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14.超常なる鬼の力

「立て、ごろはちッ──! "異形"ならば、奥州妖怪で散々と見てきたであろうッ! ──たかが鬼の見てくれ如きに伊達の武者が怯むでないッ──!!」

「し、しかし父上殿っ……! こんな恐ろしい姿をした妖怪は、奥州にはいなかったでござるよぉッ──!!」


 五郎八姫は半泣きになりながら悲痛な声を上げると、差し出された政宗の腕にすがってやっとの思いで立ち上がった。


「雉猿狗……! どんな鬼が相手だろうと、私たち二人なら退治できる──そうだよね……!?」


 桃姫は両手に〈桃源郷〉と〈桃月〉を握りしめながら雉猿狗に声を掛けると、雉猿狗は黄金の波紋がわずかに浮かぶ翡翠色の瞳を伏せ、力なく口を開いた。


「──桃姫様。申し訳ございませぬ……雉猿狗は先程の戦いにて、体内に蓄えていた神力を使い果たしてしまいました……」

「……っ──それなら……うん……! それなら、私がやるよ──! 雉猿狗、私が──」


 ふらついた雉猿狗の背中を桃姫が受け止めて力強く声を発すると、雉猿狗が首を横に振りながら桃姫の目を見て告げる。


「──なりません。この鬼蝶の"異形"から発される凄まじい鬼の力……これは、今までの鬼蝶のそれとはまるで異なります……彼女は残っていた人間性を捨て去り──完全に"悪鬼羅刹"へと染まったのです」

「……悪鬼、羅刹……」


 雉猿狗の言葉を受けた桃姫があらためて"異形"と化した鬼蝶──羅刹般若の恐ろしい異様を見やった。

 畳につくまで深緑の長い髪を伸ばした巨大な般若の顔は怨嗟に歪んでおり、牙の伸びる口内の奥底からまるで"焼却炉"のように火炎を漏らして"ゼーハー"と荒い呼吸を繰り返している。

 その一方で、後頭部から生え伸びるこちらに背中を向けた鬼蝶は、両手を夜空の黄色い満月に向かって気持ちよさそうに差し伸ばしていた。


「──ああ、力を感じるわァ。途轍もない鬼の力……! あっははは──!! これよォ……! 私が望んでいたのは、この圧倒的な破壊の力なのよ……! あァ、行者様──! あなたがおっしゃられた"超常なる鬼の力"とは、これのことなのですね──!!」


 羅刹般若の"裏側"から不気味に発せられる鬼蝶の嬌声を耳にした雉猿狗は、一瞬にして全身に激しい悪寒が走った。


 ──禍々しい……あまりにも禍々しすぎる……。

 ──日ノ本の地に存在してはいけない。穢れきった冥府魔道の存在が今、私の眼の前にいる……。


 雉猿狗は人の手に似た八本足で畳を踏みしめる羅刹般若の黄色く光る眼と視線を合わせると、戦慄しながら歯噛みした。

 そして、後方に立つ政宗に向かって口を開いた。


「政宗様……! 桃姫様と五郎八姫様を連れて、早急に天守閣よりお逃げくださいませ──!!」


 腰が抜けた五郎八姫の体を支える政宗に雉猿狗はそう告げると、政宗は慌てて口を開いた。


「──逃げるのは賛成だが、雉猿狗殿……! 雉猿狗殿は、如何にする気だ──!?」


 独眼を見開きながら政宗が返すと、雉猿狗は一歩二歩と踏み出して、火炎の吐息を噴き漏らす羅刹般若と対峙した。


「──私がここで鬼蝶を引き止めます……三人はその隙に、可能な限り遠くまでお逃げくださいませ……」

「ッ、駄目だよ、雉猿狗──! 疲れた雉猿狗を置いていけるわけないでしょ──!! 戦うなら、私が戦う──!!」


 桃姫がそう叫びながら雉猿狗の隣に駆け寄って並び立つと、二振りの仏刀を羅刹般若に向けて構えた。


「──そうよ、雉猿狗。力を使い果たしたあなたはもう糞の役にも立たないの──さぁ、桃姫ちゃん。"真の姿"になったこの私と、心ゆくまで殺し合いを楽しみましょう──♪」

