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16.仏心奥義・仏炎掌

「──ふふ、そんなに怯えなくてもいいのよ、痛いのは一瞬だけ……それからはずっと、父娘仲良く、私の"力"の一部となって生き続けるの──♪ ねぇ、それって素晴らしいことだと思わない──?」


 鬼蝶は"羅"の文字が赤く光る瞳を歪め、陰惨な笑みを浮かべながらそう告げると、羅刹般若の前足の二本を動かして黒爪が伸びる指を広げた。

 そして、目を閉じながら固く抱き合う伊達父娘の体を掴んで宙空に持ち上げると、"焼却炉"のように豪炎を噴き上げる般若顔の大口をガバッ──と開いた。


「──それじゃ……"伊達の御馳走"──いっただっきまァ~す──♪」


 鬼蝶がうっとりとした恍惚の表情で声を発した次の瞬間──。


「──デヤァアアアアッッ──!!」


 五郎八姫が裂帛の声を張り上げながら、政宗の左腰に携えた黒鞘から名刀〈燭台切〉の白刃を右手で引き抜いて、雉猿狗の一撃によって亀裂が走っている羅刹般若の左眼を全力で斬りつけた。

 〈燭台切〉は鬼を殺す聖なる刃ではない──しかし、かつて夜狐禅の妖術を利用して悪事を働いた伊達の役人を、背後に並んだ燭台ごと伊達政宗直々に斬り捨てたという逸話を持つ、遺憾ない切れ味を誇る伊達家随一の大業物である。


「──ギヤッッ──!!」


 羅刹般若の左眼を通して、自身の左眼にも激痛が走った鬼蝶は短い悲鳴を上げると、羅刹般若の前足で掴んでいた政宗と五郎八姫の体を地面に手落とした。

 そして、白い般若顔を傷つけられ、赤い肉が剥き出しとなった羅刹般若の黄色い左眼を憤怒に燃やしながら五郎八姫を見下ろした。


「──こンのッッ──!! 小娘風情がァアッッ──!!」


 未だ激痛が走る自身の左眼を両手で抑えながら激昂した鬼蝶が、羅刹般若の前足の一本を持ち上げると、五郎八姫の顔面に向けて指から伸びる黒爪を高速で突き伸ばした。


「──がアアあああっっ──!!」


 突き出された羅刹般若の黒爪の先端が、右目に深々と突き刺さった五郎八姫は喉が裂けんばかりの絶叫を放った。


「……ッ、いろは……っ!」


 それを見た政宗が、内臓に重傷を負ってまともに言うことを効かない体を無理やり動かして地面に這わせながら娘の名を叫んだ。


「──まァったく……どいつもこいつも……大人しく死ねばいいのに──なァんで、人間って生き物は……こんなに無駄な抵抗をしたがるのかしら……わっかんないわねェ──」


 鬼蝶は忌々しげに吐き捨てるようにそう言うと、羅刹般若の前足を持ち上げて黒い鬼の爪を五郎八姫の右目からズッ──と抜き取り、血の雫を地面に垂らした。


「がアアあっっ──!! 嗚呼ああッッ──!!」


 鬼蝶によって雑に右目から爪を引き抜かれた五郎八姫は、鮮血が溢れ出す潰れた右目を両手で抑えると、どうしようもない痛みに地面をのたうち回った。


「……いろは……! いろはッ……!」


 政宗が両腕で地面を這いずりながら五郎八姫の元まで近づくと、もがき苦しむ五郎八姫に対して、掠れる声で吐血しながら呼びかける。


「──チッ……あァあ……父娘ともども右目を失っちゃって……そんなとこまで仲良くしたいってわァけ……? ──くッだらないわねェ……!」


 舌打ちした鬼蝶は苛立ちながら低い声で告げると、羅刹般若の二本の前足を持ち上げて指を開く、そして地面に倒れる政宗と五郎八姫の体をググッ──と力を込めて掴み上げた。


「──決めたわ。このまま握り潰して殺します……うかつに顔に近づけたら、何されるかわかったもんじゃないからね──」


 鬼蝶はそう告げると、"人の手"に似た羅刹般若の前足に力を込めて、政宗と五郎八姫の胴体に万力のような圧力を容赦なく加えていった。


「ッ……グッ、アアアアッッ──!!」

「──ガアアアアッッ──!!」


 全身の骨と内蔵を破壊する致死性の拷問のような圧迫攻撃を受けた政宗と五郎八姫は夜空に向かって絶叫した。ただでさえ天守閣からの落下の影響で内蔵を損傷している政宗にとっては、羅刹般若の巨顔が行う圧迫は死そのものであった。


