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15.超常なる仏の力

「ッ──父上っ! 父上殿ッ──!!」


 五郎八姫はすぐさま政宗の腕の中から起き上がると、地面に仰向けに倒れる政宗の肩をゆすりながら叫んだ。


「う、動かすな、ごろはち──内臓が、だいぶん、やられておるのだ……げほッ──」


 苦悶の表情で告げた政宗は、口から真っ赤な鮮血を吐き出した。


「──…………」


 一方、雉猿狗が羅刹般若に"喰われる"光景が脳裏に焼き付いた桃姫は、政宗の腕から静かに離れてその場に座り込むと放心状態となった。


「──医者っ……すぐに医者を呼んでくるでござる……!!」


 政宗の容体が想像以上に悪いのを見て取り、気が動転した五郎八姫がそう声を上げて立ち上がろうとすると、咄嗟に政宗がその腕を掴んで引き止めた。


「待て、ごろはち……俺の体のことは俺が一番よくわかっておる──こいつは、医者を呼んで助かるような……状態では、ない……ごほッ──」

「……っ」


 身悶えるような激痛に耐えながらそう告げた政宗は、赤黒い血の塊を口内から吐き出すと、無惨にも赤々と燃え上がる仙台城の天守閣を見上げた。


「……ああ、仙台城──ごろはち、お前がほしいと言った天守閣が燃えてしまった……ああ、ちくしょう……」


 政宗は独眼から一筋の涙を流すと、眼帯も濡らした。そして、地面にしゃがみこんで放心状態になっている桃姫の姿を見やって、口を開いた。


「……桃姫、ごろはち……逃げろ──雉猿狗殿の言葉を忘れるな。お前たちを生かすために雉猿狗殿は犠牲になったのだぞ──」

「……雉猿狗……」


 桃姫は光が失われた暗い濃桃色の瞳で呟くと、政宗は五郎八姫の顔を見て告げた。


「……ごろはち、お前がやるのだ。お前が、桃姫をここから連れ出すのだ……桃姫は鬼退治の希望だ──お前にも、それがわかるであろう」

「……う、ううっ……でも父上……父上を置いては行けないでござる……」


 掠れた声で告げる政宗の言葉を聞いた五郎八姫は、涙を流しながら声を震わせた。桃姫は茫然自失とし、五郎八姫は涙を流す。

 死期が迫っていることを強く感じ取った政宗は、そんな二人の動き出そうとしない状態を見て、思わず天を仰いだ。

 そして、その仰ぎ見た先──豪炎を噴き漏らす天守閣の内部から、巨大な般若顔の蜘蛛が夜空に向かって勢いよく飛び出すのを見た。


「ッ……まずい……来るぞ、鬼蝶が──ッ!」


 独眼を見開きながら発された政宗の震える声を聞いて、五郎八姫と桃姫が夜空を見上げる。

 次の瞬間──ドォォオン──という激しい地鳴りと共に羅刹般若が巨体を唸らせながら三人の前に着地した。


「──ふふっ……どこにも逃げ場なんてないわよ──♪」


 般若顔の後頭部から生え伸びる鬼蝶はそう言って笑みを浮かべると、ガサガサガサ──と八本足を蠢かして方向転換し、羅刹般若の醜い巨顔を三人に向けた。


「──雉猿狗を"喰らって"からね……なんだか、体の芯がすッごく熱いの……なにかしらこれェ──あァ……まるで雉猿狗の命が、私の中で渦を巻いているみたい──!!」

「……ッ」


 鬼蝶は頬に指を当てて、うっとりとした恍惚の表情を浮かべながらそう言うと、桃姫は憎悪に歪めた顔で羅刹般若を睨みつけた。


「──あらァ、桃姫ちゃん。なによ、そのお顔は……あっははは! ──悔しかったら私を倒して、腹かっさばいて雉猿狗を救ってご覧なさい……でも、ドロドロに溶かしちゃったから、もう遅いけどねェ……!! アッハッハッハッハ──!!」


 鬼蝶は般若顔の黄色い眼を借りて、怒りに震える桃姫の顔を見やりながら高笑いをした。


「……返せ……雉猿狗を……返せ……」


 桃姫は鬼蝶の嘲笑の声を浴びながら、濃桃色の瞳に怒りの熱を込めて立ち上がった。そして、憤怒の言葉を静かに発しながら、〈桃源郷〉と〈桃月〉を震える両手に握りしめる。


「……雉猿狗を返せ……おつるちゃんを返せ……」

「──桃姫ッ……」

「──ももッ……」


 全身から白銀色に光り輝く"殺気"を放ち始めた桃姫の姿を見て、政宗と五郎八姫が思わず呼びかけた。しかし、桃姫は振り返ることなく、一歩、また一歩と羅刹般若に向けて歩みを進める。


「──そうよ! それッ──!! 私、それが見たかったのッ──!! 堺の都で見たその"殺気"ッ! 私を怯えさせたその"殺気"ッ!! やっぱり、私の見間違いじゃなかった……! あはははははっ──!!」