「……そのようなおぞましい"異形"を、"真の姿"などとのたまうな……! おぬしそれでも、信長公の正妻かッ──!!」


 鬼蝶の言葉を聞いた政宗がかつて安土城で謁見した美しかった帰蝶の姿を脳裏に想起しながら告げると、鬼蝶は恍惚とした笑みを浮かべながら口を開いた。


「──ふふふ、信長様もきっと気に入ってくださるに違いないわ♪ ──これが私の"本当の姿"……私が心の底から望んでいた"鬼の姿"なのよ──ああ、まるで極楽浄土にいるかのような夢心地だわ──♪」

「……黙るでござる! 般若顔をした大蜘蛛の化け物……! ──おぬしほどの醜い存在、拙者ついぞ見たことがないでござるよッ……!」

「──ふゥーん……言ってくれるじゃない──」


 五郎八姫は鬼蝶に吐き捨てるように言ってのけると、鬼蝶は冷たい声を漏らし、笑みを浮かべるのを止めた。

 そして、突如として頭部の左右から伸びる八本足をバタバタバタ──と畳を激しく叩きながら大きく蠢かすと、燃え盛る般若の大口を開いて五郎八姫に向かって咆哮しながら突進を仕掛けた。


「──グラァァアアアッッ──!!」

「……ひぃっ──!!」

「──ごろはちッ……!」


 羅刹般若の牙が生えた大口が畳をこすりながら恐怖に硬直した五郎八姫に向かって前進すると、政宗が五郎八姫を抱きかかえて羅刹般若の進路から飛び退いた。

 突進を続ける羅刹般若は燃やされた家臣団の亡骸を弾き飛ばしながら開かれたふすまを吹き飛ばし、轟音を立てながら天守閣の壁に激突した。


「──チッ──……この図体だと、なかなか……思い通りに動かすのは難儀なものね……」


 羅刹般若の後頭部に生えた鬼蝶が手で支えた自分の首に力を加えてポキポキと鳴らしながら舌打ちして言うと、天守閣の大広間に居並ぶ四人を見やった。


「──でも、今ので感覚は掴めたわ。八本足で動く感覚──これが、真なる私の体──ふふふ♪」


 鬼蝶はそう言って赤く光り輝く"羅"の文字が浮かんだ瞳をうっとりと歪めると、ガサガサガサ──と八本足を蠢かして方向転換をした。

 その際、天守閣から階下に繋がる階段をメキメキ──と踏みしめて破壊すると、般若顔の黄色い両眼からボウッ──と赤い炎を噴き上げた。


「──この体になって間もないから、まだ何が出来るか自分でもよくわかってないの──だから、色々と試させて頂戴──♪」


 そういたずらっぽく言った鬼蝶は、前の四本足で羅刹般若の体を持ち上げると、般若の閉じた口の奥で豪炎を燃焼させ始めた。


「ッ……皆様! 端に避けてください──!!」


 その光景を見た雉猿狗が叫び、四人が天守閣の大広間の端に走って移動した。

 次の瞬間──羅刹般若はドスンと音を立てながら思いっきり巨大な頭を落として、その勢いで膨大な火炎の渦を開け放った般若の口から解き放った。


「──アーッハッハッハ……!! ──すごいわ、すごい火力──!!」


 羅刹般若の口から勢いよく一吹きで放たれた猛烈な火炎は天守閣に渦を巻きながら燃え上がると、崩壊した外壁から外に向かって吹き出して、夜空を赤く染めた。

 桃姫は雉猿狗の腕の中で、五郎八姫は政宗の腕の中で、それぞれ火炎の渦を耐え凌いだ。直撃こそ免れたが、四人とも尋常ならざる熱風を身体に当てられて、満身創痍の状態となった。


「──はぁ……サイッコウの気分だわ──こんなに強いなら、もっと早く羅刹になればよかった──元の姿に戻れないですって……? はっ、頼まれても戻りたくなんかないわよ……アッーハッハッハッハッッ──!!」