「──あなたたちが悪いのよ。せっかく楽に逝かせてあげようと思ったのに……無駄な抵抗をして、わざわざ"痛い方"を選んでしまったのですからね──」


 鬼蝶は冷めた口調で呆れたようにそう告げると、おもむろに着物の袖の中からキセルをスッ──と取った。そして、燃える目元に近づけて着火すると、紫煙をくゆらせたキセルをくわえて一吸いする。

 伊達父娘の命が削られていく絶叫の声を背後に耳にしながら、燃え盛る仙台城を視界に収めた夜空に向かって、気持ちよさそうに煙を吐き出した鬼蝶は、"羅"の文字が浮かぶ黄色い瞳を細めて大仕事を終えた満足感に浸っていた。 


「──勝利……圧倒的な勝利ね──」


 鬼蝶が仙台の夜空に向けて呟いたその時──高速で迫る銀光する"何か"を鬼蝶は視界の端に見た。


「──えっ──?」


 鬼蝶が気の抜けた声を漏らすと、自身の頭に一本の刀がダンッ──と突き刺さった。

 次いで、右胸に槍がズンッ──と突き刺さり、更に、左脇腹に二本目の刀がザッ──と突き刺さった。


「──ナニ……コレ──」


 声を漏らした鬼蝶はキセルを手から取り落とすと、自身の頭に突き刺さった刀を両手で力任せにズボッ──と引き抜いた。

 そして、眼前に鬼の黒い血が付着した刀を掲げて呆然と眺めたあと、刀が飛んできた方角──仙台城の脇に建つ、大穴が開いた蔵を見やった。

 次の瞬間──蔵の大穴の内部から、銀光する刀と槍が、鬼蝶目掛けて群れを成して飛来してきた。


「──何よッッ──!! コレええエエッッ──!!」


 蔵に向かって両眼を見開きながら吼えた鬼蝶は、両手の鬼の爪をシュッ──と素早く伸ばして自身の頭部と鬼の心臓を護るように身を固めた。

 刀と槍は銀色の雨のように容赦なく飛来して、鬼蝶の両腕と胴体、そして羅刹般若の濃緑色の髪が伸びる後頭部にズババババッ──と壮絶な音を立てながら突き刺さっていくと、羅刹般若は握力を維持できなくなって政宗と五郎八姫を手離して地面に落とした。


「……うぐ……っ」

「……があッ……」


 政宗と五郎八姫はうめき声を発して地面に倒れ伏しながら、様子がおかしくなった羅刹般若の巨顔の異様を見上げた。

 そして、蔵の内部から放たれる刀と槍の銀雨が止むと、開かれた大穴の奥から黄色い満月の月光に照らし出された桃姫が、その姿を顕した。


「──ッッ──!!」


 でたらめに刀と槍が体に突き刺さった鬼蝶は、黒い爪の隙間から"羅"が浮かぶ黄色い瞳を覗かせると、白い軽鎧と黄金の額当てを巻いた桃姫のその雄々しい姿を憎々しげに睨みつけた。

 桃姫は全身から白銀色の波動をゆらゆらと放ちながら、瓦礫の上に落ちている槍の一本を拾い上げると、目を閉じ深く息をはき出しながら、槍の全体に白銀色の波動をまとい付かせる。そして、瓦礫の上で軽やかに一回転すると、鬼蝶目掛けて濃桃色の瞳を光らせながら全力で投擲した。