「……雉猿狗を返せッ……おつるちゃんを返せッ……」


 高笑いする鬼蝶の声が"裏側"から発せられながらも、羅刹般若は接近する桃姫に対して警戒し、ググッ──と身構えた。

 羅刹般若を睨みながら呟き続ける桃姫は、白銀色の"殺気"を陽炎のように揺らしながら身を低くしずめると、一息で相手と距離を縮める妖々魔仕込みの体技──"縮地"を用いた。


「──はやッ──!?」


 声を漏らしながら驚いた鬼蝶が羅刹般若の前足の一本を高速で前方に振るって急接近してきた桃姫の体を弾き飛ばそうとする。しかし、桃姫は白銀色の残像だけを残して消えており、その上方にゆらりと姿を現した。


「──妖怪からいったい何を学んだのよ、あなたはッ──!!」


 わめいた鬼蝶が、突き出した前足を即座に蹴り上げるように振るうと、またしても桃姫は白銀色の残像だけを残して姿を消し、前足は空を切って、空振りに終わる。

 そして次の瞬間──桃姫は羅刹般若の"裏側"、鬼蝶の前方に姿を現した。


「──なによそれ……!! まるで"亡霊"の戦い方じゃないのよッッ──!!」


 鬼蝶は"羅"の文字が浮かんだ両眼から赤い炎を噴き上げながら吼えるように叫ぶと、灼熱する熱線を桃姫に向けてチュンッ──と短く撃ち放った。

 熱線の直撃を宙空で受けた桃姫は、二つの大穴を胴体に空けながら揺らめき出すと、鬼蝶を睨みつけたまま白銀色の残像へと転じていく。


「──チッ……イヤな戦い方するじゃない……──」


 霧散していく桃姫の残像を睨みつけながら舌打ちした鬼蝶は、"羅"の赤い文字が浮かぶ黄色い瞳を左右に動かして桃姫の"本体"を探した。


「──ヤェェェエエエッッ──!!」

「──そこッ──!!」


 次の瞬間──鬼蝶の右側から聞こえた桃姫の裂帛の声。鬼蝶は咄嗟に右を向きながら叫ぶが、それとは"反対"に、羅刹般若は"右側"の四本足を上方に向けて全力で弾くようにグォン──と突き伸ばした。


「……ッッ──!!」


 両手に仏刀を構え、鬼を斬り裂く銀桃色の刃を光らせながら、鬼蝶の左側面に対して、捨て身かつ渾身の斬りつけを行おうとしていた桃姫のその腹部に、高速で突き伸ばされた羅刹般若の後ろ足の一本が直撃する。


「──ガハッッ──!!」


 巨顔から伸びる"人の手"に似た太い足を"拳の形"にして宙空に向けて突き出すだけという、単純ながらも強烈な打撃をまともに食らった桃姫。

 両目を見開きながら激しい嗚咽を漏らすと、両手に握りしめていた仏刀を手放しながら高く舞い上がって放物線を描きながら夜空を飛んだ。


「──やった、当たったわッッ──!! きゃはははははっっ──!!」


 圧倒的な衝撃を受けて、力なく夜空を舞う桃姫の体──その光景を見上げた鬼蝶が、"羅"の文字が浮かぶ瞳を大きく見開きながら、少女のような無邪気な声を上げて盛大に笑った。


「ももォッッ──!!」

「桃姫ッ──!!」


 同じくその光景を目にした五郎八姫と政宗が戦慄しながら絶叫の声を張り上げると、桃姫の体は重力に引かれて落下し始め、仙台城の脇に建てられた蔵の外壁にズガァン──という凄まじい轟音を立てながら背中から激突し、外壁に大穴を開けて蔵の内部に落下した。


「──あーらら……あれは確実に死んじゃったわね──桃姫ちゃんの柔らかいお腹を蹴り上げる、もンのすごい感触があったもの……もっと遊びたかったのに、ザーンネン──」


 蔵の外壁に開いた大穴から夜空に向けて茶色い砂埃が盛大に巻い上がる様子を遠くに見やった鬼蝶は、そう言ってから鼻で笑った。


「──桃姫ちゃん……あなたが残像で私のことを騙すから、私も試しに騙してみたのよ──って、もう聞こえないわよねェ……あはははははっっ──!!」


 瞳に浮かぶ"羅"の文字を爛々と光り輝かせた鬼蝶は、桃姫を飲み込んだ蔵に向けて高らかに笑うと、五郎八姫は絶句しながら政宗の腕を掴んだ。


「う、うう……に、逃げるでござる……父上……!」

「……ごろはち、俺のことは構うな……! 今すぐ走れ……! お前だけでも、逃げ延びろ……!」

「──いやでござるッ! 拙者が父上を見殺しにできるわけないでござろうよぉッ──!」


 目に涙を浮かべながら絶叫して返した五郎八姫は、政宗の腕を引っ張って引きずりながら、羅刹般若から距離を離そうと歩き出した。


「──こらァ……に・げ・る・な──♪」


 鬼蝶はちらりと横目で見やった五郎八姫の背中に対してそう言うと、ドス、ドス、ドス──と羅刹般若の太い八本足で地面を踏みしめながら接近した。


「……う、うう……あああっ──!!」


 迫りくる低い足音を耳にした五郎八姫が思わず振り返ると、火を吐き散らす羅刹般若の恐ろしい"異形"が眼前に迫っており、あまりの恐怖に腰が抜けた五郎八姫はその場に倒れ込んだ。