 ドスドスドス──と人の手に似た八本足を蠢かしながら天守閣の大広間に入ってくる羅刹般若の後頭部で鬼蝶が高笑いする。


「……桃姫様。今から雉猿狗の言うことを、よくお聞きくださいませ──」


 青ざめた顔で息を切らした雉猿狗が胸元に抱いた桃姫に向かって告げる。


「──政宗様の元に全力で走って……そして五郎八姫様と三人で、この天守閣から脱出してくだいませ──」

「──なァに、ぶつぶつ言ってんのよ。雉猿狗──」


 鬼蝶は天守閣の隅にいる雉猿狗に標的を定めると、八本足を蠢かして羅刹般若の顔をそちらに向けた。


「……雉猿狗……!」

「──お願いします、桃姫様──全力でお逃げください──!!」


 雉猿狗は腕の中の桃姫を突き飛ばすように政宗の方に走らせると、自身は羅刹般若の前に走り出した。


「……雉猿狗っ──!!」


 桃姫が振り返りながら雉猿狗の名を叫ぶ。鬼蝶は走る桃姫の姿を目で追うが、その一方で羅刹般若の炎を噴き出す両眼は、迫りくる雉猿狗の姿に気を取られていた。


「……鬼蝶ッッ──!! あなたの相手はこの私ですッッ──!!」

「──ふふ……そうね──私の体を何度も焼き焦がした雉猿狗──今度は私が焼き殺す番よねェッ──!!」


 雉猿狗の挑発によって、鬼蝶と羅刹般若の注意が完全に雉猿狗に向けられた時、桃姫が政宗と五郎八姫に合流した。


「……桃姫。雉猿狗殿は、なんと……!?」

「脱出してって……! 三人で天守閣から脱出してって──!」

「……くっ」


 桃姫に問いただした政宗は、桃姫の口から雉猿狗の言葉を聞いて歯噛みした。


「──鬼蝶ォオオッッ──!!」


 羅刹般若に向けて畳を蹴り上げ、叫びながら跳躍した雉猿狗。己の命の維持に必要な最後の神力を振り絞って、赤い手甲をつけた右手に、黄金色に光り輝く"神雷珠"を作り出すと、羅刹般若の燃える左目に向けて力強く叩き込んだ。


「──それがいったい何になるってのよ……!! 獣女ァッッ──!!」


 雉猿狗のその攻撃に対して鬼蝶が叫びながら八本足をバタバタバタ──と蠢かして羅刹般若を我武者羅に突進させると、雉猿狗の体を般若顔と天守閣の壁との間に挟んで勢いよく押し潰した。


「──グッッ──!! 神術・神雷暴爆(じんらいぼうばく)ッッ──!!」


 衝撃で壁に大きなヒビが入ったその瞬間、嗚咽を漏らしながら黄金の瞳で叫んだ雉猿狗。

 右手に握った"神雷珠"が炸裂して、黄金に極光する稲妻の爆発を般若の顔面で引き起こした。


「──ゴォオオオッッ……!!」


 左目に押し付けられた"神雷珠"の爆発をまともに食らった羅刹般若は、低い唸り声と共に口から炎を吐き出しながら、巨顔を支える力を失ってガクッ──と八本足を崩折れさせ、般若顔を畳の上にドスン──と落とした。

 それと同時に、般若顔の黄色い両眼から噴き出していた真っ赤な豪炎がピタリと収まって沈黙した。


「……雉猿狗ッッ──!!」

「桃姫、駄目だ……!!」


 己の命を削った雉猿狗の決死の一撃。その光景を目にした桃姫が叫び声を上げると、政宗は桃姫の体に腕を回して、桃姫が駆け出そうとするのを力付くで止めた。


「……ハァッ……ハァッ……ハァッ……」


 羅刹般若が崩折れたことにより、壁との圧迫から逃れることができた雉猿狗は、壁に背中を預けるようにして何とかして立っていた。

 しかし、苦悶の表情で顔面蒼白となりながら、掠れた吐息で荒い呼吸を繰り返した雉猿狗。命の輝きを失いつつある〈三つ巴の摩訶魂〉が浮かぶ自身の胸を左手で抑えながら、黄金の波紋が完全に消え失せた翡翠色の瞳をか細く細めた。


「──……うーん、雉猿狗。やっぱりあなたって……弱いわ……──」


 鬼蝶は羅刹般若の後頭部で冷たくそう告げる。そして、般若顔の黄色い両眼に再びボウッと豪炎を灯して噴き出させると、巨顔を支える八本足に力が込められてググッ──と立ち上がった。