「──くッ……!!」


 大気を切り裂きながら高速で飛来する銀光する槍──鬼蝶は忌々しげにそれを睨みつけると、黒爪が伸びる両手を顔から下げ、炎を噴き上げる両眼から素早く熱線を撃ち放った。

 灼熱の熱線が銀光する槍の白刃に命中して激しい火花を撒き散らすと、白刃は灼熱に焼かれた赤刃に転じながらその速度を増していき、鬼蝶の元に超高速で飛来する。


「──嘘でしょッッ……!!」


 鬼蝶は思わず悲鳴に似た声を発しながら熱線を放出する両眼を閉じると、羅刹般若の八本足をバタバタ──とせわしなく蠢かして巨顔を反転させた。

 次の瞬間──雉猿狗が〈神雷珠〉で破壊し、五郎八姫が〈燭台切〉で斬り裂いた羅刹般若の左眼にズンッ──と鈍い音を立てながら赤刃を持つ銀光する槍が深々と突き刺さった。


「──…………」


 瓦礫の上に立った桃姫は、遠くで羅刹般若が巨顔を支える力を失いドスン──と音を立て、周囲に盛大に砂煙を巻き上げながら地面に崩折れたのを見届けた。

 そして、桃姫は深く息をはき出しながら瓦礫の上から飛び降りると、胸を張って、一歩一歩地面を踏みしめながら、堂々と羅刹般若に向けて歩みを進めていった。


 桃姫が全身から放っている白銀色の波動──それは、堺などで見せた刺々しい"殺気"ではなかった。

 それは、力強い"闘気"──必ずや鬼を打ち倒すという"超常なる仏の力"から来る決意と覚悟によるものであった。


「──……動け、動きなさい……どうして動かないのよッッ──!!」


 鬼蝶は震える声を発しながら、沈黙する羅刹般若に必死に声を投げかけた。桃姫の槍の一撃を受けた羅刹般若は黄色い眼から光を失い、威勢よく炎を噴き漏らしていた"焼却炉"のような口からは火の粉一つこぼれなくなっていた。


「……な、なにが起きているで、ござるか……」


 満身創痍の状態で地面に倒れ込んだ五郎八姫が、八本足を投げ出して崩折れる刀と槍が大量に突き刺さった羅刹般若と、その後頭部から生え伸びる鬼蝶の姿を見上げながら息を呑んで声を漏らした時──不意に桃姫の声が耳に届いた。


「──わかったんだよ……私ね、ようやくわかったんだ──この心の奥底から湧き上がる、不思議な力の、正しい使い方──」


 桃姫は静かに言いながら羅刹般若に向けて歩み寄る。白銀色に光り輝く"闘気"は、渦のように激しくうねりながら桃姫の全身を覆って包みこんだ。


「──この力はね、体から"発する"ものではないんだ……体に"まとう"ものだったんだよ……──」


 桃姫はそう言いながら、白銀色の"闘気"をまとわせた右手を前に出し、グッ──と握り込む。その瞬間、凝縮された"闘気"が拳の中で白銀色の炎──"仏炎"に転じてゴウゴウと燃え上がった。


「──まるで、鎧を着るように……"仏の力"を我が身に"まとう"んだよ……そうすれば、ほら──」


 桃姫は、"仏炎"が煌めく白銀色の拳を自身の左胸、心臓の上に押し当てた──その瞬間、桃姫の濃桃色の瞳の中央に白銀色の波紋がボオッ──と浮かびあがった。


「──私は、もう負けないんだ──」


 桃姫は白銀色の波紋を両の瞳に拡大させながらそう告げると、ダンッ──と地面を力強く蹴り上げて、黄色い満月が浮かぶ仙台の夜空を天高く飛翔した。


「──く、来るなぁッッ──!!」


 首を持ち上げて強引に背後を見やった鬼蝶は、わめくような叫び声を張り上げながら、"羅"の文字が光る両眼から"鬼の力"を振り絞るように豪炎を噴き上げると、上空から迫りくる桃姫目掛けて、灼熱の熱線を発射した。


「──フッ……!!」


 白銀色の"闘気"で身を包んだ桃姫は一息発すると、"仏炎"が燃え盛る右拳を飛来する熱線に向けて叩きつけて粉砕しながら、熱線の中を駆け抜けて鬼蝶目掛けて急降下していく。


「──イヤァアアアアアアッッ──!!」


 熱線を打ち砕き、赤熱する火の粉の中をくぐり抜けて迫りくる白銀色の瞳を光り輝かせた桃姫の勇姿──その"鬼退治を必ず果たす"という得も言われぬ壮絶な熱量を前にして、恐ろしさのあまり鬼蝶は悲鳴を張り上げながら両腕を交差させながら顔を覆った。