「……あ、ああ……!」

「──ごろはち……!」


 震えながら悲鳴を発する五郎八姫の頭を、政宗が抱き寄せると胸の中で固く抱きしめた。


「父上殿、すまないでござる……っ、拙者が頼りないばかりに……っ、足がすくんで、逃げ出すこともできなかったでござるよぉ……っ」


 五郎八姫が泣きじゃくりながら政宗の胸に顔を押し当てた。その頭を政宗が優しく撫でる。


「……そんなこと言うでない、ごろはち……お前は伊達家の立派な跡取りだ──俺が、そう決めたんだ」

「……父上殿ぉ……」


 政宗と五郎八姫が互いに言葉を交わし合う様子を羅刹般若の黄色い眼が見下ろしていると"裏側"の鬼蝶が退屈そうにあくびをしながら声を発した。


「──ねェえ……? お涙頂戴は済んだ……? もう殺しちゃっても、いいかしらァ──?」

「……勝手にしろ、化け物……」


 政宗の吐き捨てるような言葉を耳にした鬼蝶は横目でちらりと、観念したように地面に倒れ伏して抱き合う伊達父娘の姿を冷たく見やってから口を開いた。


「──あっそ……じゃ、終わりにしましょ──」


 そう告げた鬼蝶は、羅刹般若の前足の左右二本をズズズ──と持ち上げて、黒い鬼の爪が生えた十本の指を地面に倒れ伏す政宗と五郎八姫に差し向けた。


「……"いろは"……ッ」

「……父上……っ」


 政宗は腕に抱く愛する娘の名を口にすると、五郎八姫も答えて返した。そして、互いに固く目を閉じて最期の瞬間を受け入れるのであった。

 時を同じくして──外壁に穿たれた大穴から、黄色い満月の明かりが差し込んで照らしだす蔵の中で、瓦礫に身を預けて横たわる桃姫の姿があった。


「……う、ぐ……ぐ……」


 全身に強い痛みを感じながら桃姫は薄く目を開くと、蔵の中央におつるが立って桃姫のことを穏やかな顔つきでジッ──と見ていた。


「……おつるちゃん……ごめんね……私……おつるちゃんの仇……取れなかった……」


 桃姫は瓦礫に体を預けながら、力なくおつるに謝罪した。

 おつるは黙ったまま、桃姫のことを見続けていると、その後ろにもう一つの人影が現れた。


「──桃姫──」

「……父上……っ」


 桃姫は、おつるの背後に現れ立った桃太郎の姿を目にして、声を漏らした。


「──立ち上がれ、桃姫──」


 桃太郎は力強い濃桃色の瞳を向けてそう静かに告げると、桃姫は首を横に振って力なく口を開いた。


「……無理だよ、父上……あんな鬼……敵いっこないよ……だって、あまりにも強すぎて……どうやって戦えばいいかすら、わからない──それに、雉猿狗だって……いなくなっちゃったんだよ……っ」


 桃姫が目に涙を浮かべながら弱々しい声で訴えると、桃太郎は右の手のひらを自身の左胸の上に押し当てながら口を開いた。


「──"超常なる鬼の力"には、"超常なる仏の力"で対抗しろ──」

「──……っ──」


 桃太郎の言葉を聞き受けた瞬間、自身の左胸が燃えるように熱くなり、心臓の鼓動がドクッドクッ──と激しく脈動し始めるのを桃姫は感じた。


「──臆するな、桃姫……私と桃姫の体に流れている──"超常なる仏の力"を……今こそ、解き放つんだ──」

「──がんばって……桃姫ちゃん──」


 桃太郎は信頼の眼差しを桃姫に向けながらそう告げると、おつるもまた両手で握りこぶしを作りながら弱気になっている桃姫を励ました。

 その次の瞬間、桃太郎とおつるの体が黄金色の光の粒子へと転じていき、蔵に差し込む黄色い満月の光に吸い上げられるようにして消え去り始めた。


「──父上っ……おつるちゃんっ──!」


 桃姫が消え去っていく桃太郎とおつるに向けて声を発しながら瓦礫の上から立ち上がると、二人の姿は完全に桃姫の前から消え去ってしまった。


「──…………」


 そして、一人残されて呆然と立ち尽くした桃姫は、蔵の中にパラパラと舞い飛ぶ砂埃に月明かりが反射して、キラキラと音もなく光る様子を黙って見つめた。

 そんな静寂の中で、光る砂埃越しの視界に映る"何か"に目を凝らした桃姫は静かに息を呑んだ。それは、蔵の壁一面に並び立ち、戦いの時が来るのを今か今かと待ちわびている、大量の刀と槍の姿であった。

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