 雉猿狗は眼の前で立ち上がった巨大な般若の顔面、その口から噴き漏れる熱風を全身に浴びながら観念したように静かに目を閉じた。


「──……違うわね……私が強くなりすぎたんだわ……──」


 命を維持する神力すらも使い果たした雉猿狗に対して、鬼蝶は"羅"の文字が赤く輝く瞳で桃姫の姿を見ながら告げた。


「──……雉猿狗、私の"力"の一部にお成りなさい……──」


 力なく目を閉じて沈黙した雉猿狗に告げた鬼蝶。羅刹般若が人の手に似た前足の一本を持ち上げると、黒い爪が伸びる指で、雉猿狗の体を掴んで軽々と持ち上げる。


「……あ、ああっっ──!!」


 羅刹般若の"焼却炉"のように轟々と火炎を燃やした大口がグバッ──と開かれると、鬼蝶が何をしようとしているのか察した桃姫が声にならない声を上げた。

 雉猿狗の体がその"焼却炉"の中に押し入れられようとしたその瞬間──翡翠色の瞳を薄く開き、口元を動かして、声にならない"祈り"の声を発した。


 ──桃姫様……生きてくださいませ──。


「──雉猿狗。さようなら──♪」


 絶句する桃姫の顔を見つめながら、陰惨な笑みを浮かべた鬼蝶が告げると、羅刹般若の大口がバクンッ──と音を立てながら勢いよく閉じられ、牙が伸びる口の端から真っ赤な火炎が盛大にブホッ──と漏れ出た。


「ッ──!! ──雉猿狗ォォオオオッッ──!!」

「──サイッコオオオオオオオオオオオッッ──!!」


 桃姫の絶叫を耳にしながら、恍惚の笑みを浮かべ、両手を広げて絶叫した鬼蝶。その瞬間、"羅"の文字が光り輝く両眼から猛烈な豪炎が天井に向かって噴き出される。

 それと同時に、羅刹般若の両眼からも赤い炎が噴き上がり、その光景を目にした政宗は、今すぐに天守閣から脱出しなければならないと直感した。


「──桃姫、ごろはちッッ──!! 脱出するぞ──!!」


 叫んだ政宗は、破壊されたふすまの先、階下に繫がる階段を見たが、暴れた羅刹般若によって潰されていて階段として機能していない。

 次いで政宗は、夜空が広がる崩れた外壁を見て唸るように声を上げた。


「……南無三ッッ──!! 俺の体にしっかり、掴まれ──ッ!!」


 右腕に桃姫、左腕に五郎八姫を抱えた政宗は覚悟を決めて吼えるように叫ぶと、崩れた外壁に向かって全力で駆け出し、二人を抱えた状態で夜空目掛けて跳躍し、仙台城の天守閣から飛び出した。


「──ヴァオオオッッアアアアアアアアッッ──!!」


 鬼蝶の両眼、羅刹般若の両眼──そしてその全身各所から壮絶な火柱を噴き上げながら地獄の咆哮を放った八本足の"異形"の鬼。

 次の瞬間──地鳴りのような凄まじい轟音と共に豪炎の渦が天守閣の大広間に巻き起こり、気を失いそうになるほどの熱風を背中に浴びながら、桃姫と五郎八姫を両腕に抱えた政宗は、火炎で照らされて赤く染まった仙台の夜空を飛ぶ。


「……うぉぉおおおっっ──!!」


 政宗は独眼を大きく広げながら叫び声を上げ、天守閣の下の階の屋根瓦の上に落ちると、そこから滑り落ちて、更に下の階の屋根瓦にぶち当たった。

 そして更に下の階の屋根瓦に背中から衝突して滑り落ち、そして上に向かって高速で流れていく石垣を尻目に見ながら、桃姫と五郎八姫を強く抱きしめ──背中から地面に激突した。


「がっ、ふッッ──!!」


 独眼が飛び出でんばかりの激痛にうめき声を上げた政宗。両腕に抱かれた桃姫と五郎八姫は、天守閣から落下した衝撃のそのすべてを政宗の体が受け止めたことによって奇跡的に無傷であった。

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