「──仏心奥義・仏炎脚(ぶつえんきゃく)──!!」


 眼下に迫る怯えた鬼蝶の姿──それに対して、桃姫は白銀色の瞳を光らせながら宣言するように声を発する──その瞬間、桃姫の左脚にブォオオオ──と白銀色に極光する"仏炎"が盛大に燃え上がった。


「──イヤぁッ……! ──その炎はッッ──!! ──それはイヤァァアアッッ──!!」


 驚愕に目を見開いた鬼蝶が懇願するように声を発すると、桃姫は鬼蝶の顔面目掛けて空中で一回転しながら"仏炎"をまとった左足で全力の蹴りを撃ち放った。

 奇しくも、その左足に履かれた白い足袋の足裏には──おつるの血が赤黒くこびりついていた。


「──ギャアアアアアッッ──!!」


 桃姫渾身の蹴り上げを左目に食い込ませるように食らった鬼蝶は顔面を激しく歪ませながら右目をひん剥いて金切声を張り上げ、そのあまりの衝撃に羅刹般若の巨顔ごと弾き飛ばされて、般若顔を地面に向けて激突させた。


「──うっウグッッ──!! ッ……私が、負ける──!? 人を捨てて、"羅刹"にまでなった私が……あんな小娘ごときに、負けるっていうのッッ──!?」


 鬼蝶は桃姫に蹴り上げられて潰された左目を両手で抑えると、白銀色の"闘気"を全身にまといながらふわりと着地した桃姫の姿を憎々しげに見やりながら慟哭した。

 "鬼の力"で動いていた羅刹般若の巨顔は完全に機能を停止してしまったかのようにひっくり返ったまま微動だにせず、五郎八姫と政宗は眼前に立つ白銀色の聖なる光をまとった桃姫の姿を目にして瞠目しながら息を呑んだ。


「──鬼蝶、もう、終わりにしよう──」

「──いや……あああッッ──!!」


 桃姫は死刑宣告を渡すように静かにそう告げると、潰れた左目から黒い鬼の血を右目からは涙を流しながら悲鳴を上げる鬼蝶目掛けて跳躍した。そして、夜空を向けた羅刹般若の後頭部に着地すると、鬼蝶に向けて大きく指を開いた両手のひらを掲げた。


「──仏心奥義・仏炎掌(ぶつえんしょう)──!!」


 白銀色の波紋で両眼を極光させながら桃姫が力強く告げると、両手にまとった凝縮した"闘気"が"仏炎"へと転じ、ゴオオオオオオ──と壮絶な音を立てながら盛大に燃え上がった。


「──これは、母上の味わった恐怖ッッ──!!」

「──ッッッッッッ──!!」


 桃姫は小夜への想いを込めながら大声を発すると、白銀色に燃え上がる左手のひらを鬼蝶の顔面に強く押し当てた。

 ゴォォオオオオオ──と音を立てる"仏炎"はその火力を増していき、鬼蝶は声にならない声を発しながら助けを求めるように両手を黄色い満月に向けて持ち上げた。


「──これは、おつるちゃんの味わった絶望ッッ──!!」

「──ッッッッッッッッッッ──!!」


 桃姫は白い巻き貝の腕飾りがついた右手を見つめながら"大親友"の名前を口にすると、鬼蝶の左胸の上に右手のひらを強く押し当てた。

 桃姫の"仏心"から右腕を通じて、ブォオオオオオ──と出力を上げ続ける"仏炎"に"鬼の心臓"を焼き焦がされていく鬼蝶は声にならない咆哮を張り上げた。


「──そしてこれは、雉猿狗のッッ──!! お前が今までに殺して来た人々ッッ──その全員の、嘆きと苦しみだァァァアアッッ──!!」


 白銀色の波紋に覆い尽くされた瞳を激しく燃やした桃姫は、両眼から滂沱(ぼうだ)の涙を流しながら、体内の"仏の力"を最大限にまで発揮して、鬼蝶の体を完全に白銀色の炎の塊へと転じた。

 全身を聖なる炎に包まれた鬼蝶はもはや、声を上げることすらなくなり、濃緑色をした羅刹般若の長い頭髪までもが着火して白銀色に燃え上がると、遂には羅刹般若の巨顔そのものが丸ごと"仏炎"へと変貌していき、白銀色の巨大な"火達磨"と化すのであった。

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