力を発揮する前に"八天鬼"は一網打尽にされたわけじゃが──まったく、いったい誰がそのような入れ知恵をしたものか──かかかか!」


 役小角は高笑いをすると、ザクロの果実から目線を下ろして鬼蝶の美しい顔を見た。


「鬼蝶殿……わしが煎じた"八天鬼薬"を飲み、"燃羅の力"を受け継いだおぬしもまた──"羅刹変化"の特性を得ておるのだ」

「……私が、異形の力を……?」


 鬼蝶は役小角の言葉に驚きながら言って返すと、自身の胸元に手を当てた。


「如何にも……ただし、一つだけ大きな問題がある、それはの──"羅刹変化"は、"不可逆"だということじゃ」

「……ッ」


 役小角は黒い眼を細め、動揺した鬼蝶の黄色い瞳の奥を覗き込みながら言葉を告げた。


「──"羅刹変化"は鬼の力。ゆえに元が人だった者が、一度"羅刹"へと転ずれば……もう二度と人の姿には戻れ得ぬのだよ」


 役小角はそう言うと、フッ──と〈黄金の錫杖〉の頭をザクロの果実に向けた。

 その瞬間、ザクロの果実ははぷつりと枝からちぎれて離れると、ふわふわと宙空を浮きながら役小角の開いた左手の上に落下した。


「──"羅刹変化"は"八天鬼人"、その"最後の切り札"……"もうどうなってもよい"と、そう覚悟を決めたときにだけ、使うがよろしい」


 役小角は満面の笑みで鬼蝶にそう告げてから、握った赤い果実にがぶりとかじりついた。


「──うむ……わしゃビワのほうが好きじゃのう──」


 口元から赤い果肉と果汁を垂らしながら役小角は満面の笑みで言い放った。


 ──行者様……"もうどうなってもよい"、などと。

 ──そんなこと……信長様が失われたあの日から私……ずっと思っていますわ。


 鬼蝶は仙台城の天守閣にて、体の内部が焼き焦がされる激痛を味わいながら、再生した黄色い瞳で崩壊した外壁の夜空に浮かぶ黄色い満月を見た。


 ──燃やしたい……あの本能寺の夜のように……この世のすべてを燃やし尽くしたい。

 ──この世の万物……生きとし生けるもの……皆すべてを灰に変えて──その中で、私は笑うの。


 鬼蝶は不敵な笑みを浮かべ満月に向かって、黒い爪が伸びる左手を差し伸ばした。


 ──ほら見たことか……やっぱりこの世は……無意味で空虚なものだったじゃない……。

 ──そうやって……私は、笑うのよ。


 鬼蝶は黒い爪が伸びる手を開き、黄色い満月を握り潰すようにグッ──と閉じると、口を開いた。


「……信長様……冥府魔道より……ご照覧くださいませ……」


 鬼蝶はかすれた声でそう告げると、亡者のようにふらりと立ち上がった。


「……あなたの愛した鬼蝶……これより、"羅刹"とあいなりますわ……」


 鬼蝶はそう囁くように声に漏らすと、夜空に向かって両手を大きく広げた。

 その光景に最初に気づいたのは、桃姫たちから祝福を受けていた雉猿狗であった。


「──ッ!? ……鬼蝶ッ!?」


 雉猿狗の驚愕と共に放たれた絶叫に桃姫、五郎八姫、政宗が一斉に振り返って鬼蝶の姿を見た。

 そこには、四人に対して背を向けて両手を満月に向けて広げる鬼蝶の姿があった。


「──八天鬼人──鬼蝶──」


 鬼蝶はうっとりした顔つきで満月を見上げながら、そして"不可逆"の宣言を実行した。


「──羅刹変化──羅刹般若──」


 陰惨かつ妖艶な笑みを浮かべながら鬼蝶がそう告げた瞬間、その背中がバクッ──と音を立てながら大きく開かれ、内部からズゾゾゾ──と"巨大な頭部"が這い出てきた。


「……な、何だ……あれは……」


 鬼蝶と同じ深緑色をした長い髪を持つ、"巨大な頭部"が鬼蝶の背中から"生まれ"いでる。そのおぞましい光景を目にした政宗が引きつった顔で声を漏らした。

 しっとりと濡れる長い髪の中から左右四本ずつ、人のそれに似た太い腕がグッ──と伸びると畳の上に鋭い黒爪を持つ指を開いて踏ん張った。


「──ひっ……!」


 あまりにも強烈すぎる光景を前にして、五郎八姫が悲鳴を漏らしながら腰を抜かして畳の上に尻餅をつく。

 次の瞬間、ググググ──と"巨大な頭部"が八本の腕によって持ち上げられていき、憎悪と怨念にまみれた巨大で醜い般若の顔が顕になった。

 巨大な般若の顔は、牙の伸びた口の中から赤い炎を噴き漏らすと、黄色い両眼を細めて雉猿狗たちを睨みつけた。


「……こんなの……こんなの、鬼じゃない……」


 桃姫が戦慄しながら声に漏らす。それは鬼というにはあまりにも形容しがたい、鬼蝶という名の"蛹"から生まれいでた、異形の化け物であった。 


「──ああ、"羅刹変化"──こんなに気持ちが良いのならば……もっと早くにやればよかったですわァ──♪」


 巨大な般若顔の頭部、その後頭部から上体だけを伸ばした鬼蝶がうっとりとした恍惚の表情を浮かべながら言った。

 その黄色い瞳の中央に浮かんだ赤く光り輝く文字は、"鬼"から"羅"へと転じていた。

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